私のペット履歴

6/17(日)は、BFRP東海の特別講座、アニマルプラクティショナーの佐藤真奈美先生をお招きして、愛犬に寄り添うくらし~について、たっぷりお話を伺いました。

 

人間と犬という異種間であっても、家族として暮しを共にするには、どんな努力が必要なのでしょう。動物行動学的アプローチとはまた別の理解の仕方とは、いったいどんなことでしょう。

 

バッチフラワーを使うとき、対話に基いてレメディを選ぶのは、プラクティショナーなら誰でも知っている基本中のキですが、佐藤先生のアプローチは、人と人との間で交わされる対話と同様、人と動物のあいだにも、対話が成立するという地平に立っています。つまりペットも、様々な要因から、不安や怒り、不安定さ等々に陥るとき、そこには必ず意味があり、それが人間にとって問題行動と映ったとしても、まずしっかりとその声を聞き、そして受けとめ、説明すると言ったプロセスを重要視するということです。これはペットに限らず、子育てにも通じる、コミュニケーションの極意なのではないでしょうか。

   *   *   *

 

それにしても、私が小さかった頃(1950年代)と比べると、現代のペット事情は隔世の感があります。当時、犬猫は買うものではなく、貰うとか拾うというのが主流でした。どこの家でも犬たちは、あまり快適ではないところに一日繋がれて、冷ご飯に残り物の味噌汁をぶっかけ、みたいな食事をもらっていたと思います。野良犬も普通にいました。敗戦後、社会は落ち着いたとはいえ、それでも、多くの人々にとって、食べるものに事欠いた記憶は、さほど遠いものではなかったはずです。犬猫はペットというより、番犬、ネズミ捕り、みたいな感じで、家畜に近かったのかもしれません。

 

いつ頃から犬猫はペットになったのでしょう。

確実に言えるのは、以前はもっと短命だった犬や猫が

ペットになってからは長生きになったことです。

 

私は小さい頃、特に犬が好きでした。どこの犬でもすぐに触ろうとして、咬まれたことも二度三度。それでも動物に対する恐怖心に繋がっていないのは、ちょっと面白いと思います。なぜかなあ。そんなことをつらつら考えているうちに、自分のペット履歴を辿ってみようと思い立ちました。

 

 

第1七年期 幼児期

物心ついたときには、猫がいたような...。名前も種類も何も覚えていません。気配のみ。

 

第2七年期前半 犬 雌 雑種 ユリ 外飼い

はっきりと覚えているのは、名古屋の親戚から紀州犬の雑種をもらってきたこと。冬の初め、子犬は父のコートのポケットにすっぽりと納まって、電車に乗って伊勢までやってきました。私は父にくっついて座り、横からポケットに手を突っ込んでは、子犬の感触を楽しみました。どんなに心が弾んだことでしょう。誰が名付けたか、「ユリ」という名前でした。

 

お産もしました。部屋を暗くして段ボールに布を敷いて、、、子犬たちはどうしたのでしょう?全く記憶がありません。知らない間に親がよそへやってしまったのでしょうか。やがてユリはアカラスという皮膚病になりました。赤くなった皮膚を母が洗っては、薬を塗っていたのを覚えています。いつ死んでしまったか、その時私はどうしていたか、全然覚えていません。

 

第2七年期後半 後半 犬 雌 雑種 ジュリ 外飼い

そのあとにやってきたのは、これまた雑種の「ジュリ」でした。ユリも白い犬でしたが、ジュリも白い中型件でした。可愛かったけどやんちゃでよく逃げ出すので、泣きながら探しに走り回りました。ユリに比べると、ジュリはかなりのアンポンタンでした。

 

ある冬の朝のことです。近所のチカちゃんと学校へ向かって歩いていると、いつの間にか逃げ出してきたジュリが、私のあとをついてくるではありませんか。学校までは1時間ほどかかる距離、もうすぐ学校につくというところでしたから、連れて戻ることもできません。「ジュリ、家へお帰り」そういって背を向けて歩き出すと、後ろでなにやら物音がしました。振り返ると、ジュリが「肥溜め」に落ちていました。今ならありえないのですが、当時の農村の風景としては、ごく当たり前に、畑のあちこちに、小さなお風呂ぐらいの「肥溜め」が蓋もされずにあったのです。寒い時期のことですから、表面は固く凍っていたのでしょう。どうやらジュリはその強烈な臭いを発するものに引き寄せられ、上を歩いたようで、中ほどの柔らかいところに来て、ズブズブと嵌り込んでしまったのです。助けるのは、私しかいません。大急ぎで大きな木切れを拾って差し出すと、うまくしがみついて、何とか助け上げることができました。

 

ああっ、プルプルしちゃダメ~~と叫んでも、無駄です。

うううぅぅぅぅ・・・くさ~~い!!(涙)

 

必死にすがりつこうとするジュリを振り切って逃げる私

校庭中を駆け回り、挙句の果てに校長室に逃げ込んだ私は、ジュリに負けず劣らず大バカ者でした。

 

あとはご想像にお任せします。

 

 

第3七年期 十代後半の頃になると、我が家から動物の気配が消えていました。今、思えば、両親は私たち子どものために犬を飼ってくれていたのかもしれません。姉は大学で家を離れ、私は思春期真っ只中、自分のことだけで、精一杯でした。

 

第4七年期 鳥 コキボウシ(インコ)雄

外国航路に乗っていた叔父の家で、キボウシという大型のインコを見て、どうしても欲しくなり、次の航路で通るときにと、おねだりをしました。半年くらい経って、キボウシよりちょっと小型、体長25センチくらいのコキボウシが届きました。

 

全身が鮮やかな緑色の羽で覆われ、肩と頭の上がちょっと黄色くて、おしゃべりが大得意でした。名前は「ワイワイ」と名付けました。私が家にいると、ケージから出たがり、「ワ~イ、ワイ」と呼びかけます。電話のベルが鳴れば、いち早く、モシモシとご挨拶。結構長文もしゃべりました。私の肩の上が定位置で、くちばしで布を挟みながらよじ登ります。左肩から右肩へ行ったり来たり、私はジャングルジムか、という感じでした。おかげで私のTシャツはいつも穴だらけ、膝の上でひっくり返り、お腹を撫でてもらうのも好きでしたから、とてもよくなついていたのだと思います。

 

私が結婚して家を出た後、たまに実家に帰っても、もう以前のように、甘えたりしなくなっていきました。私は裏切り者だったのかもしれません。

 

画像はコンパニオンバード.コムのサイトで見つけて勝手にお借りしてきました。

https://コンパニオンバード.com/ この子、ワイワイにそっくりで、びっくりしました

 

第5七年期 犬 ポインター 雄 外飼い

子どもたちが3歳と1歳になった時、私たち家族はそれまでのマンション暮らしから、大地の上に引っ越しました。引っ越しの翌朝、玄関まで段ボールの山に埋もれているところに、やってきたのがイングリッシュポインターの雄「ビンゴ」でした。血統書付きの犬を飼ったのは、後にも先にもこの一度きりです。正直、このタイミングは最悪でした。ちょっと待って、と言ったのですが、こちらの都合は全く無視されてしまいました。ごめんね、ビンゴ、と今も悔いが残ります。

 

家の中はてんやわんや、子どもたちは小さくて、散歩に同行もできません。あっという間に1か月が過ぎ、2か月が過ぎ、社会性やしつけをする大事な時を逃しました。あるとき、林を夢中で駆けまわっている彼の姿を見て、その美しさにほれぼれしつつ、いたく反省。折よく警察犬のトレーナーの方と知り合い、それからは十分運動はさせてもらえるようになりました。ずっと後になって、ドラマ、ダウントンアビーの狩猟のシーンでは、何匹ものポインターが馬と一緒に野原を駆けまわる姿が出てきます。それを見るにつけ、そう、こんなふうに飼ってほしかったよね~と今も胸が痛みます。

 

第6七年期 犬 雑種 雌 外飼い  猫 亀 鳥

息子が小学校1年生になった時、同級生の親御さんから、犬を拾ったけどもらってくれないか、という話が飛び込んできました。すでに持て余し気味のビンゴがいましたから、無理無理、と断りたかったのですが、子どもたち3人の必死キラキラ瞳に負けて引き受けたのが、私にとっての最後の犬、「ミミ」です。名付け親は長女。冒頭の画像の茶色の雑種です。

 

それからしばらくすると、掃き出し窓の外に、毎日猫がやってくるようになりました。どこかの飼猫らしく、おびえた様子も威嚇するようなこともありません。ある日ドアを開けて話しかけると、スッと家に入ってきました。抱き上げて聞きました。「あなた、どこの子?名前はなあに?」、ふいにゴジャという声が聞こえてきたので、その子は「ゴジャラ」という名前になり、ゴジャラは毎日、息子のベッドで眠るようになりました。

 

また、近くの牧野が池公園では、甲羅がまだぷよぷよの亀を見つけ、うちの亀にしたり、ご近所からセキセイインコをいただいたり、木の上から落ちてきたヒヨドリの赤ちゃんをしばらく育てたり、30代後半から40代は、子どもたちの成長に動物たちも入り混じって、賑やかで華やかな一時代でした。

 

第7七年期~第8七年期  犬 猫 亀

ビンゴは8歳で亡くなり、取り残されたミミはとてもしょんぼりしていました。その頃、夫は入退院を繰り返し、私は付き添いで不在がち、末娘が一人で留守番をすることが増えました。一人では淋しいので、ミミは娘のナニー犬(?)としてめでたく室内犬に昇格。いざ間近で暮らしてみると、ミミの賢いことは驚くばかりでした。芸をするわけではないのですが、こちらの言うことがとてもよくわかるのです。興味深いのは、家族という群れの中で、ミミは下から2番目という位置取りでした。夫は入院中で不在、長女もイギリスにいて普段は家にいませんし、息子の関心はもっぱらゴジャラでしたから問題外、ミミにとって私はヘッド、末娘は面倒を見てやらねばならない存在、というわけで、私~ミミ~末娘という図式でした。

 

夫を見送り、実家の遠隔介護が始まると、いやがおうにも私は不在がちになりました。その頃には、ミミが大事にしていた(?)末娘もイギリスに行ってしまいましたし、息子も大学生になり、以前の私と同じ、自分のことで精いっぱいです。ゴジャラは相変わらず息子と寝ていましたけれど、ミミはどんどん老いていきました。母が逝く2か月前、ミミは末娘の帰国を待って、彼女の腕の中で息を引き取りました。

 

そしてそれから3年後、父が逝く5日前に、ゴジャラがこの世を去りました。私は伊勢におり、ゴジャラの最後の世話は息子がしました。不思議なほど、ペットと家族は強く結ばれていました。

 

疲れて帰宅すると、息をする動物がそばにいることの温かさは、何ものにも代えがたいものです。ですが、家族の不在は彼らにとっては甚だ辛いもののように思えて、それ以来、もう私のペットは終わり、と決めました。おわり

 

オイリュトミーのこと

 

ルネサンス後期の有名なイタリアの画家、ボッティチェリの「春(プリマベーラ)」1987年、私が初めてオイリュトミーの舞台公演を見た時、オイリュトミーってギリシャの神殿舞踊、この絵に描かれている、三美神の動きのようだと感じました。

 

以来30年余り、一愛好家として細々とオイリュトミーを続けてきたのですが、人間の限界を越えるような特別なポーズがあるわけでもないのに、いざ動いてみると、無駄に力が入ったり、バランスが悪かったり、ギクシャクしたり、からだの癖が出たりと、全く思うように動けないというありさま。けれどそこにこそ、意味を見いだすこともできるという不思議。

 

オイリュトミーはギリシャ語で「調和のとれた美しいリズム」を意味し、内面と外側が一致、調和しているということを指しますが、ミクロコスモスとしての人間のありようが、マクロコスモスの宇宙と調和している、とくれば、ちょっと、ぞくぞくしませんか。

 

思えば、あんなにオイリュトミーが大好きだったのに、寄る年波か、あるいは関心の優先順位が変わってしまったのか、最近ではすっかりモチベーションが下がっています。そんな私を叱咤激励...試すかのように7月はオイリュトミーラッシュ!!

 

7/12(木)ピーチ洋子 音楽オイリュトミー

7/26(木)マーレン・ストット ワークショップとデモンストレーション

7/28・29(土日) 横山守文オイリュトミー集中講座

 

こうなったら、もちろん3つとも参加しますとも。

 

以前から7月には横山さんのオイリュトミーがあることは決定しており、日程も空けていました。そこに飛び込んできた二つのワークショップ。ピーチさんは1月に続いての来日、マーレン・ストットさんは今回が初来日です。北海道を皮切りに、東京、京都での舞台公演、名古屋では公演ではなくワークショップとなります。

 

マーレン・ストットさんは、ニュルンベルクのオイリュトミー学校を卒業後、20年以上イギリスのオイリュトミー・トレーニングで教鞭をとりながら、ソリストとして、またイギリス国内の様々な舞台グループにて活動。2018年度には、ゲーテアヌムのオイリュトミーの芸術監督に就任。下記のユーチューブから、その一端をご覧あれ。  

そして、名古屋オイリュトミーの会とは長いご縁の横山守文さん。もう20年以上のお付き合いにもかかわらず、ずっとインスパイアされ続けています。オイリュトミーを通して、またその範囲を超えて。

 

名古屋オイリュトミーの会

1990年から続いているオイリュトミー愛好家の会です。現在は年間に数回の集中コース開催ですが、新旧の区別なくオイリュトミー好きや関心のある人が集まって動いています。このサイトを運営していた頃は、「大好きオイリュトミー!」なんて大声で公言していました。(^^ゞ

初夏のクロイツニュースから

ウェブ版で見る場合はこちら


みなさま いかがお過ごしですか?

梅雨入り間近、
雨上がりの木洩れ陽が一段と美しい季節です。
ブーンブーンと
蜂の羽音も聞こえてきます。

さんざめく光の中にいて
ふいに世界が動きを止めたかのような
静謐を感じる時があります。

多分それが
「永遠」という瞬間なのでしょう。
無限の未来と、無限の過去とのあいだの
「今」という永遠。


クロイツ+今月のおすすめ
ジュピター東海 特別講座2018

 

十二星座と人間・世界Ⅱ
 星々のことばで謎を解く

7/8
(日)
第1部10:30-12:30
第2部14:00-16:00

会 場:ウィルあいち 
講 師:丹羽敏雄 津田塾大学名誉教授
参加費:5,000円  
詳細は こちら

 

昨秋好評を博した十二星座と人間・世界の

第2弾です。今回のテーマはハウス。

誰もが生まれた時に、誕生星位(ホロスコープ)を

前頭葉に刻み込んで生まれてくる、としたら...

星を世界を旅しつつ、自分と出会う講座です。



BFRP東海は、東海地方で活動する
バッチ財団登録プラクティショナーたちのネットワークです
今月は第3週末の土日に2つの企画を予定しています。ぜひおでかけください。
詳細は、 BFRP東海のHP ブログ等ご参照ください。
お申込み、お問合せは、 bach38tokai@yahoo.co.jp へ。     

★6月16日(土)
チームバッチ
国際ヨガデイ in 名古屋参加
ヨガの学校内、
マルシェ部門出展     
会場:旧那古野小学校 
ミニコンサルやレスキューシリーズ販売など
6月17日(日)
BFRP東海2018特別講座
愛犬に寄り添うくらし 
バッチフラワーで癒す私と愛犬の気持ち
講師:佐藤真奈美 
バッチ財団登録アニマルプラクティショナー、
ドッグライフカウンセラー
日時:6月17日(日) ①10:00~12:00、②13:00~16:00
会場:ウィルあいち 会議室7 受付中! !
詳細は こちら   

英国バッチセンターに認定されている日本で唯一の正規のプログラム
2018年のBIEP東海地方での開催日程のご案内
 

BIEPレベル2名古屋開催決定!!
日程:9/29・30(土日)会場 ハート   

お問合せ・お申し込みは  (社)バッチホリスティック研究会

2018年1月にスタートしたバイオグラフィーワーカー養成コース12期も、5月から第2モジュールに入りました。第1モジュールでは、0歳~7歳、7歳~14歳というように、1つの七年期ごとに場面を追っていきましたが、第2モジュールでは、鏡映関係や変容~それまでの点と点だった場面を、合わせ鏡の基点を変えたり、人生の経糸だけではなく横糸と交差させたりしてつないでいきます。さて、そこにはいったい何が見えてくるのでしょうか。

音楽でもそうですが、音と音のつながりから、メロディーやリズム、タクトが生まれ、インターバルによって陰影や色合いが現れてきます。私たちの人生も同じ。点と点だけでは、その出来事の意味合いを見つけることは難しいのです。ある程度、時を経ないと物事の本質は姿を現してくれません。つまり、人生を生きることによって、それまで見えなかったものが、見えてくるということです。

須賀敦子さんの代表作『コルシア書店の仲間たち』の冒頭におかれた、ウンベルト・サバの詩、「ミラノ」

・・・・・
石と霧のあいだで、ぼくは

休日を愉しむ。大聖堂の
広場に憩う。星の
かわりに
夜ごと、ことばに灯がともる。

人生ほど、
生きる疲れを癒してくれるものは、ない。
・・・・・

この詩をはじめて知った時、最後の一節に
あっと声を上げそうになりました。
どんなことがあっても、生きなくてはならないのか。

また、同時に、節の区切り方、
改行に違和感を覚えました。

なぜ、普通に

石と霧のあいだで、
僕は休日を愉しむ。
大聖堂の広場に憩う。
星のかわりに・・・ではないのでしょう。

書かれているとおりに、声に出して読んでみます。
そして気づくのです。
これは、天と地とのあいだを映しているのだと。
だから、この不思議な区切り方が必要だということが。

過去に起こった出来事は、記憶の中に実在していますが
出来事と出来事をつなぐ糸は、実際には見えません。
そして見えないものを見るためには、
結構な力がいることなんだと思います。

6月はバッチフラワーの企画が続きますが
7月はなぜかオイリュトミー月刊となりました。
「見えるうた、見えることば」といわれるオイリュトミーへ
皆さま、どうぞ足をお運びください。一緒に動きましょう。

7/12(木) ピーチ洋子音楽オイリュトミー
7/26(木) マーレン・ストットオイリュトミーワークショップ
※名古屋で残念ながら舞台「天の川をこえて」は上演されませんが
一般向けのワークショップとデモンストレーションが開催されます
7/28.29(土日横山守文オイリュトミー集中講座

夏至が近づいてきて、日の出日の入りの位置が
かなり北寄りになってきました。
当たり前のことですが、ちょっと前までは
南寄りの東の窓から朝日を眺め、
南寄りの西の空に夕陽が沈んでいたのに
季節は明らかに夏へ向かっています。

皆さま、御身お大切に。
お目にかかれる時を楽しみにしています。

中村かをる
* * *
最後まで読んでくださり有難うございました。愛と感謝をこめて。

このメールはクロイツにご縁のある方、BIEPを学ばれている方にお送りしています

配信不要、アドレス変更の場合はご遠慮なくご一報ください

ロンドン便り HotTug

楽しい画像がロンドン、エンジェルに住む娘から届きました。

 

この日はイギリス中が、ロイヤルウェディングに沸いていましたが

エンジェルのカナルでは、王妃のものとされているらしい白鳥が

(記憶にある限り)過去最多の8羽のヒナたちとお目見え。

3羽しか生まれなかった年もあるのに、なんと豪勢な!!

幸運のおすそ分けとばかり、道行く人も足を止めます。

 

そこへやってきたのが、ホットタグと呼ばれる超人気のボート。

あったかいバスタブに浸かりながら、カナルをゆっくり流れていきます。

お揃いの帽子をかぶって、シャンパン飲んで、

この日は最高のボート日和。

さぞかし気持ちがいいことでしょう。

 

冬の間も結構、行き交ってたよ、と聞くと、ちょっと可笑しい。

日本なら、さしずめ真冬の露天風呂で雪見酒?

 

ちなみにホットタグはオランダ発祥、

そういえばオランダは水の国、運河の国ですものね。

ホットタブとタグボートをくっつけた絶妙ネーミング!

 

タグボートは大きな船を引っ張るパワフルなボートのことです。

 

でも、いくらタグボートだからと言って、これはいくらなんでも引っ張りすぎでしょ。

ゴムボート4つ。道行く人との温度差がまた笑える。

生まれたヒナが全員無事に巣立ちを迎えることはほとんどないようです。

一羽減り、二羽減り、という感じで、

たった一羽になってしまったヒナと親鳥が泳いでいる様子は

ちょっと淋しい。

 

でも今年は大家族、みんな揃って大きくなあれ。

これからの成長が楽しみです。

音楽オイリュトミー講座2018夏

名古屋オイリュトミーの会 主催

 

スウェーデン在住のオイリュトミスト ピーチ洋子さんの帰国に合わせて、この夏も音楽オイリュトミーの講座を開催します。経験のあるなしに関わりなく、一緒に動く楽しさを味わいましょう。

 

オイリュトミーって何?

 

聞いたことはあるけど動いたことはないとおっしゃる方、どうぞ一度ご体験ください。ピーチ洋子さんの気さくな人柄と、わかりやすい言葉は、私たちを自然に動きの世界へ導いてくれます。

 

皆さまお誘いあわせの上ぜひご参加ください。

お待ちしています。

 

第6回 ピーチ洋子音楽オイリュトミー講座

日 時:2018年7月12日(木)10:00~12:00   

参加費:2000円  

講 師:ピーチ洋子(オイリュトミスト) ピアノ:鈴木里美

会 場:イーブル名古屋(旧名古屋市女性会館)

    (地下鉄名城線「東別院」下車1番出口東へ徒歩5分)

定 員:20名

持 物:底の薄いシューズ、動きやすい服装(女性はフレヤースカートなど)

申込み: 鈴木もとこ TEL/FAX 0567-65-6608/090-1097-0230

    Email:meguru-motoko@sf.commufa.jp

 

ピーチ洋子(オイリュトミスト)プロフィール

イギリス留学を経て、スェーデンでオイリュトミーと出会う。1993年スェーデン・ヤーナオイリュトミー学校卒業。卒業後、地元の舞台グループでオイリュトミー活動。1999年、独自のアート追及のためムーヴィングアートカンパニーを設立。無体活動の傍ら、児童、青少年のための舞台グループや大人向けオイリュトミーコースにて指導。近年は65歳以上を対象に講座を持ち、そのメンバーで舞台を計画中。また和太鼓の普及にも力を入れ、2008年に和太鼓グループ「舞鼓」を立ち上げ、年に数回国内でコンサートを開催。HP www.movingart.se

 

 

 

名古屋オイリュトミーの会

1990年から続いているオイリュトミー愛好家の会です。現在は年間に数回の集中コース開催ですが、新旧の区別なくオイリュトミー好きや関心のある人が集まって動いています。  

 

  

ホロスコープと人間

ルドルフ・シュタイナーによれば、「人間はみな、この世に生まれ落ちる時、それぞれの誕生星位(ホロスコープ)を大脳皮質に刻み込んでくる」のだそうです。ですから、私たちのあり方は、誕生星位と分かちがたく結びついており、星々の運行や位置と響きあうのは、当然と言えば、当然なのかもしれません。人々は、それぞれ頭のてっぺんに星々とコンタクトするアンテナを乗っけてるなんて、想像しただけでも、何やらおそろしいような愉快な気分になります。

 

昨秋、ジュピター東海で開催した十二星座と人間・世界では、あっという間に席が埋まり、星を読むことへの関心の高さに、今更ながら驚きました。2018年ジュピター東海の「星祭り」は七夕の頃、再び丹羽敏雄さんをお招きします。今回はより具体的にホロスコープが読めるよう、地上での活動分野を示すハウスから、人生の謎を解き明かしていただきます。占星術入門講座の2回目ですが、初めての方も参加していただけます。

 

ところでハウスって何?とおっしゃる方も決して少なくないはず。

 

たとえば、明治、大正、昭和、激動の時代と呼応するように、歌人として、詩人として、作家、あるいはジャーナリスト、教育者として多彩、かつ真摯に生きた与謝野晶子のホロスコープを例にとって見てみましょう。出生地と生年月日だけの情報だと...

12月生まれの彼女は、火の射手座に太陽と金星が入っていて、土の牡牛座に、天体が固まっています。情熱の歌人と称えられた彼女の一面が窺えるのですが、ここに時間を、といっても、実際の出生時間は分かりませんが・・・例えば、夜の9時に生まれたとしましょう。時間を入れると、ハウスが出ます。

 

ほら、ぐっと立体的になってくるのがわかりますね。360度をきれいに12に割って、30度ずつに分かれて背景を作っていた12宮に重なって、其々の惑星が位置するおうち、ハウスによって分割されていきます。広いお部屋と狭いお部屋もあるし、太陽が5室にあるのと、12室にあるのとでは、自ずと活動形態も分野も異なってくるということなのですね~

 

 

そうそう、ホロスコープは誰でも簡単に無料で作れます。

私がよく使わせてもらっているサイトはこちら アストロドットコム

 
無料ホロスコープから「出生図、上昇点」をクリックして

下記のデータを入力します。

名、姓、性、生年月日、出生時間、出生地(国、町)

マイページを登録すれば、家族やお友達の分も作れてしまいます。

み~んな、ホロスコープ的まるはだかにされてしまいそう(笑)

こんなサービスが無料で且つ簡単に使えるなんてすごい時代です。

 

みなさま、ぜひ自分のホロスコープをもって集まりましょう!!

十二星座と人間・世界Ⅱ

―星々のことばで謎を解く―

丹羽 敏雄 津田塾大学名誉教授

 

日 時 2018年7月8日(日)

 第1部 10:30-12:30(開場10:00)

 第2部 14:00-16:00

会 場 ウィルあいち 会議室6

定 員 25名

参加費 5,000円

持 物 

各人のホロスコープ、筆記用部

 

お 問合せ・お申込みはジュピター東海

Email: jupiter.toukai@gmail.com

(担当 岩田)

T/F:0561-72-9612(中村)

詳細はHPでも バイオグラフィーワーカーズ・ジュピター

  

ダウンロード
十二星座と人間・世界Ⅱ
星々の言葉で謎を解く~占星学入門講座2回目
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スターオブべツレヘム

 

熟れていく春。

 

今年はスターオブベツレヘム(オオアマナ)の開花も

早いに違いないと、

小石川植物園に確認の電話をしてみました。

 

予想通り、

 

もう、かなり咲いていますよ

とのお返事。

 

今回の関東行きの目的地は伊豆高原ですが、

それを聞いては、このチャンス、

見過ごすわけにはいきません。

熱海を通り越して東京へ、目指すは小石川植物園。

 

ここのオオアマナは植栽したものではなく

自然に増えたらしいのですが、

特にここ数年、爆発的に増えているのだとか。

 

我が家の庭にも、数株のオオアマナはありますが

こんな見事な群生は見たことがない。

別格です。

 

だって、至るところ、ずうっと、スターオブベツレヘムなんです。

特に、メタセコイヤの林の辺りは木漏れ日の下で

埋めつくすように咲く、ベツレヘムの星々・・・

それは、まるで宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる

まっしろな河原。

一輪一輪、花の中で小さな火が燃えている。

 

なぜか、ジョバンニになった気分で、

うれしいのか、悲しいのか、幸福なのか、さびしいのか

分からなくなりました。 

スターオブベツレヘム(オオアマナ)の群生

我が家のスターオブべレヘムはまだこれから。

やっと蕾が顔を出したところです。じっくり楽しみます。

アントロで読む「なんじ自身を癒せ」第5章

第1章 第2章   第3章 第4章

 

小学生の頃、年の離れた姉から、何をだったかよく覚えていないのですけれど、好きなのを選べと言われて、どう答えたらいいのか困ったことを覚えています。それは、どう答えたとしても、馬鹿にされたり、否定されたりすることが分かっていたからです。姉から見れば、軽いいたずら、単なるからかいだったかもしれませんが、子どもの世界はかなり残酷です。私は家の中で委縮していた分、その反動で学校では自己主張の強い、アンバランスな子どもだったと我が身を振り返ります。後になってみれば、これも私が持つ課題のひとつだったのですけれど。

 

第5章は、そのように周辺からの影響を受けて判断が曇る人にとって、本当に大切なこと、守らねばならないことを、やや強い調子で語りかけます。

 

 

なんじ自身を癒せ エドワード・バッチ著(バッチホリスティック研究会刊)

 第5章  

「真の個性の欠如(つまり、人格への干渉を許し、その干渉によって「ハイヤーセルフ」の命令に従うのが妨げられる状態)は、病気を作り出すのにとても重要な役割を果たしますが、しばしば幼児期から始まります。ですから今度は、親と子、学校教師と生徒との間の正しい関係を見てみましょう。」

 

興味深い書き出しで始まる第5章は、おそらくバッチ博士自身の実感を伴っているのではないか、とさえ思わせる具体的な内容を持っています。私自身もそうでしたが、幼児期から幼い人格は周りからの干渉を受ける、というわけです。バッチ自身も自分の幼少期を振り返ったら、そうだったのかもしれません。

 

親は子どもを物理的に地上に誕生させる仲立ちであり、ある時期までその若い人格の養育を担う役割を持ち、その魂が、自分で自分の若い人格の面倒をみられるようになるまで、優しい愛と保護と導きを与えること、というのはそうありたいと思いますが、決して見返りを求めず、ただただ与え、邪魔をしてはならない、と言われて、確かにそうだとわかっても、ついつい親のエゴが顔を出し果たしてどこまでできるかは疑問です。

 

私は第5章を読むと、いつも思い浮かぶ詩があります。

カリール・ジブランの『預言者』の中の一節、「こどもについて」

 

あなたの子は、あなたの子ではありません。

彼らは生命が、自らを待ち焦がれて生み出した息子、娘たちなのです。

あなたを通って生まれてきたけれど

あなたが生み出したのではありません。

あなたと共にいますが、あなたのものではありません。

 

子どもに愛を与えることがあっても、あなたの考えをおしつけてはなりません。

子どもには子どもの考えがあるからです。

あなたは子どもの肉体を宿すかもしれませんが

子どもの魂を宿すわけではありません。

子どもの魂が宿っているのは明日の家、

あなたが夢の中でも訪れることのできない場所だからです。

あなたが子どものようになろうと努力することもあるでしょうが

子どもをあなたの思うようにしてはなりません。

なぜなら、生命は遡ることも、留まることもないからです。

 

あなたは弓であり、あなたの子どもは、そこから放たれる命ある矢。

射手は無窮の道の彼方にある的を見ながら

あなたを力強く引きしぼるのです。

その矢が速く遠く飛んでいくために。

あの射手に引きしぼられることを喜びとしなさい。

なぜなら射手は、飛んでいく矢を愛しているだけではなく

留まっている弓をも愛しているのですから。

 

親の立場に立つと、いつも試される気がします。子どもの成長の過程で、様々に夢を描くからです。子どもが矢だとしたら、ともすると親は自分が射手になってしまい、自分という弓を自分自身で引きしぼろうとするのです。どの方向に向けて矢を放とうとするのか。例えば、自分が他者に干渉をされて育ったら、それが正しいかどうかではなく、あえてそうではない方向へ向けて、矢を放とうとするかもしれませんし、これくらい飛んで当たり前とか、これくらいは飛んでほしいと望むかもしれません。

 

「私たちは強欲の奴隷になりさがって、他人を自分の持ち物のように動かしたいという願望に駆り立てられることを拒否しなければなりません。私たちは与える技術を自分の中で奨励し、それを発達させ、その犠牲で、それに反する行動が跡形もなく洗い流されるところまで行かなければなりません。」

 

これは親だけでなく。学校の教師に対しても言えることだと、バッチは述べています。そして子どもの側から言うと、親の使命は神聖なものであっても、子どもの発達を制限したり、子どもが進もうとする道~魂の命じる~生活や仕事を邪魔する存在ではないこと、義務として押し付けるような存在ではない、ということをしっかりと意識する必要があるというのです。ほとんどあらゆる家庭で、完全に誤った動機と、親子関係の間違った認識から、両親と子どもたちは自分で自分の牢獄をつくっています

 

これは本当に恐ろしいことです。自分の考えだと思っていたら親の考えだったり、自分の感情だと思っていたら、実は親の感情だった、なんてことは、よくあることです。私は誰の人生を生きているのでしょうか、という問いにぶつかって、はじめて自分を閉じこめていたのは自分だったということに気づく人も少なくありません。

 

下の図は、彼の人生をバイオグラフィーワークの七年周期の考え方に沿って描いたものです。19世紀の終わり、産業革命発祥の地であったバーミンガム近郊、鋳物工場を営むウェールズ人の家庭の長男として誕生したバッチは、自然を愛し、感受性の強い子どもで、幼いころから、癒し手になりたいという願望があったようです。医療者への道は、魂の命令として彼の心をとらえ続けていました。けれど、実際はどうだったでしょうか。この時代、おそらく、家業を継ぐことは当然の成り行きだったかもしれません。16歳で学校を卒業したのち、しばらく親の工場で働いています。大学へ行く資金を出して欲しいと父親に言えなかった、という記述が残されています。それから4年後、やっとバッチは父親に医者になりたい夢を伝えます。そしてめでたく医療の道へ進みますが、彼がまっすぐに自分の夢に進むことができなかったことだけは確かなようです。けれど工場労働者とともに過ごした期間は、のちにバッチが医師になった際、彼らの経済的、身体的不安、自然と切り離されることによる苦しみなど、他者理解につながる意味深い経験となったのは言うまでもありません。人生の経験に、無駄というものは何もないということなのかもしれませんね。

2018年春の植物観察会

春が来た!!とばかり、いよいよ今年も春の植物観察会が始まりました。前日から、ひとり大騒ぎしていた割には、出かける直前に仕事が入り、またしても遅刻。集合場所に到着したのは、1時間もあとになってしまいました。

 

年末で期限切れになっていた年間パスポートを新しく購入し直し、追いつきたい気持ちは山々ながらも、植物たちに挨拶抜きには前に進めません。エルムに始まり、クレマチス、オーク、バイン、ハニーサックルといつもの順に回るうち、どんどん時間は経って・・・合流する頃には、すでにおにぎりタイムとなっておりました。

薄曇りのパッとしない空ではありましたが、覚悟していたほどは寒くはなく、穏やかな春の一日。肝心の植物たちは、といえば、気温が低かった2月の影響からでしょうか、冬芽はまだまだ固く、オーク、ビーチ、ラーチ、トチノキも眠りの中。仄かに赤みを帯びた東海の森ですが、芽吹きには、もう少し時間がかかりそうです。

 

それでもマンサクやロウバイ、トサミズキやフクジュソウが花盛り・・・早春の黄色い花々の中で、ひときわ鮮やかなボケの赤。そして、待望のチェリープラムは蕾が膨らみ始めています。あと1週間もすれば!?

 

BFRP東海の植物観察会をリードする、隊長こと真由美さんは、観察会の前には必ず植物園を訪れて、植物たちの事前チェックに余念がありません。つまり4回くれば元が取れるという年間パスポートの活用具合は、私の比ではないということです。だからこそ、こんな素敵なシャッターチャンスにも出会えるのでしょう。

 

ホーンビームのそばの池周辺で「空飛ぶ宝石」カワセミを捉えた動画と画像。東山植物園にもいたんですね。ヒスイ色の美しい鳥。私もぜひお会いしたいわ。それにしても、こんな絵が撮れるって、なんて素敵なご褒美。


ヒュウガミズキ
フクジュソウ

例年、うっとりさせてくれるピンクネコヤナギは、早々と花を咲かせていました。通る人が皆、可愛い~と歓声を上げていきます。日当たりのよいところから、花が咲いて、ちょっと触れるだけで、花粉がフワッ・・・クシュン!

こちらの画像はななこさんから。レンズを通してみると、また別世界のように美しい。真由美さんといい、ななこさんといい、私もほしいな~上級カメラ。でも画像をもらえるだけで、もう十分うれしい。ありがとう。



 

BFRP東海主催、次回の植物観察会は4月4日(水)です。

ぜひご一緒しましょう。スケッチブックとおにぎりをもって。

詳細はBFRP東海のウェブサイト

お問合せはbach38tokai@yahoo.co.jp 

(「植物観察会隊長」嶋崎)まで

 

 

早春のクロイツニュースから

ウェブ版で見る場合はこちら


みなさま お久しぶりです。

冬眠していたわけではないのですが
春の嵐にようやく目覚めて
今年最初のクロイツニュースをお届けします。

厳しい寒さの冬を越えました。
木々も いま 華やかに
芽吹きの時を迎えています。

恒例の植物観察会も始まります。

でかけましょう!!
すぐそこにある 明るい色を見つけに。


 

クロイツ+今月のおすすめ
名古屋オイリュトミーの会主催
オイリュトミー集中講座2018

3/18(日)
言葉のオイリュトミーと講義
  過去・現在・未来のアルファベット
3/19(月) 
音楽のオイリュトミー
  インターバルと母音・子音
オイリュトミスト 横山守文/ピアノ 鈴木里美
会場: イーブルなごや(地下鉄東別院)文化活動室 他

 



BFRP東海は、東海地方で活動する
バッチ財団登録プラクティショナーたちのネットワークです
各企画の詳細は、 BFRP東海のHPブログ等ご参照のうえ
問合せ・申込みは各企画の担当者名を書いて、BFRP東海メール
bach38tokai@yahoo.co.jp へお送りください。
皆さま、ご一緒しませんか
バッチのおしゃべりランチ会 (対象:どなたでも)
日時:3/5(月)12:30~14:00
場所: 自然の薬箱 2Fカフェ&キッチン 
参加費:各自の飲食代のみ
担当:井神七子(要予約)

第19回 植物観察会 
(対象:どなたでも)
日時:3/7(水)10:30~14:30
場所: 名古屋市東山動植物園 植物園エリア
参加費:各自入園料500円を払い入園
持物:スケッチブック・色鉛筆・お弁当・ピクニックシート、ルーペ
担当:嶋崎真由美(要予約)

第91回 バッチの読書会
(対象:どなたでも)
「なんじ自身を癒せ 第5章」(11R)
日時:3/16(金)10:00~12:00
会場: 岩崎公民館2階 和室
参加費:500円 (当日集めます)
持物:バッチの遺産、マイドリンク、お菓子など
担当:岩田千亜紀(要予約)

第23回 レメディ研究部
(対象:BIEPレベル3以上)
日時 3/20(火)10:00~12:00
場所: 日進市岩崎公民館 
参加費:300円 テーマ「クレマチス」
担当:田中美帆子(要予約)

 

 

 

英国バッチセンターに認定されている日本で唯一の正規のプログラム
2018年のBIEP東海地方での開催日程のご案内

BIEPレベル1
愛知2日間 3/10.11(土日) 満席御礼 会場:名古屋市 ハート
岐阜6回月曜午前クラス4/9~  カナル 
愛知6回火曜午前クラス5/8~  ハート
愛知6回金曜夜クラス6/8~   ハート

BFRPスタンダートコンサルテーション研修
名古屋開催の年がやってきました。
該当する方はお申し込みをお忘れなく。

2018/4/21(土)会場:ウィルあいち      

お問合せ・お申し込みは  (社)バッチホリスティック研究会

BFRP東海の植物観察会が始まってから、今年で5年目の春を迎えます。毎年、ちょっとしたブームがあり、昨春のエースはなんといっても「エルム(近隣種ハルニレ)」でした。あちこちで見つけたエルムの開花情報がメンバー間で飛び交い、花とは気づけないほど地味な花に心奪われたものです。

上の画像は、東山植物園の満開のチェリープラム、ご存知、レスキューレメディにも入っている「理性のコントロールを失いそうな怖れ」に役立つレメディの花です。和名は「ベニバスモモ」、赤みを帯びた花びらと、名前のとおり、花のあとに出てくる葉の色も紅色ですが、本家、英国バッチセンターのチェリープラムの花は真っ白、葉は緑色です。学名は同じでも、このチェリープラムはその変種ということになるのでしょう。でも全く同じでなくても十分チェリープラムらしさを堪能できます。

春浅いイギリスの3月、バッチ博士は煮沸法の第1号として、チェリープラムからレメディを作りました。当時、彼は探し出すべき植物と呼応するかのように辛い心理状態に陥り、それが症状として身体に現れたと、ノラ・ウィークスは書き残しています。

辛い心理状態が初めにあって、症状として身体に現れた?
ふ~ん、症状にあわせたレメディではないってことね。
ここがバッチフラワーの肝心かなめのところ。

先日、久し振りに私は風邪をひきました。軽く罹って免疫をつけましょ、というレベルよりもうちょっと重症です。喉の痛み、咳、頭痛、だるさ、風邪をひく前から違和感のあった腰が、とうとうガクガクになって立つことができなくなりました。日頃の元気はどこへやら。

風邪をひく前の気分はというと、年末からずっと気の抜けない状態でしたから、マラソンを走っている感じでした。もちろんその状態を楽しんでいましたから、忙しくても苦痛ではありませんが、実際かなり疲れていました。で、ちょっと一息つけそう...ドタッ、となったわけです。私の風邪は疲労から、休みたい気持ちが引き金になったとも考えられます。ここではオリーブやオークのレメディが思い浮かびますね。

身体の自由がきかなくて、急に年をとった気分になり(既にいい年ですが)、私はひどく落ち込みました。なぜこんなに落ち込むのか。それは身体症状から来たのかもしれませんが、寝込んでいる時には身体と心がバラバラになって、その境目が分からなくなりました。ところが回復してくるにつれ、それまでふわふわとどこかを漂っていた「わたし」が、ある時「私」という器にカチンと入って、突然、元気が戻ってきました。生まれ変わった気分といえなくもありません。身体にはまだ結構な痛手が残っていても、です。これって本当に興味深い、風邪の効用です。

で、朦朧としていたその間に気づいたのは、年明けから始まった隣地の造成工事のことでした。それまでこんもりと木立に囲まれて(守られて)いた我が家の南面は、今やすっかりあらわになってしまいました。ブルトーザーやショベルカーが一日中動いていて、これまでの緑豊かな風景は見る影もありません。庭の植物たちも戸惑っていることでしょう。こんなに陽が当たるようになっただなんて。風通しもよくなって悪いことばかりではありませんが、本音をいうと悲しくてたまりません。あゝ、もうここから出ていくしかない(いやいや、それは飛躍しすぎ?)、と私は甚だ落ち込んでいたのです。いやはや、ゲンチアナでしたね。

仕事を楽しみ、サイトの更新はしていても、クロイツニュースが書けなかったのは、そんなことが私を冬眠に追いやっていたのかもしれません(アグリモニーな私)。

あるときは突然、ある時はじわじわと、心が痛手を負うと、何かのきっかけで身体に不調として表れる、また免疫力に変調をきたすなど、これまでにも実感としてありましたが、今回の全く無自覚でいた私の落胆と風邪の関係も、バッチ博士が言うように、「心は体の中で最もデリケートで感じやすい部分なので、身体よりもずっと明確に病気の兆候とその進行をよく物語ります。」ということになるかもしれません。となると、重篤な病ではなく風邪でバランスが整うなら、むしろ、こんな有難いことはないというべきでしょう。


さて冒頭のチェリープラム、あの年の春、私たちは皆、チェリープラムに夢中でした。つぼみの膨らむ頃から、入れ代わり立ち代わり、何度も何度も植物園に足を運び、リアルタイムに届くメッセージに惹かれるように、なかば狂おしく、チェリープラムに会いに行ったものです。すぐそばには、見事な桜の園があるのに、全く目もくれず、恋焦がれるように、ただひたすらチェリープラムだけを見ていました。それは止めようにも止められない、まさにチェリープラムの気分でした。

今年もそんな季節がやってきます。今年はどの植物がエースの座を射止めるか。
もしご都合がつけば、3月7日10時半 東山植物園門に集合!

皆さま、どうぞよい春をお過ごしください。

中村かをる
  * * *
最後まで読んでくださり有難うございました。愛と感謝をこめて。

このメールはクロイツにご縁のある方、BIEPを学ばれている方にお送りしています

配信不要、アドレス変更の場合はご遠慮なくご一報ください

アントロで読む「なんじ自身を癒せ」第4章

第1章 第2章   第3章

 

第4章は、いきなり「ですから病気に関しては」と、始まります。つまり前章を受けた内容であるということが分かります。第4章は、この本の中で最も長い第7章に次いで長い章ですが、主として述べられているのは、第3章で出てきた七つの欠点に対する克服の仕方です。症状や病気の根本原因に欠点があると考えたバッチ博士は、その欠点をどうすれば美徳に変えていけるのかを教えてくれるわけですが、いかんせん、なんとも難しい...(-_-;)

 

今回の読書会は、会場の利用期限が迫っていて、日にち優先で予約したため、珍しく参加者が少なかったのですが、それだけに滅茶苦茶、濃厚。私はいつも以上に楽しみました。

 

なんじ自身を癒せ エドワード・バッチ著(バッチホリスティック研究会刊)

 第4章 

 バッチ博士は、病気は偶然に起こるものではなく、「原因と結果の法則」に則っているとしています。つまり、病気になった場合、その人自身に原因があり、その原因とは、もちろん外的要因(事故や障害、毒物など物理的、直接的に引き起こされる)が関わっている場合もありますが、ほとんどは誰のなかにも存在している欠点が引き起こす葛藤~本来の自分(魂)と低次の人格と間で起こった葛藤が病気に繋がっていく、としています。だから病気になった時の治療のポイントは2つ、1つ目は治療のために出来るだけ最善の物理的手段を講じること、そして2つ目が、バッチ博士が最も力説するところの、能力の限りを尽くして、自己成長~自分の欠点をなくす努力をしなければならないということです。

 

「私たちは自分の中にある、どんな欠点でも探し出し、それとは反対の美徳を発達させることによって、その欠点を洗い流すことができるでしょう。そうすれば自分の性質から、病気の重要な基礎原因となっている「魂」と人格の葛藤の原因が除去されます」

 

では、自分が探し出した欠点の、反対の美徳って、具体的にはどんなものなんでしょう?

 

こういう質問が、これまでの読書会でも度々出てきました。

具体的に、バッチ博士は、傲慢さ、残酷さ、憎しみ、自己愛、無知、不安定な心、強欲、各々の欠点に対応する美徳を挙げていますが、いざ、それを実行するとなると、決して簡単ではないことはすぐにわかります。なぜなら、既にそこで葛藤が起こってしまうからです。

 

たとえば、「不安定さ」に対応する美徳は、自己決定力を発達させること。ふらついたり、うろついたりせず、決心して断固として物事にあたることを通して、不安定さを根絶やしにできる、というのですが、そういわれて、即座に実行でいる人がどれくらいいるでしょう。

 

それができたら、誰も苦労しないわ、という声が聞こえてきそうです。

 

でもバッチ博士は、是非とも「そうしましょう」と言います。たとえ間違いを犯しても、それでも行動しましょう。決断力はすぐに成長して、人生に飛び込んでいく恐怖は消えるでしょう。私たちの心は経験を積むことで、よりよい判断をくださるようになってゆくでしょう。

 

というように、各欠点ごとに、具体的だけれど難しい美徳を育てる治療方法を述べてくれてはいますが、実行は無理だろうと言いたくなる気持ちをぐっと抑えて、少し視野を広げて第4章全体を眺めてみると、なかなか面白いことに気付きます。

 

つまり欠点に対して具体的な行為で対処できるよう書いてはいますが、その行為の根本にあるのは、バッチ博士の宇宙観や人間観なのです。行為に働きかけるのではなく、実際にはそれらの源にある「認識」に働きかけようとしているのです。

 

私たちがより一層学んで理解しなければならないのは、あらゆる人間は、どんなに卑しくても「創造主」の子であり......

 

正しいか間違っているか、よいか悪いかは、純粋に相対的なものです。自然の進化の中では正しいことが、我々の文明のより啓蒙された人にとってはまちがいでしょう......

 

私たちが誤りとか悪とか呼んでいるものは、真実を言えば、場違いなところに置かれた善であり、それゆえ純粋に相対的なものです。さらに私たちの理想追及の基準もまた相対的であることを覚えておきましょう。

 

相対的であるというのは、どんなに客観性を持ってきたとしても、固定できないことになります。好きとか嫌いとか、これは善いこと、悪いこと、と決める基準はどこにあるのでしょう。実際、地域や文化、時代によって、それは流動的です。自分の善きことへ向かう行為の源泉にあるのが「偽りの義務感」でないことを、意識する必要がある、唯一耳を傾けるべきは、魂の命令、良心、すなわち神的叡智に自分を照らしていくことを求めているわけです。

 

これは、いみじくも第5章のテーマへと続いていきます。

2月のバッチフラワーレメディ

インパチエンス

バッチセンターのインパチエンス

バッチセンターのインパチエンス

インパチエンス

カテゴリー 淋しさ

英名 Impatiens 
学名 Impatiensu Royleii
和名 ツリフネソウ
キーワード  苛立ち、せっかち、焦燥感

 

なんでも即座に考え、行動を起こし、すべてのことを躊躇したり遅滞することなく済ませたいと考えているタイプです。病気の時には、すぐに回復しないかと案じます。行動ののろい人に我慢ができず、遅いことが悪いことであり、時間の無駄だと考え、その人たちをなんとか急がせようと努力します。また自分のペースで物事を運ぶことができるので、独りで働いたり、考えたりする方を好みます。

Dr.Ed Bach「12ヒーラーとその他のレメディ」より


ウェールズ アスク川、クリックハウエル橋たもとに咲くインパチエンス 

 

2018年2月の「レメディ研究部」のテーマはインパチエンス。バッチ博士が一番最初にレメディとして見つけた植物です。日本では、ホンセンカ(I.balsamina)として馴染みがあり、子どもの頃、近所の植込みの、ホウセンカの鞘に触って、種がはじけ飛ぶのを見て遊んだ記憶が私にもあります。この花の属名Impatiens は、ラテン語の「我慢できない」、「耐えられない」の意で、これはまさに種がはじけるジェスチャーに由来します。バッチ博士が『なんじ自身を癒せ』を出版する約2年前、強い衝動に駆られて訪れたウェールズ、アガバベニーからクリックハウエルにかけて流れるアスク川の畔で、バッチを迎えたのはインパチエンスの群落でした。冒頭の画像は、バッチが歩いたであろう、アスク川の川沿いの道に今も咲くインパチエンス。その時、バッチはどんな思いでこの花を見たのでしょう。 

 

何がバッチを急にウェールズに旅立たせたか?という疑問が浮かびますが、その理由は明かされていません。けれどこの花に関してはこんなことが書かれています。

 

他の人々が博士ほど鋭敏でなく、博士の思考の道筋をたどるのが遅くて、博士が短気になりがちな時期があった。これが起こると、博士は直ちに身体上の反応が起き、赤くてひどくヒリヒリする吹き出物が突然現れたものだった。すると博士はよくこう言った。「ほら、僕が君にいらいらすると、君よりも僕の方に余計害が出るんだよ!」インパチエンスを一度服用すると、博士のユーモアが戻り、しばらくすると吹き出物が消えるのだった」『フラワー・レメディ-・ハンドブック』P.M.チャンセラー(中央アート出版)

 

バッチは原因不明の湿疹に悩まされていたと聞きますが、その性格は、短気、せっかち、自分の思うペースで事が進まないと苛立つといった傾向を強く持っていたようです。上記の言葉からは、そういった自身の傾向と身体症状(湿疹)とを結びつけていることが分かります。けれど真の癒しを求めていく道すがら、バッチは自分と同じような傾向を持っているにも関わらず、全く異なる症状を訴える患者がいることにも気づいたのでしょう。そこでこう述べています。

 

患者の病ではなく、パーソナリティーを治療するというのが、新しい薬学体系の原則でした。『心を癒す花の療法』ノラ・ウィークス

 

バッチ博士がそれまでにはなかった、新しい次元から、病いを捉えようとしたことは明らかです。そして「パーソナリティを治療する」ための最初の植物として、奇しくもこのインパチエンスが選ばれたのは、バッチの性格的傾向~つまり欠点がレメディ発見の第一歩へと導いたということになります。本人を苦しめるネガティブな傾向が、ひっくり返せば恩恵をもたらすこともある、ということは、とりもなおさず、バッチが「病気は残酷だけれど恩恵」と捉えたことに通じるのかもしれません。

インパチエンスの群落 イギリス、デボン州

こちらはイギリス・デボン州、小川の周辺に広がっていたインパチエンスの群落。見上げるほど背が高く、2メートルは越えています。背景にある小屋の屋根まで届きそう。一年草なのに、あっという間にここまで伸びる成長の早さ!すべてに急ぐインパチエンスタイプは、その指標に表されている通り、何よりスピードが優先するのです。  

インパチエンス イギリスバッチセンターで
インパチエンス イギリスバッチセンターの内庭で

2006年の秋のはじめ、私が初めてバッチセンターを訪れた時に咲いていたインパチエンス。レメディには、淡い藤色のインパチエンスのみが使われています。まっすぐ直線的に伸びた茎が、あるところまで成長すると、上に向かう力が堰き止められて、今度は曲線的な、たゆたう釣舟のように浮かぶ花が現れます。茎に見る意志的な方向性と、花姿に見る受動的なジェスチャー、直線と曲線、男性性と女性性の融合。イライラするたび、湿疹に悩まされたバッチ博士は、この花からのメセージを観察と直観から受け取ったのでしょうか。

 

宮崎県秋元神社で見つけたツリフネソウ
宮崎県秋元神社で見つけたツリフネソウ

この2つの画像は宮崎県高千穂の秋元神社の裏手の木立の中でひっそりと咲いていたもの。日本でツリフネソウを見たのは初めてでしたから、かなり興奮しました。イギリスで見たインパチエンスの直立した強さとは桁違いの可憐で繊細な山野草という雰囲気です。花も小ぶりで、茎もせいぜい30㎝くらいでした。 

時間の流れ方は人によって異なります。まるで時計の秒針のように目まぐるしく動く人もいれば、短針のようにゆっくりと時が推移する人もいます。そういう人たちが一緒に何かをすることになったら、歩調が合わないのは当然です。スピーディなインパチエンスタイプの人は、あっという間に先へ進んで行ってしまうでしょう。ふと気づいて周りを見回せば、自分は一人。うんと後から楽しそうにのんびりやってくる人たちを見て、イラっとすると同時に、ちょっと淋しい、と感じるかもしれません。

 

インパチエンスは「淋しさ」のカテゴリーに分類されていますが、初めてバッチを学んだ時、なぜ、てきぱきと仕事の早い有能な人が孤独のカテゴリーに入れられているのか、しっくり来ませんでした。職場でも学校でも、仕事の遅い人よりも、早い人のほうが評価されますし、みんな追いつけ、追い越せと急ぐなら、置いてきぼりになっているのろまな人より、仲間も多い気がします。現代的、物質的な価値で言えば、同じ時間内にたくさんの仕事や成果が効率よく出せたなら、そんないいことはないと、どこかで思っている私もいます。

 

でも、仲間と力を合わせて何かを成し遂げた時の充足感や、そのプロセスがもたらす、えも言われぬ美しさは、一人でちゃっちゃと決めて動いて結果を出した時とは、決定的に何かが違います。それは定量化できない豊かさと言い換えることができるかもしれません。他者と歩調…いえ、それ以上に、呼吸が合わないということは、共感や共有できることの絶対値が少ないのは当然の成り行きですから。息を合わせることの難しさは誰もが経験的に知っています。だからこそ、息がぴったり合った時の高揚感は、「生きる喜び」と言っても過言ではないでしょう。

 

バッチは自分自身を含む、インパチエンスの感情のありようを、「淋しさ」に分類しました。バッチは一人この道を歩くことは、魂の仕事と分かっていても淋しかったでしょうか?その問いを突き詰めていくと、孤独というものの意味を考えずにはおれません。淋しいという感情はどこまでいっても主観的ですが、それがいったいどういうものなのか、どこから来ているのか、などと考え始めると、今度は思考の領域に入っていきます。思考は感情と違って客観的な世界です。

 

孤独であることは、人間の内的成長にとって、とても重要であり、主観と客観を行ったり来たりしながら、私たちは視野を広め、柔軟性を育てます。そこへ至るために、孤独の経験は必要欠くべからずものです。でも、インパチエンスの在りようが、単に人と人が有機的につながらなくなってしまう孤立だったとしたら...現代が孕む個人の危機を、バッチは既に予感していたような気がします。バッチって凄い!!

 

 

12月のバッチフラワーレメディ マスタード

11月のバッチフラワーレメディ ワイルドローズ

10月のバッチフラワーレメディ ハニーサックル


こんなの書いてたことも

月のリズムでバッチフラワー

新月から満月へ~満月から次の新月へとレメディを

1種類ずつ飲んでは、感じたことを書いています。(18種)

アントロで読む「なんじ自身を癒せ」第3章

第1章 第2章

 

本の前書きにも記されていますが、この本が出版されたのは1930年。それはバッチ博士がそれまでに築き上げた「名声と業績をすべて捨て、本格的にバッチフラワーレメディ探索の旅に乗り出した初期の時代」です。

 

当初バッチ博士は、感情のバランスの崩れと身体症状とを直接関係づけていました。第3章の冒頭で、「人間には一つの重大な苦悩しかない、それは身体の不調あるいは病気」だと述べていますが、それほど、バッチにとって、病気は最重要課題だったのです。その理由は医者だったことはもちろんでしょうけれど、バッチ自身が病の経験を持っていたことと関係があるかもしれません。

 

なんじ自身を癒せ エドワード・バッチ著(バッチホリスティック研究会刊)

 第3章 

  バッチ博士がとても健康に恵まれていて、身体に無自覚でいられるほど頑強だったら、絶対にバッチフラワーというものは生まれてこなかったはずです。

 

今の世の中、自分の感情に蓋をして、見て見ぬふりをすることなど、ごく当たり前ですから、病気とストレスとの関係は、すでに広く認められていることです。だから「身体は正直」なんて言葉は、今更なにを、という感じですが、身体の不調が窓口になって、よからぬ生活習慣や、心に溜まった澱のような感情に気づかされることは、珍しいことではありません。人からも自分からも、見えない心はごまかせても、物質的な身体は痛みや不調となって現れるからごまかせないというわけです。

 

だから、身体に出るまで不調に気付かないでいてもいい、それまで待つ、必要は全くないのです。『なんじ自身を癒せ』の後に出版された『12ヒーラーズとその他のレメディ』には、「心の状態こそが身体よりも明確に病気の兆候とその進行を物語る」と述べられています。つまり、正直な身体の影には、不正直な心や思いが隠されていて、バッチの言葉を借りるまでもなく、身体に現れてくる前に、自分で自分の心を観る練習を積んでいけば、病気は予防できる、ということになります。そしてたとえ病気を得たとしても、自分と正直に向き合い、バッチが言うところの「欠点」を洗い流していけば、やがて痛みは軽減され、病は快癒に向かうということになるのですが...

 

でも悲しいかな、そうはいかないのが人間です。

 

第3章では、バッチ博士は病気の根源にある欠点が、まさしく病気と呼ぶものだと定義づけていますが、バッチフラワーのシステムが完成するまでの道のりの途中、バッチ博士がここを通ったということが、私にはとても興味深く思えるのです。

 

それはきっと、バッチ自身が、自分の欠点と向き合っていたに違いない。

と確信するからです。

 

幼い頃から繊細で病弱だった少年バッチは、大人になってからも、時々、自然の中に逃げ出さないではおれないくらい、感応しやすい傾向を持っていたようです。30代前半には死線を彷徨う大病にも罹っていますし、50歳で亡くなったのも、彼が決して健康的なタイプではなかったことを物語っています。となると、バッチフラワーのシステムを完成に導いたのは、まぎれもなく彼の病弱さであり、彼は彼自身の身体の不調の観察を通して、自分の欠点と向き合い、結びつけていったことにあるのではないか、と思うのです。

魂と身体の不調和の結果として、病気という症状があるのだから、結果だけに対処するのではなく、その根本になっている不調和からくる誤った行動を見なくてはならないと記していますが、読んでいてガツンとくるのは、行動、つまり行為と言っているところです。

 

バッチ博士は、この著書のあちこちで、魂の声に耳を傾けるとか、魂の目的を生きる、というようなことを述べていますが、どんなに崇高な思いや、心に愛があっても、具体的な行為として、それを実行してなければ、調和がとれていないということなのです。

 

バッチが言うように、傲慢さ、残酷さ、憎しみ、自己愛、無知、不安定な心、強欲、こういった欠点が、人間の本当の病気だったとしたら、悲しいけど、病気って、絶対、なくならないよな、とも思います。なぜなら、それが人間というものし、だからこそ、その人らしいというか、魅力的だともいえるのですから。

 

そして、バッチはこう続けます。

 

「私たちのなかで、心や体を病んでいる人は、まさにその病気によって、そういう理想的な状態に向かって導かれつつあるのです・・・苦しみは、私たちが誤った道を進んでいるときにそれを指摘し、輝かしい完成への進化を早めてくれるという点で、それ自体が恵みだからです。」

 

もし私が今、重い病を患っていたら、これって人から言われたくない。言われたら、絶対、素直に聞けない。あなたはいいわよ、健康なんだもの。高みからきれいごとが言える、って思ってしまう。そう、だから、これは病んでいる人が自分で自分に言うセリフのはずです。バッチ流にいえば、バッチさんが、自分の魂は、居心地の良い身体という器の中に安らいでいて、それでこんなセリフを吐いたとしたなら、それこそ傲慢の極みでしょう、って思うわけです。

 

バッチの植物探究の旅を辿っていくと、バッチにはきっと心だけではなく、身体にも、痛みや痒み、焦燥感や苦痛があったのだろうと思います。でなければバッチの言葉が、これほど心の奥深くまで響くはずがないですから。

 

「傲慢」は心の思い上がりと硬直で、体がこわばって硬直するような病気への引き金になる。そして痛みは「残酷さ」の結果。「強欲」で他人に対する支配欲の強い人は、病気によって欲望や野心にくつわがはめられ、奴隷のように自分の身体に仕えねばならない病気になる、などなど。こういうことを、実際その病の渦中にある人、あるいは家族が聞いたら、さぞや腹が立つことでしょう。そしてそれはすべて因果の法則・・・カルマによるものだとしています。

 

カルマの法則は、物質レベルのようには、原因と結果が分かりやすくは結びついてはいませんが、バッチ博士のカルマとは何だったでしょう。20世紀初頭に生きたこと、産業革命の中心地であったイギリス・バーミンガム郊外に生まれたこと、第1子であったこと、男性であったこと、繊細で優しく、そして身体が弱かったこと、とても頭がよく、そのため人と歩調を合わせるのが難しかったこと、などなど現実として現れているものの向こうに、才能と障害として認めることができます。

 

第3章の最後はこう結ばれています。

 

しかしそうはいっても、がっかりすることはありません。病気の予防と治癒は、私たち自身の内部の誤りを見つけ出せば、そしてそれを破壊する美徳を熱心に発達させてその欠点を根絶やしにすれば、可能なのです。それは誤りと戦うことによってではなく、私たちの誤りを洗い流してくれるような、誤りと反対の美徳を洪水のように流し込むことで可能になります。

 

でたー!!!という感じです。

アロパシーでも、ホメオパシーでもなく、これこそがバッチフラワーの真髄。

 

ポジティブですべてを満たす・・・だから結局、バッチはそれまでの医療を背後におき、自然界の美しい植物からレメディを作る旅に出なければならなかったのでしょう。

 

言葉足らずでごめんなさい。

もっと的確な言葉が出てこなくてもどかしい。 

1月のバッチフラワーレメディ

スィートチェストナット

栗の花の蕾

スィートチェストナット

カテゴリー 失意と絶望

英名 Sweet Chestnut 
学名 Castanea Vulgris,Castanea Sativa
和名 西洋グリ
キーワード  絶望、魂の暗闇

 

苦痛が余りに大きく、耐え難いと感じられるときのためのものです。心や体が忍耐の究極の限界を越えると感じて、もう屈服するしかないと思われる時に使います。眼前に崩壊や破滅以外の何ものもないように見える時のためのレメディです。

Dr.Ed Bach「12ヒーラーとその他のレメディ」より


スィートチェストナット デボン州にて

 

2018年1月の「レメディ研究部」のテーマはスィートチェストナット。♬大きな栗の木の下で~🎵と、幼い頃に歌ったあの栗がスィートチェストナットです。もっとも西洋グリですから、私たちが目にする栗とはちょっと違うかもしれませんが、私はバッチフラワーを学び始めた時、スィートチェストナットのどこが、「失意と絶望」の極みを表しているのかが、疑問でした。ところが2013年の夏、デボン州コッキントン村を訪ねた時のことです。まるでここは天国か、と思うほどに美しい風景の中を歩いていると、突然、傾いた大きな木が、薄暗い木漏れ日の中に現れました。幹は身悶えするようにねじれ、広げた枝は重力に耐えかねて大地に引きずられているみたい。ううう。なんて苦しそうな木なんだろう・・・近づいて葉っぱを手に取ると、あっ、これは? そうです!!それがスィートチェストナットでした。樹形やジェスチャー、すべてから深い苦悩が漂っているかのようで、思わず私は言葉を失いました。

こちらは冬のスィートチェストナット。見事な巨樹です。落葉樹は冬になると、骨格がはっきり見えて、それも樹木観察の楽しいところです。それにしても、この木、見れば見るほど、ちょっと怖い。夜、この木に出会ったらお化け?!とギョッとするかもしれません。まるで生きているかのようにうごめく幹と折れ曲る枝。ハリーポッターに出てきそう。ところが、興味深いのはその花です。とてもエネルギッシュに、吹き上げるように咲きます。そしてその匂いったら!遠くからでも、あ、クリの花が咲いている、と分かるほど。超々強烈!!

  

12月のレメディで取り上げたマスタードは、はっきりとした理由もないのに、突然暗闇に閉ざされてしまった気分のときに使いますが、カテゴリーを見ると「現実への無関心」に分類されています。つまり鬱々として、今を生きることができない状態ということになります。そして、魂の暗闇を示すスィートチェストナットが分類されているカテゴリーは「失意と絶望」です。そのカテゴリーが表している違いはなんでしょう?

 

ある方が、スィートチェストナットの状態になっていた時、ワイルドローズの指標(無気力・放棄、カテゴリーはマスタードと同じ「現実への無関心」)の説明を聞いて、「私、ワイルドローズになりたいわ、諦められたらどんなにか楽かしら」と言いました。確かに、スィートチェストナットの状態は、四面楚歌、もがいても、もがいても救いがなく、どうしようもない状態を指しますから、ワイルドローズのように、現実を諦めて放棄し、向き合おうとしないでいられたら、確かに楽かもしれません。では、どっちの精神状態が重症なのか、と考えてみると、私にはワイルドローズのように思えるのです。

 

苦悩の具合は人によって異なりますから、スィートチェストナットは、めったに使わないレメディというわけではありません。自分なりに頑張った挙句、それでも、もう駄目だ、と思うことは誰でもありますし、逆説的ですが、失意や絶望というのは、結局、諦められない、ということからくるのでしょう。そしてそのこと自体に救いがあるようにも思えるのです。何故なら、失望は、期待や希望の裏返しですし、絶望は、諦めきれないところから起こってくるからです。つまり、人生に対して希望や愛を持っているということにほかなりません。

 

人生を愛するということは、人生を信頼することと同じです。どんなに人生に裏切られたと感じることがあっても、諦めないということは、希望があり、それは未だ、プロセスの途上だということになります。人生に起こる様々な出来事の結果は、うんと後にならないと分からないものです。人生にはどんでん返しなど、当たり前に起こりますし、手ひどい仕打ちを受けて、スィートチェストナットになったとしても、自分を、そして自分の人生の波を信頼していく力を失わなければ、必ずその出来事、そこでの経験は、よき働きへとつながっていきます。もがくだけもがいたら、どうか自分を、「よく頑張ったね」と褒めてやってほしいものです。溺れそうなとき、おそるおそるでもいいから、手足を伸ばしてみてほしい。そうすれば、心に静けさが甦り、自分が今生きている、ということが分かります。そして困難や苦悩の向こう側に、それまで隠されていた成長の果実があることに気付かされ、それを越えたからこそ、手にすることができるという人生の妙味を、スィートチェストナットは教えてくれている、といつも思うのです。

ウェールズのワイルドローズ

10月のバッチフラワーレメディ ハニーサックル

11月のバッチフラワーレメディ ワイルドローズ

12月のバッチフラワーレメディ マスタード


こんなの書いてたことも

月のリズムでバッチフラワー

新月から満月へ~満月から次の新月へとレメディを

1種類ずつ飲んでは、感じたことを書いています。(18種)

師走のクロイツニュースから

ウェブ版で見る場合 Webページ版をクリック    

闇がなければ光はなかった
闇は光の母
・・・
人間は母の胎内の闇から生まれ
ふるさとの闇へと帰ってゆく

つかの間の光によって
世界の限りない美しさを知り

こころとからだにひそむ宇宙を
目が休む夜に夢見る
・・・
光を孕み光を育む
その愛を忘れてはならない
谷川俊太郎「闇は光りの母」より抜粋 


 

クロイツ+今月のおすすめ


メルヘン・ソロ オイリュトミー舞台

三枚の札コ
世界でいちばんきれいな声
ソロ発表~シュタイナーフォルムによる
オイリュトミー講座
~メルヘンの登場人物になって

2018年2月18日(日)14:30(開場14:00)
イーブルなごや ホール 地下鉄東別院 
オイリュトミーあかね塾
詳細はこちら

 

 

 

 



英国バッチセンターに認定されている日本で唯一の正規のプログラ
2018年のBIEP東海地方での開催日程のご案内

BIEPレベル1
1/12~ 岐阜6回金曜クラス  カナル 会場:可児市親子カフェ
2/17~ 愛知6回土曜クラス  ハート 会場:名古屋市 ハート
3/10.11 愛知2日間(土日)   クロイツ 会場:名古屋市 ハート

BIEPレベル2 
   
2018/2/3.4(土日2日間) 会場: Heart (ハート)      
お問合せ・お申し込みは  (社)バッチホリスティック研究会


冬至、クリスマス、聖夜の闇に生まれた清らかな光を内に抱き、私たちはまもなく年の瀬を渡ります。この一年、大きなトピックスがあった人も、なかった人も、皆等しく、未来は現在に、現在は過去に、過去は未来へとつながっていきます。時のタクトは均等に打たれていても、ある記憶は何度も巻き戻され、強化され、またあるものは先送りされ、忘れ去られたりするものだというのは、本当に興味深いことです。

今年7月、イギリスからの帰国途中、成田で国内線に乗り換えて名古屋へ向かったときのことです。夕映えが名残惜しそうに消えていく黄昏、町々や道路に明かりが灯り、眼下に青く浮かぶ富士山が見えました。突然、温かいものが私の中に流れ込み、素直にこの国が大好きだと思いました。そしてそれは、この地に生きる人々をも指していました。セントレアが近づき、機体が降下を始めると、イメージはさらに明確になり、家族や友人、仲間など一人ひとりの顔が浮かんできました。何とも言えない充足感に包まれて、これが「愛」と名付けられたものなのだと、深く悟りました。気づいたのはもう一つ、その日常にはなかった、上空から世界を見下ろすという視座のちがいです。

冒頭の谷川さんの詩の中に、「光がなければ眼はなかった/眼は光りの子ども//目に見えるものが隠している/目に見えぬもの」という一節があります。見えているのに何も見ていないことや、思い込みや癖で見えなくなっているものがいっぱいあることは、わかってはいても、立ち位置を変えたり、全体を見渡すパースペクティブな視野はなかなか得られません。

そんなときの心強い味方は、他者の視点です。これまでBFRP東海では毎月、読書会やレメディ研究部で、グループで読み合ったり、話し合ったりすることを続けていますが、それこそ、参加する人の数だけある視点の違いにハッとしたり、経験や知識を越えた新鮮なまなざしにはどれほど鼓舞されることでしょう。

そんなところから、今秋、読書会が11巡目に入ったのを機会に、第1章から自分なりの読み方を記録しておこうと思いました。またレメディ研究部で取り上げた植物に関しても、その時々、初心に立ち返って私のレメディ観を書いていきます。一巡りする頃にはまた違う宝探しができるかもしれませんが、よかったらぜひお付き合いください。

ブログ
12月のバッチフラワー マスタード
なんじ自身を癒せ 第2章

12月25日から1月5日までの聖十二夜では、毎夜見る夢で新たな一年を占いますが、私は見た夢をすぐに忘れてしまうので、これまでに十二夜すべての夢を書き留められたことがありません。今回はどうかしら。ともあれ眠りの前後、微睡みの時をいつも以上に丁寧に過ごし、欲望から希望へと、ゆっくりとまた着実に歩んでいきたいものです。

すべての人のうちに宿った光が、尊く厳かなものでありますように。クリスマスの祝福が皆さま一人ひとりの上にありますように。今年一年、ありがとうございました。新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。中村かをる

  * * *
最後まで読んでくださり有難うございました。愛と感謝をこめて。

このメールはクロイツにご縁のある方、BIEPを学ばれている方にお送りしています

配信不要、アドレス変更の場合はご遠慮なくご一報ください

 

クロイツ 中村かをる
* * *
愛知県日進市岩崎町石兼56-72

Tel/Fax:0561-72-9612  info@kreuz7.com

KREUZ+ https://kreuz7.com

12月のバッチフラワーレメディ

マスタード

蝶々♪ 蝶々♪ ツマキチョウ(♂)がやってきた!

マスタード

カテゴリー 現実への無関心

英名 Mustard 
学名 Sinapis Arvensis 
和名 ノハラガラシ
キーワード  理由のない、深い憂鬱感

 

憂うつな気分や、時には絶望的な気分さえが、まるで冷たい暗い雲のように覆い被さり、人生の光や喜びを隠してしまうように感じる人のためのものです。何故、ふさぎ込むのかその理由が分からず、説明することができないこともあります。このような状況下では、幸せそうに振舞ったり、楽しそうにすることはほとんど不可能です。

Dr.Ed Bach「12ヒーラーとその他のレメディ」より


今月のレメディ研究部のテーマはマスタード。太平洋側ではあまり実感がないものの、昼が短く、闇が最も深くなる冬至の頃に、光輝くマスタード(からし菜)を取り上げるのは、なかなか興味深いことです。日本では春、菜の花畑が話題になることはあっても、マスタードはあまり聞きません。でもイギリスではこんな風景に出会えます(この画像はドーセット州)。私が野原に広がるマスタードを初めて見たのは、ヨークシャーでした。ロンドン・キングスクロス駅から北へ向かう列車に乗り、1時間もしないうちに車窓を流れていく、まるで金色のパッチワーク!! 青空の下、陽の光を集めてまばゆく輝いていたマスタードとの出会いでした。その年のヨークの夏は遅く、6月半ばというのに、寒さに我慢できず、厚手のカーディガンを買ったことを覚えています。

 

この画像は、娘が通っていたボーディングスクール(ヨーク)の敷地内に広がっていたマスタード。当時、日本人の留学生はほとんどいない北の地に、12歳で渡った彼女はブリストルの大学へ行くまでの6年間をここで過ごしています。小学校卒業と同時に親元を離れ、見たこともない国の、おぼつかない英語での生活には、驚きや喜びとともに、どれほどの苦労があったことか。いくら守られた環境とはいえ、そこで積み重ねられた彼女の「時」を思うと、誇らしくもちょっと胸が痛みます。マスタードが咲く季節、彼女はどんな思いでその風景を眺めたかしら。案外、覚えていないかも。(笑)

 

緯度の高いイギリスの冬は、極端に日照時間が少なくなります。だからでしょうか。イギリスの季節性鬱はよく知られています。世界中どこに住んでも、お天気に気分が左右されるのは同じでしょうけれど、クリスマスの頃ともなれば、朝9時頃にやっと白々とし、3時にはとっぷり日が暮れてしまう。しかも一日中どんよりして、雨もしとしと。イギリス人がいかに太陽を求め、天気に神経質なのかが窺えようというものです。(冬はマスタードが必要かも?)バッチ国際教育プログラムの中でも、雨が降ってがっかりとか、お天気に失望、なんて練習問題が盛んに出てくるので、これ作ったの、イギリス人だよね。と笑い話にさえなっているくらいです。

  

人間の成長にとって、闇の経験を避けることはできません。それは私たちが生きている間、眠りと目覚めが必要なのと似ています。マスタードは「理由の分からない憂鬱感」に陥った時に使うレメディですが、理由が分からなくても使えるところが優れものです。何故そうなのかよくわからないけど、なんだか不安(アスペン)、なんだか憂鬱(マスタード)というようなことは、誰にでもあることだからです。

 

とはいっても、きっと本当に原因がないわけではないでしょう。ただ目の前にひどい怪我をしている人がいたら、なぜこんなことになったのか、誰がどうしたのか、怪我の詳細を細々と聞いたり調べたりする前に、まずは傷の手当てをすることが先決です。それは応急手当。ムードに合わせてレメディを飲むのと、ちょっと似ています。でも応急手当だけで終わらないところがバッチフラワーレメディのより優れたところなのです。

 

私には、マスタードを飲んで、ふと、闇の中に光を見いだしたような経験があります。それは遠隔介護に疲れ果てていた時のことでした。疲れすぎていて、現実に対応できないオリーブだったかもしれませんが、疲労困憊というのとも微妙に違います。具体的な原因が見当たらないのに、どうしようもなく気分が落ち込んで手も足も出ないという、まさにマスタードの気分でした。

 

母が逝き、一人残った父は90歳を越えていました。自宅と実家との距離は高速を飛ばして車で2時間半。時として父の体調その他もろもろ、予測もつかないイベントが起こっては駆けつける、ということもしばしばありました。父は老いてはいましたが、いつも身綺麗にして自立した人でしたから、介護が苦痛だったり、大変だったわけではありません。それでも私は知らず知らずのうちに、かなり無理をしていたようです。

 

マスタードを飲んでいるうちに、ふと、「まぁいいや、無理しないでおこう」という言葉が口をついて出ました。それから、あらっ、私って無理してたんだ、と気づきました。そして一筋の光が射すように、私の中に小さな疑問が生まれ、まるで芋づるのように次々と疑問がわいてきたのです。なぜ私は無理をするのかな? 無理しているのはいい子でいたいから? いい子ってどんな子? 誰が私に期待してる? なぜ認められることに価値を持ってしまうのだろう?と。そしてさらに、「無意識にそう思っていたけれど、それが私の癖ならば、それを知っていよう。知っているのと、知らないのとは違う。癖があってもいいじゃないか、それが私、とも思えるようになりました。ただホッコリして癒された、だけでは終わらない、癒しの本質がそこにはあります。自分を変えたいとか、これまでの自分を否定するのではなく、ありのままを自分を知る、認識すること。真の癒しはそこから始まります。

 

マスタードの状態になって、すっかり暗雲に閉ざされてしまったら、それは次のステージに向かう準備ができたサインです。なぜなら、闇は光りの母、闇の中でこそ光が、眠りの中でこそ目覚めがあるのですから。マスタードの気分になったら、静かに自分を見つめ、自分自身とそれまでの人生の流れを信頼していきましょう。私の中から新たな「私」が生まれてくるかもしれません。

 

アブラナ科の基本数は4であり、花弁数は4である。花の姿が十字状であるのでキリスト教の十字架を連想させ、キリスト教圏では意味のある仲間である(属の学名は十字:クルスの意味)。北半球に多く、特に地中海沿岸地帯から西アジアにかけて多くの種が分布している。多くの種が秋に芽生え、冬はロゼットで過ごし、春に開花する。このようなライフサイクルは地中海地方の夏期の乾燥と冬季の温暖多雨という気候条件に適応したものである。

岡山理科大学 総合情報学部 生物地球システム学科 植物生態研究室(波田研)

 

上記サイトで見ると、大根、白菜やキャベツ、小松菜に水菜、ブロッコリーも、皆4弁の花をつけています。私たちが日常的に食卓にのせている野菜の多くが4弁の花~十字架を咲かせているだなんて、植物の命をいただくことに、神的な恩恵を感じます。たとえそれがこじつけだとしても、ちょっと素敵ではありませんか。秋分から冬至に向かって、さらに闇は濃くなり、深みを増していきますが、マスタードが指し示す光への確かな憧れは、闇に光が誕生するクリスマスと不思議に符合します。

ウェールズのワイルドローズ
ウェールズの丘で出会ったワイルドローズ

10月のバッチフラワーレメディ ハニーサックル

11月のバッチフラワーレメディ ワイルドローズ


こんなの書いてたことも

月のリズムでバッチフラワー

新月から満月へ~満月から次の新月へとレメディを

1種類ずつ飲んでは、感じたことを書いています。(18種)

アントロで読む「なんじ自身を癒せ」第2章

第1章はこちら

 

12月5日、2017年最後の読書会が終わりました。

昨日までは予定だったものが、こうして一つ一つ、

事実となり、過去になっていくのを、

ちょっと不思議な気持ちで眺めています。

 

ゆったりと流れていた時の流れが

年の瀬が近づくと、

音を立てて速度が上がる気がします。

今年も一年、「なんじ自身を癒せ」を

1章ずつ読み進めることができました。

ご一緒してくださった皆さま、ありがとう。

なんじ自身を癒せ エドワード・バッチ著(バッチホリスティック研究会刊)

 第2章   まず病気の性質を理解するための真理、「5つの大原則」を確認するところから始まりますが、参加メンバーによって、毎回フォーカスされる箇所が微妙にちがうのはとても興味深いことです。以前は通り過ぎてしまっていた箇所に線が引かれ、回を重ねるごとに線が増え、いつの間にか線だらけになっているページもあります。グループで読むことは、なんとまあ、一人で読むのとは別のよさがあることでしょう。

第1の原則

身体は「魂」の地上における神殿ですが、そのもっとも小さな反映でしかありません

 

バッチは出発点として、まず人間の構成要素を明らかにしています。人間は物質的な身体だけの存在ではなく、その本質は「魂」であり、それは永遠の不死なる高次の自己、その神性の反映として見ることができるのが私たち各々の身体だというわけです。私たちはその身体を持ち、人間として地上に生きているとして、魂と身体はどのような関係をもっているのでしょう。

 

第2の原則

「魂」は私たちにそうさせるためには、どんな環境と状況が最善であるかを知っていて、その目的に最もふさわしい生命の枝に私たちを配置するのです。

 

このくだりは「人生を引受ける」という視点がとっても好き。渡辺和子シスターの著書『置かれた場所で咲きなさい』に通じます。まず人間の根本は魂で、その反映である身体を持って生きる私たちの、自分が「自分」だと思っているのは、低次の自己、人格(パーソナリティ)と呼ばれるものだとしています。

 

人間はその魂の願いから、あらゆる知識や経験を通して、自分に欠けている美徳を発達させ、より完成に近づくために必要な条件を満たす、最もふさわしい場所に自分を生まれさせるというわけです。それには、先に生まれている人たちとの関係も出てくるのですが、とにかく、時代や地域、環境、そして親を選んで生まれてくるということになります。どんな人のどんな人生にも困難はつきものですから、私たち一人ひとり、進化を担って自分の意志で困難な環境さえ選んで生まれてきたとしたら、私たちの魂はとても崇高で勇敢だということです。

 

第3の原則

私たちが人生だと思っている地上での短い旅は、私たちの進化の過程の中の一瞬...学校での一日のようなもの...

 

不死であり無限の魂が、その願いを叶えるために必要な、生命の枝に自分を配置し、それを現実化するのに見合った身体に宿って人間となったにもかかわらず、その人生は魂のレベルから見ればほんの一瞬だというわけです。その一瞬かもしれない人生のために、私たちはこれほど苦悩し、懸命になり、時に物理的成功や評価に一喜一憂します。それは決して悪いことではないし、そこを通らないと育たない、その先に行けないものがあるのだとも理解できます。バッチ博士の人間観として、魂や人格を「行為」へとつなぐ身体は、人生の旅に必要な一時的な乗り物、仕事をするための道具ですから、不滅の魂は、課題を果たすために、何度も何度も生まれ変わり、その都度、別の器、別の乗り物である身体を使って生きるということになるわけです。

 

第4の原則

「魂」と人格が調和している限り、すべてが喜びと平安であり、幸福と健康である。

 

逆を言えば、魂の声に耳を閉ざし、人格の求めるまま世俗的な欲望に浸ったり、他者の干渉に屈する生き方をしたりすれば、やがて不調和が起こって、幸福や健康から遠ざかるということです。第1章P5・L6で、病気は「魂」と「心」との葛藤の結果 と述べていますから、「人格」とは、心と身体によって合成されたものと理解していいかもしれません。では魂の命じる仕事とは何でしょう。バッチはどんな仕事、どんな職業であってもそこには貴賤がなく、ただそれが、魂の命じる仕事であるかどうかがポイントだと述べています。つまり仕事によって、求められる資質や徳目は異なりますから、自分の人生の学びに必要な仕事をしているなら、それは正しいことになります。でも結局のところ、どんな仕事からでも、自分が人生の意味や目的を持って生きている限り、どこからでも学ぶことはできるようにも思えます。。

 

第5の原則

万物のユニティ…一体性 不可分に結びついていること、すなわち愛

 

現代風に言えば、ワンネスとか絆、この世のあらゆるものに愛が宿っており、すべては一つのものから出て一つに戻っていくという考え方です。そこには、変容、メタモルフォーゼが前提とされていると思われます。つながろう、つながっていたいということ自体がすでに愛であって、自分自身に、また他者に対するどんな行為も全体に影響を及ぼす。一部が不完全である限り、完全にはなりえないとうことです。他者の痛みは、自分の痛みではないというのは歴然とした事実ですが、それでも分かりたい、寄り添いたいと思うのは、哀しいほどの愛ではないでしょうか。

 

 

 

以上、5つの原則を前提として、病気に繋がっていく葛藤をもたらす誤りを2つ挙げています。

 

1.魂と人格の断絶、自分自身が、魂の目的と意味を理解せず、従わないこと。

2.関係性において残酷さや裁きなど、全体「ユニティ」に反する行為。

 

バッチは「ユニティ」を、太陽とその光線を比喩に美しく描いています。一人ひとりがその輝きを見失わず、全体の完全性に向かって努力を惜しまないことは、現代を生きる私たちにとって、重要な課題に思えます。なぜなら、物質的な成果が尊ばれる社会では、個々が自立し自然に分断につながっていくからです。だからこそ、意識的に、自分にとっての正しいことは、別の人にとって正しいとは限らない、というパースペクティブな視点を理解し、持ち続けることが、新たな一体性に繋がっていくように思えるのです。

 

病気はそれ自体では恵みです。病気の目的は「魂」の「神的な」意志に人格を連れ戻すことです。またそうだからこそ、病気は防ぐことも、避けることもできることが分かります。

 

バッチは、人間を魂、心(人格)、身体と3つの観方で捉え、身体に現れてくる病の根源に至ろうとしています。そのために、近代医学を修め、ホリスティック医療の道に進み、免疫学、ホメオパシー、そして最終的にバッチフラワーによって、心のバランスを整えるためのツールを探し求め、完成させたわけです。病に対する考え方は、諸説あると思いますし、それは人それぞれでいいと思いますが、私はこの考え方が好きです。

 

上記はバッチの人間観を図にしてみました。高次の自我の火花としての魂、一度きりの人生を生きるための一度きりの身体、それをつなぐ心~その能力は思考、感情、意志、まるでバッチフラワーの太陽法でレメディを作っているみたいです。

定点観察から学ぶこと

2017年秋、第18回目の植物観察会では、朝から結構な降りになりましたが、それでも中止の報せが入らないので、このタイミングでは雨天決行?今年最後の観察会なのに残念だなと思いながら集合場所に行くと、みんなが何の疑いもなく集まっていたのが、なんとも可笑しかったです。歩き出す頃には雨も上がりました。傘はステッキに。

 

紅葉シーズンのせいか、園内は珍しく混んでいます。どこを見ても綾なす錦、上も下も圧巻の紅葉だらけ。

 

2014年春から始まったこの定点観察もまるっと4年。その間、バッチフラワーは学んだものの、レメディになっている植物をほとんど見たことがないと言っていた多くのメンバーはちょっとした植物博士。特にこの会のリーダーは、ルート確認から植物の状態の下見、事前事後の連絡までを綿密にこなし、いつからか信頼と愛を込めて「隊長」と呼ばれるほどになりました。そして実際の観察を裏付ける知識と探究心と植物愛溢れる「ボタキチ(ボタニカルきちがい)」たちのバックアップもあって、参加する一人ひとりが出会い発見する植物の姿とかたち。

みんなスゴイよ スゴ過ぎる!!

 


そもそも、「定点観察をするといいよ」と教わったのは東山植物園の案内をしてくれているボランティアの方からでした。なるほど、それはいい!となり、以来、同じ場所にある同じ植物~樹木を一定の視点を持って継続的に観察し続けているというわけです。バッチファンの私たちなので、基本的にバッチフラワーの植物(近隣種)が中心ですが、年に6回、スケッチをしたり写真を撮ったり、文章で残し記録をとったあと、まず同じ植物グループでシェアをして気付きを共有、そして全体でシェアリングという一連の流れです。視点を定めることでしか見えないものがあり、ある種の法則を理解すると、逆に視点を変える柔軟さも育まれるような気がします。


私たちの定点観察の場所のひとつ「東海の森」ブナの森。美しい木陰を作っていたビーチも今ではすっかり色づいて、間もなく寒々とした冬木立になります。ビーチが好むのはもっと寒い地域。移植されまだ十分ではないからか、ビーチのドングリは今年も見つけることができませんでした。いつかどこか、大きなブナの森に行ってみたいです。

同じく「東海の森」のカラマツの林で。今年は黄金色のラーチをキャッチ!!!今秋、私は蓼科で沢山のラーチを観てきましたが、ここ東山植物園では気候も違うし、タイミングがずれるのか、これまで一度もラーチの黄葉に出会うことができませんでした。ところがこの辺り一面、金色に燃え立つよう。皆、歓声をあげてラーチを褒め讃えました。


この脇枝は2年にわたって観察中のビーチ、芽鱗痕をみると、こんなに細いのに、4年、5年と経てきた年数が分かります。今年はずいぶん伸びました。

こちらも観察中のチェストナットバッド~トチノキの冬芽。飴状の樹脂に守られ太陽にピカピカ光ります。寒い間はじっと耐え、ある日突然目覚めます。


 

冬芽を観察するのは、ちょっとした秘密を解き明かす楽しみがあります。葉や花のような派手なところはありませんが、樹木によって形も大きさも異なり、それが夏の間から既に準備されてきたこと、芽吹きの時を想像するだけでも、夢が膨らむようなうきうきした気分になります。上の画像を見ても、ビーチとホワイトチェストナットの冬芽はずいぶん違います。ビーチは細い紡錘形をして、脇芽もいっぱい出ていますが、チェストナットのほうは立派な頂芽がひとつ、そびえたつ弾丸のようです。そして飴状のべとべとした樹脂で包まれているのです。つまり水飴状の樹脂は、その瞬間が来るまで、寄ってくる外敵からしっかりと冬芽を保護していることが分かります。バッチフラワー中に、新芽を使ったレメディがひとつだけありますが、それがこのホワイトチェストナットのつぼみ、チェストナットバッドです。

 

いつの年の定点観察だったか、スケッチをしているうちに、蕾が柔らかくなり、畳んだ羽のような葉が起き上がってきた姿を見て感動したことがあります。このレメディの指標は「経験から学べない、何度も同じ過ちを繰り返す」というもので、「現実への無関心」に分類されていますが、改めて指標との関係からみると、なかなか興味深いことが分かります。私たちの行動には、無意識に同じパターンを繰り返していることがあります。それがたとえ苦痛であっても、結果が変わらないことであっても、そこには馴れというか、安心感があります。また時には何らかの目的をもって、あえてその輪から出ないと決めていることもあるでしょう。それは自ら成長を拒んでいるような状況ですが、タイミングってとても大事。躓きの石をどけることができるのは、自分しかないということをこのレメディは教えてくれています。春が来たら、硬い蕾がほどけるように、勇気を出して、脱皮して前に進もう! あなたにはすべての可能性があると、チェストナットバッドは教えてくれているようです。


 

2017年のBFRP東海主催の植物観察会はこれにて終了。

次回は2018年春です。その時にはぜひご一緒しましょう。 

スケッチブックとおにぎりをもって。

詳細はBFRP東海のウェブサイト

お問合せはbach38tokai@yahoo.co.jp 

(「植物観察会隊長」嶋崎)まで

 

 

みたび蓼科


二度あることは三度ある。 ほんとう!?

 

恥ずかしけど、またしても来てしまいました。

今度は娘と「茅野」駅で待ち合わせ。この駅に来たのはいつのことか。数十年前、当時は小さな駅だったのに、今では文化施設も併設されたすっきりした駅舎になっていて、時の経過を実感。驚いたのは風景が違ったこと。当たり前?ここから八ヶ岳が見えるってしらなかった! 

茅野駅から八ヶ岳が見える

くねくねとヴィーナスラインを昇りながら、あれこれ話していると、お互いの記憶の在処が全く違っているのが明らかになってきます。36歳違いの母娘。風景が同じに見えるわけはありません。子らの幼い日を懐かしむばかりの私に比べ、末子の娘はまだ赤ちゃん、写真を通しての記憶しかなく、逆に大人になってからの友人たちとの記憶の方が強烈らしい。母のノスタルジーはあえなく打ち砕かれることとなりました。前回は紅葉真っ盛りだった蓼科湖も初冬の黄昏はひっそりと。茂っていた時には気づかなかったヤドリギがぽつんと浮かんでいました。

桜の木にもヤドリギがつくって初めて知った

蓼科湖の畔、葉を落とした桜にヤドリギ


 

案内された部屋はひと月前より大きな部屋。(前回は一人でしたからね)部屋に続く廊下の壁には天皇陛下御一家をはじめ、皇族方ご滞在の写真が並んでいました。そうそう、この部屋です。友人と10年前に泊まったのは。出窓の下にベンチがついて、窓からはハイジの庭が見下ろせます。この風景、最高! 室内は木のぬくもり、大げさでない上品なしつらえが、とても居心地がいい。

ホテルハイジのスタンダードツインルーム

洗面所のシンクは二つもあるのに、この部屋のサイズにしてはベッドは小さめ。極め付きはチェストの中に収められて外から見えなくなっているTV。日本のホテルでは部屋のサイズに関係なく、大きなTVモニターが据えられていることがほとんどなのに、どおりですっきり。


 

何と、当夜の宿泊客は私たちだけだったのです。

 

これはまさしく貸し切り・・・いいの?

落葉に覆われた露天風呂への小道

冬木立に囲まれた露天風呂では

鳥の声、渓を流れる川音が響き渡っていました。

シェフお任せのフレンチディナーのオードヴル、自家製生ハムと大王イワナ、添えられた色とりどりのメレンゲが可愛い



10月の初めと終わり、そして11月の終わり、この秋、合計3度も訪ねることとなった御射鹿池。こんなきれいな青い空はないというほど美しく晴れた今日の朝、冬ざれていく風景には、きりりとした美しさと寂寥があり、水面に映る太陽の輝きになぜかしら胸が熱くなります。ひと月前とは打って変わってひっそりとして、訪れる人もまばら。

 

東山魁夷の絵「緑響く」のような深い緑と出会うには、これから半年ほど待たねばなりません。次にここに来るのはいつかしら。

山々よ、木々よ、さぁ、お眠りなさい。

 


11月のバッチフラワーレメディ

ワイルドローズ

ワイルドローズ

カテゴリー 現実への無関心

英名 Wild Rose
学名 Rosa Canina
和名 カニナバラ 野バラ
キーワード  あきらめ 無気力

はっきりとした十分な理由もなしに、自分の周りで起こる事柄に対して諦めの気持ちを持っていて、生活を当り障りなく過ごし、物事をそのまま受け入れて、物事を良くしたり、何か楽しいことを見つけたりという努力はしません。そして、不平を言うこともなく、人生における戦いを放棄してしまっています。Dr.Ed Bach「12ヒーラーとその他のレメディ」より


 

英国バッチセンターでレメディが作られている、ネルソンバッチのトレードマークにもなっているワイルドローズ。バッチフラワーの中では、もっとも大きな花(直径5㎝程度)で、こんなに愛らしく優しい花姿をしているのに、その指標は「人生に対する熱意や興味のなさ」という、なかなか厳しい状態を表しています。バッチの『なんじ自身を癒せ』の第七章では、ワイルドローズを彷彿とさせる描写が何度か出てきますが、退屈でいること、諦めてしまうこと、人生は単に果たすべき義務ではないにも関わらず、まるでそのように生きてしまうこと。そんな状態が続いたら、当然病気に罹りやすくなるでしょう。バッチ博士は医師でしたから、診療をしつつ、そういった傾向を持っている人々と病むことの関連性に気づいたのかもしれません。

 


 

自分がイメージする「人生の完璧な絵」を、固定すること自体、実際にはありえないことですが、私たちはどこかでそういった幻想を求めて生きているようにも思います。それは私たちを努力や挑戦に向かわせ、夢を語り、向上心などにつながる肯定的な力になることもあれば、逆に挫折感や不安や恐怖心を生み、葛藤へと向かわせることもあるでしょう。

 

人は誰でも、何かを諦め手放し、あるいは受容し選択して今に至っているのですが、自分の土台となる生まれてきた時代や環境、家族、きょうだいの順番、性別などは、基本的に変えることは不可能であり困難です。けれどそこに困難さを感じるからこそ、人生の問いが生まれ、思わぬ展開~成長へ導かれていく可能性もうまれてくるのです。

 

私自身、周囲と自分との違いを意識し始めた、おそらく9歳前後から、感情にバリエーションが出てきたように記憶しています。なぜあんなに怯えたのか、それがどこから来るのか、それをどう表したらいいのか、感情の基軸、土台を形成しているのは、いったい何だろうと探っていくうちに出会った本が『愛着障害ー子ども時代を引きずる人々』岡田尊司(光文社新書2011)でした。

 

ウェールズの丘で出会ったワイルドローズ
ウェールズのワイルドローズ

現実への無関心のカテゴリーに入っているレメディ群は、ワイルドローズに限らず、行為との関係において、意志の在処を観ることでより明確になります。今を生きられない、今ここにいない、というのは、一時的に疲れすぎていたり、心が何かに囚われていたりしても起こり得ますが、長期的に現実を眠らせてしまうには、それなりの理由があるはずです。

 

「愛着とは、人と人との絆を結ぶ能力であり、人格の最も土台の部分を形造っている。人はそれぞれ特有の愛着スタイルをもっていて、どういう愛着スタイルをもつかにより、対人関係や愛情生活だけではなく、仕事の仕方や人生の対する姿勢までも大きく左右されるのである(『愛着障害』より)」

 

ワイルドローズに該当するのは、回避型とよばれる愛着スタイルだと思われます。人見知りが始まる生後半年から1歳半の間(臨界期)が愛着形成にとって最も重要な期間とのことですが、その時期にどれだけ安定した愛着形成ー養育者(主として母)と強い絆ーが育まれたかによって、その後の人生は大きく左右されるよです。つまりこの世は安心できる場所で、周囲の人は自分の助けになってくれると信じられるという感覚が育つかどうかの基盤が、こんな早期に出来上がるのだとしたら、自分の子育ては大丈夫だったかしらと、ヒヤッとさせられます。

 

ワイルドローズの無気力や無関心、人生の放棄が、すべて愛着という切り口だけで説明できるわけではありませんし、どんなに安定した愛着スタイルの持ち主であっても、生まれてこの方、諦めたり無気力になったりしたことは一度もない、という人はいないでしょう。誰もがその状況になり得ますし、特に無自覚でいることも多いから、気づかないで通り過ぎていることはいっぱいあるはずです。

 

私が自分のワイルドローズを意識したのは、他者の「老い」を自分に投影した時でした。説明のしようのない悲しみと怒りと諦めの気分に閉ざされたあと、猛烈な無力感、疲労感が私を襲いました。もちろん私はバッチ使いですから、朝の習慣としてムードレメディを選び、オリーブやホーンビームを飲みました。でも全く疲れがとれないのです。そこでやっと、ワイルドローズ?と気づいたわけです。驚いたことに飲んですぐに効果を感じました。朝、それまでと違って背筋がすっきりと伸びた感じがあり、ピントが合った時のように物事がクリアに見えました。ずぶずぶと泥の中に身を沈めていたような疲労感が、跡形もなく消えていたのです。

 

実感としてワイルドローズの状態に陥ると、心身がこれほどダメージを受けるということは、新たな発見でした。『なんじ自身を癒せ』の第七章に書かれているように、病への耐性が著しく落ちていく予感がありました。ワイルドローズの使い方として、生育歴にトラウマを抱える人にはスターオブベツレヘムとともに、現実逃避や体調不良にはまり込む時にはアグリモニーもいいかもしれません。また愛着障害の不安定型の人にはチコリーもきっと役立つでしょう。無意識の中に埋もれているワイルドローズを意識化することによって、生への意欲は甦り、日々の細やかな出来事に喜びを見いだすことにつながるのではないかと思っています。人はどんなにワイルドローズに陥ろうとも、どんな時でも越えていくことができるということも。

 

 BFRP東海 レメディ研究部ブログ

レメディ研究室 ワイルドローズをさらに読む

こんなの書いてたことも

月のリズムでバッチフラワー

新月から満月へ~満月から次の新月へとレメディを

1種類ずつ飲んでは、感じたことを書いています。(18種)

ワイルドローズ

 この時は受容とあきらめの違いに注目していました。

霜月のクロイツニュースから

ウェブ版で見る場合はこちら

風が冷たくなりました。
一雨ごとに、冬が近づいてきます。
ごきげんいかがですか?
10月のクロイツニュースに
奥蓼科の御射鹿池に行ったことを書きましたが
その3週間後、再び蓼科を訪れることになり、
10年も行かなかった場所にひと月に2回も!

初めての土地、懐かしい場所
当たり前のように歩いて来たけれど
ふと気づけば
自分の回りの風景も、出会う人も
ずっと前からの約束だったかもしれません。
(後半に続く)   

 

クロイツ+今月のおすすめ

(社)バイオグラフィーワーク・ジャパン

バイオグラフィーワーカー養成

ファウンデーションコース

名古屋週末コース12期生募集のご案内

対象:自分の人生に学ぶ姿勢のある方
   社会、教育、医療の諸分野に関わる方
   あるいは関心のある方
   28歳以上(以下の方はご相談ください) 
期間:前期3モジュール 2018年1月~11月
会場:ウィルあいち 
コースリーダー:中村かをる    

 

 


BFRP東海は、東海地方で活動する
バッチ財団登録プラクティショナーたちのネットワークです
詳細は BFRP東海のHPブログ等ご参照のうえ
問合せ・申込みは各企画の担当者名を書いて、BFRP東海メール bach38tokai@yahoo.co.jp へお送りください

第19回 レメディ研究部(対象:BIEPレベル3以上)
日時 11/21(火)10:00~12:00
場所: 日進市岩崎公民館 2F和室
参加費:300円 今回のテーマは「ワイルドローズ」
担当:田中美帆子(要予約)

第18回 植物観察会(対象:どなたでも)
日時:11/29(水)10:30~14:30
場所: 名古屋市東山動植物園 植物園エリア
参加費:各自入園料500円を払い入園
持物:スケッチブック・色鉛筆・お弁当・ピクニックシート、ルーペ
担当:嶋崎真由美(要予約)

第88回 バッチの読書会(対象:どなたでも)
「なんじ自身を癒せ 第2章」(11R)
日時:12/5(火)10:00~12:00
会場: 岩崎公民館2階 和室
参加費:500円 (当日集めます)
持物:バッチの遺産、マイドリンク、お菓子など
担当:岩田千亜紀(要予約)
読書会後 もう一つのバッチセンターツアー報告会 対象:レベル3以上

バッチのおしゃべりランチ会(対象:どなたでも)
日時:12/11(月)12:30~14:00ごろまで
場所: SALONE DE MK  瑞穂区内方町1-29-2
参加費:各自の飲食代のみ
担当:井神七子(要予約)

英国バッチセンターに認定されている日本で唯一の正規のプログラム
BIEPレベル1 
現在愛知・岐阜で開催中のPTTコースをもって年内の開催は終了です。    
       2018年の開催予定が決まり次第お知らせいたします。
BIEPレベル2 名古屋開催のご案内

       2018/2/3.4(土日2日間) 会場: Heart (ハート)      
お問合せ・お申し込みは  (社)バッチホリスティック研究会

旅心に誘われて、急に何度も蓼科に行くことになったのは本当に不思議。
長いこと閉まったままの箱のふたを開けたみたいに、いろんな思い出も飛び出してきます。
こんなふうに道がついてしまっては、私はいつか長野か山梨に行ってしまうんだろうか。
実は間もなく3度目の蓼科行きも計画中。どう考えても行き過ぎでしょ、私。(苦笑)

そういえば、なんでこうなったんだろうと思う場所のひとつに福岡があります。
事の起こりは全く別のきっかけでした。修学旅行で一度行ったきりで縁のない九州でしたが、
40年ぶりに訪ねたとたん、その数週間後、
今度はバイオグラフィーワークの連続講座のために行くことになり、
そのまま6年間、乗りかかった船とばかり定期便のように通いました。
あの展開はなかなかドラマチックでした。
それにしても最初の福岡行きは、そのあとに続く道のために、
ドアを叩きに行った?
それとも勇気という飛び石を置きに行ったのかしら?
ずっと前から約束をしていたように、大人になってからの私を育んでくれた
大切な人々との出会いの土地、それが福岡です。

現在の私は、自分で調整さえしたら誰に許可を得る必要もなく、
行きたいと思うところへ出かけていくことができます。
ある年齢域にいる、特に女性の多くは、自分のためだけに、
1人で出かけることなど考えもつかない人も多いでしょう。
けれど自分の方向性を探るうちに、どうしてもしたいこと、
行きたいところが見つかったら、今の自分にはこれが必要と、
声を上げることに罪悪感を持たないでほしいと思います。
ほしいものはほしいと言いましょう。それは正しいことだからです。
でも、正しいからこそ伝え方の練習は必要、
どんなに正しくても主観的なことである限り、
それを正しく伝えるには練習が必要なのです。

ところで、この日曜日、フォルメンと花の幾何まんだらの講座に参加しました。
とても興味深い内容で、心底楽しんでいたはずなのに、
描きながら私は段々落ち着かない気分になりました。
なぜかというとコンパスと定規での作図が、気分よくきっちり嵌らないのです。
実際には大した問題ではありません。
けれど私の中に隠れている、「正しく」したいボタンが押されてしまったのかもしれません。
バイオグラフィーワークではしょっちゅう絵を描きますが、
その時にはついぞ味わうことのない感情です。
私は自分が思うようにできないと不機嫌になる、ある意味、とても子どもっぽい、
負けん気の強い人間であることを思い出しました。
現在の私は「ほぼいつもほがらか」ですが、
わくわくと描いているにもかかわらず、
不機嫌になっている自分を発見して軽くショックを受けました。
コンパスと定規という学校のツールを手にしたせいかもしれません。
こんな私は久しぶり。
そういえば、ずっと「勝気なかをるちゃん」と言われていましたっけ。
多分、本当のところは今も変らないでしょうけれど、
負けるが勝ちの滋味も覚え、不機嫌になることはほとんどなかっただけに、
なかなか貴重な経験でした。

花の幾何まんだらは、帰宅後、気分一新、
正五角形のクラブアップル、ワイルドローズ、
正六角形のスターオブベツレヘムを
「わたし」が満足するまでさせてあげましたから、
今はすっかりゴキゲンです。

まもなく「十二星座と人間・世界」の開催です。
遠く近く瞬く星々が集まるように、たくさんのお申込みありがとうございました。
星の語る言葉に耳を傾ける晩秋の一日、皆様とご一緒できることを楽しみにしています。

寒さが募る一週間になりそうです。くれぐれも暖かくしてお過ごしください。
中村かをる
  * * *
最後まで読んでくださり有難うございました。愛と感謝をこめて。

このメールはクロイツにご縁のある方、BIEPを学ばれている方にお送りしています

配信不要、アドレス変更の場合はご遠慮なくご一報ください

 

クロイツ 中村かをる
* * *
愛知県日進市岩崎町石兼56-72

Tel/Fax:0561-72-9612  info@kreuz7.com

KREUZ+ https://kreuz7.com

アントロで読む「なんじ自身を癒せ」第1章

2009年7月にスタートしたバッチの遺産「なんじ自身を癒せ」の読書会が、87回目を迎えた今日、2017年11月10日に、11巡目の第1章を読むことになりました。当時レベル1を終えたばかり、10人足らずのメンバーで始めた読書会でしたが、メンバーが入れ代り立ち代りしながらも、やがてその中から何人ものプラクティショナーが生まれ、新たな牽引力となって、今では主催もその名の通り、BFRP(バッチ財団登録プラクティショナー)東海となりました。そのBFRP東海の背骨となっているのがこの読書会です。

 

 レベル1の授業では、エドワード・バッチが遺した2つの著作「なんじ自身を癒せ」と「12ヒーラーとその他のレメディ」を通して、その世界観に触れますが、コースが終わってもこんなふうにしつこく読むには、それなりの理由があるはずです。この小冊子のどこにそんな魅力があるのでしょう。

 

1930年、当時ロンドンで成功した医師の一人であったバッチ博士が、診療や研究を通して辿り着いたのが、古くはヒポクラテス、そしてパラケルスス、ハーネマンへと続く、ホリスティックな流れを汲む人間観でした。『なんじ自身を癒せ』の表紙を開くと、冒頭には「病気の真の原因と治癒の説明」と書かれています。今では心身のストレスが、様々な病気の引き金になったり、悪化させたりすることは、よく知られていますが、「癒しを自分で助けることができるのではないかと思い、病気の根本の原因を自分の内部に探そうと悩んでおられる方々の手引きになることが、ささやかな望みです」と書かれた文章から、時間に追われ、結果を急ぐ私たち現代人が、束の間の癒しを求めて右往左往するイメージが既にあったのかと問いたくなります。

 

発刊は85年余り以前ですが、その間も今も、医学の進歩はとどまることがありません。それによって多くの命も救われてきたことでしょう。その観点からみれば、バッチの言葉は医学的ではないかもしれません。けれど興味深いことに、バッチ博士が行きついた健康観は、古びるどころか現代のメンタルヘルス、セルフケア、セルフヘルプを先取りして、自己発見や自己認識~セルフアウェアネス~を高めていく上で、もっとも予防医学に即しているのではないかと思えます。医療の専門家ではない、ごく普通の生活者である私たち一人ひとりだからこそ、誰でもできること~つまり、自分の健康に責任を持ち、かけがえのない「私」を丁寧に生きていくことだと確信するのです。

 

11巡目に入ったことを機会に「なんじ自身を癒せ」を、これまでよりちょっとだけ真面目に読んでみようかな、というのが私の新たな試みです。お付き合いいただけたらうれしいです。

 

 なんじ自身を癒せ エドワード・バッチ著(バッチホリスティック研究会刊)

 第1章

日本には「病は気から」という古くからの言い伝えがありますが、シンプルに捉えたらバッチ博士の健康観はこれに通じるものだと思います。それは「病気の起源は物質的なものではない」と言っていることから理解できます。では気から始まったはずの病ですが、医学の世界では「病気を身体内に局限することによって......強力な病気恐怖症を生み出し、病気の力を途方もなく増大させてしまい…」とあります。たとえば、病気とまではいかなくても、ちょっとした不調や、不具合が生じると、私は猛烈に「よくなりたい!」と思います。同時にあれこれ不安や怯えすら覚え、余計調子が悪くなることもあります。まさしく気は病を促進すると言ってもいいくらいです。胸に手を当てて振り返ると、その前後にはかなり無理をしていたとか、自分をないがしろにしていた、なんてことを思い出します。だから身体と心はつながっているし、「心は騙せても、身体は正直」なんていう言葉も出てくるわけです。

 

バッチ博士は医師でしたから、人間が心身ともに健康に生きることを強く願っていました。第1章にはまず病気の本質について述べられると同時に、その大前提となるバッチの人間観についても、はっきり明記されています。それは「人間」を、見える世界としての物質的「身体」と、見えない世界における「魂」、その二つの領域をつなぐ「心」の3つに分け、「病気とは「魂」と「心」との葛藤が、身体の中に生み出した最終的な結果であり、深く長く活動してきたいろいろな力が作り出した最終産物です」と考えました。ですから私たちが健康に生きるには、「魂」と「心」が葛藤しなくてもいいようにする必要があるというわけです。それって一体どうすればいいのでしょう?

 

バッチは「心は身体よりもずっと明確に病気の兆候とその進行をよく物語る」と言っています。では「心」って何?という問いが出てきます。(下記の図を参照)心の働きを考えてみると、心もまた3つに分けることができます。まず見える世界と強く結びついているのが「意志、行為」です。そして見えない世界に通じるのが「思考」、その真ん中にあって両方をつなぐのが「感情」ですが、それらは分かちがたく結びつきながらも、ある時はどれかが優位に立ったり、またある時は眠らせてしまったりしながら、いつもいつも動いているはずです。私自身の日常でも、思考、感情、意志が全く統制されないでバラバラに動いてしまうこともありますし、義務感や評価を求めて行動する時には明らかに感情をごまかしていることがあります。いやだなあ~と思いながら、これはするべきでしょ、とか、ここで投げ出したら無責任、評価下がるよ、なんて、気持ちをなだめ、頭で身体に命令をするわけです。そして時には感情を凍らせて動かなくさせることだってやってのけたりするのです。つまり自分の感情は、自分から無視されている、今どきで言うと、セルフネグレクトってやつですね。なんとまあ、危ういことでしょう。

 

では、病気になっちゃったらどうするの?病気をどうとらえたらいいの?と言いたくなるわけですが、バッチはこう述べています。

 

「簡潔に言わせてもらえば、病気は、見たところとても残酷ですが、それ自体は有益なもので、私たちのためになります。もしそれを正しく解釈すれば、私たちは病気に導かれて、自分の非常に重要な過ちに気づくことになります。もし的確に対処すれば、病気はそうした過ちを取り去る原因になりますし、私たちを前にも増して健康にし、人間として大きく成長させてくれるでしょう。」

 

そうは言ってもね。というところでしょうか。気持ちに余裕があれば、こう考えることもできるでしょう。けれど症状に自分が苦しんでいる時、私を含めほとんどの人は困惑し混乱し、気分の悪さや不快感の中に閉ざされてしまいます。本当に病気は残酷です。だからこそ...

 

「前兆となる症状を理解し、その意味を読み取ることができる人であれば、もし適切な霊的・精神的な矯正手段を講じれば。病気は発病にいたる前に防止され、または初期段階で食い止められるかもしれません。」

 

つまり未病の状態の時から、自分の心の声に耳を澄ますレッスンが必要になるようです。食生活や生活のリズムなど実際的なことに心配りをすることはもちろんですが、バッチ流にいえば、自分の魂の命に則って生きるということが最も重要になるというわけです。でも、魂の目的ともなると、ちょっとわかりにくいし、すぐに答えは出せません。でもすごいことに身体の不調は、そういう時にこそ、導き手になってくれるということなのでしょう。こう書きながら、でもでもと、様々な問いが浮かんできます。それの答えは、第2章以降をお楽しみに、ということになるでしょうか。

 

どんな場合でも、どんな厳しい状態でも、絶望する必要はありません。なぜならその人がまだ肉体的に生きるのを許されているということは、支配している「魂」は希望を捨てていないことを示しているからです。

 

これって病気という範疇にとどまらず、すべてに言えることですね。

 

エドワード・バッチの人生を見る

バッチホリスティック研究会主催、バッチフラワーシンポジウム2012での発表

中村かをる「個と全体の成長を目指して」から

からまつの林を過ぎて

北原白秋の詩、「落葉松」をはじめて知ったのは多分小学4、5年生の頃、5歳年上の姉が口ずさんでいたのを聞いたときだったと思います。思春期と呼ぶにはまだ幼い心にも、この詩が持つ寂寥感が迫って、漠然と、大人になるということは決してバラ色だけではないんだなと思ったものです。落葉松ってどんな木なんだろう。普通、松は常緑だけど落葉するのかな…。その後、40年も経ってから、晩秋の上高地で、この詩のイメージそのままの風景に出会いました。そしてその数年後、バッチフラワーのレメディの中に、西洋落葉松(ラーチ)があることを知ります。ある夏、イギリス湖水地方の河畔を歩いていた時、ふと指が明るい緑色をしたやさしい感触の枝に触れました。これは!?と思い、木の名前を尋ねるとラーチという答えが返ってきました。その時、初めてバッチフラワーの「ラーチ」と北原白秋の「落葉松」が結びつきました。

 

バッチフラワーのラーチは、「失意と絶望」に分類されているレメディで、自分が人より劣っていると感じ、自分の能力に自信が持てない時や、失敗を恐れるあまり、チャレンジを諦めてしまうような場合に使います。常緑がほとんどの針葉樹の中にあって、ラーチは冬(困難)が来る前に、さっさと諦めて葉を落としてしまう、というクオリティは、まさにラーチ、自信の欠如を表しているようで興味深いです。

 

白秋が「落葉松」の構想を得たのは、大正10年軽井沢、初夏の星野温泉に滞在中、朝夕の散策時に、からまつの芽吹きに感銘を受けたと聞きます。けれど詩を読んで浮かんでくる風景は、芽吹き時というよりは、むしろ晩秋、諦念のイメージです。もちろん人によって感じ方は違うでしょうけれど。ただ、侘び寂びというか、色味の少ない渋めな七節目までと比べて、最後の八節に、静かな芽吹きを感じるのは私だけかしら。

 

世の中よ、あはれなりけり。

常なけどうれしかりけり。

山川に山がはの音、

からまつにからまつのかぜ。

 

芽吹きというものは、うれしいけど泣きたいみたいな切なさがあります。ラーチの芽吹きは、そんな中でも特別です。特に雌花の仄赤さに、こころ揺すぶられない人はいないでしょう。傷つきやすい繊細なラーチは、失敗することで自信を失い、それによって挑戦や冒険から遠ざかろうとしますが、白秋はこの作品を書いたとき、ちょうど第2ムーンノード(37歳前後)を迎えていました。ムーンノードには、多くの人が人生の目的や意味を問い、方向転換などを余儀なくされます。当時、すでに白秋は一定の評価を得ていたと思われますが、「落葉松」は白秋のその後の詩作に向け、重要な位置を占める作品となったようです。「山川に山がはの音/からまつにからまつのかぜ」 吾唯知足~向上心とか、よりよくなろうとか、評価されたいとか、何かを成したいという意識は、決して悪いことではありませんが、自分のその時の限界を受容できる人こそが、限界を広げていく、超えていける可能性を持っていると思わずにおれません。ちなみに白秋は57歳(第3ムーンノード前後)でこの世を去っています。バイオグラフィーワーカーの視点で見ると、これもまた興味深いです。

落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを、読者よ、これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ。

北原白秋「落葉松」前文

『水墨集』アルス発行(大正12年)

落葉松   

           北原白秋

   一

からまつの林を過ぎて

からまつをしみじみと見き。

からまつはさびしかりけり。

たびゆくはさびしかりけり。

 

   二

からまつの林を出でて、

からまつの林に入りぬ。

からまつの林に入りて、

また細く道はつづけり。

 

   三

からまつの林の奥も

わが通る道はありけり。

霧雨のかかる道なり。

山風のかよふ道なり。

 

   四

からまつの林の道は

われのみか、ひともかよひぬ。

ほそぼそと通ふ道なり。

さびさびといそぐ道なり。

 

   五

からまつの林を過ぎて、

ゆゑえしらず歩みひそめつ。

からまつはさびしかりけり、

からまつとささやきにけり。

 

   六

からまつの林を出でて、

浅間嶺にけぶり立つ見つ。

浅間嶺にけぶり立つ見つ。

からまつのまたそのうへに。

 

   七

からまつの林の雨は

さびしけどいよよしづけし。

かんこ鳥鳴けるのみなる。

からまつの濡るるのみなる。

 

   八

世の中よ、あはれなりけり。

常なけどうれしかりけり。

山川に山がはの音、

からまつにからまつのかぜ。

 

『日本現代詩体系 第四巻』河出書房(昭和25年)

 


イギリス湖水地方で、初めてラーチに出会った河畔

ホテルハイジ 蓼科ふたたび

晩秋のホテルハイジ
広い庭の隅にある可愛いキャビン
ホテルハイジのディナー、オードブル

自家製スモークサーモンのムース、信濃雪鱒、大王イワナ、ウイキョウのババロア

不思議なことがあるものです。

 

秋のクロイツニュースに、奥蓼科の御射鹿池に行ったと書いたことから、古い友人夫妻からなかば強引に(笑)誘われ、それにまんまと乗っかって再び来てしまいました。しかも10年前、彼女と一緒に泊まったホテルハイジに。

 

10年ぶりの蓼科が、なぜ1か月に2回も!?

 

ホテルハイジは旧皇族、伯爵家の東伏見家の別荘を当主が1975年にホテルとして開放。当時日本はバブルがはじける前、一億総中流意識にみんなが浮かれてた?そう、夢を見ていた時代だったかもしれませんが、それでもホテルハイジの格調の高さは別格でした。皇族方をはじめとして、海外のVIPも宿泊されるようで…。小さい子たちを抱えた身では、ティータイムを楽しむのが関の山。庭に点在する可愛い小屋は子どもたちの格好の遊び場でした。今も変わらずきれいに手入れをされていました。懐かしい~

 

ハイジにはシングルはないので、一番小さなツインを選びましたが、その部屋はチロル家具で統一されている可愛い部屋です。10年前に泊った時は出窓の下にベンチのついた奥行きのある部屋でしたが、今回、一人で泊まるにはこじんまりとしてちょうどいい。木立に囲まれた露天風呂で一息ついてフレンチを堪能した後はおしゃべりに花が咲き、瞬く間に夜は更けていきました。


 

翌朝早く目が覚めたので、15分ほど下ったところにある蓼科湖まで朝の散歩に出かけました。雲海の向こうに南アルプスの峰々がのぞき、まばゆい日の光が木々の彩りをさらに鮮やかに照らします。気温は1度、吐く息も凍りそう。湖面には朝もやが立ち込めています。この幻想的な風景が見られたのも早朝だからこそでしょう。逆光の中に紅葉が浮かび上がります。


 

蓼科湖がこんなに美しいのだから、あの御射鹿池もさぞやと期待に胸は膨らみつつ、車を走らせます。(運転は私ではありませんが)

ところが、観光バスが何台もいて、人の多さにびっくり。肝心の池は先週末の台風のせいか、静謐さのかけらもありません。時を経ず2度来たからこそわかる、その違い。すべてに通じる「時」があるということを。


御射鹿池から、カラマツ林を抜けて横谷観音へ。10年前、友人とこの場所に来た時、大滝神社という古びた神社にお参りをしました。黒曜石の祠に続く急勾配の参道は階段もなく何度も滑りそうになりましたが、けれどその参道の両側に広がる林から、風が吹くたびにカラマツの葉が、サラサラと音をたてて、黄金の雨のように降り注ぐのです。友人と私はその音に聴き入りました。あの瞬間、あの世とこの世は一つになり、夢を見ているようでした。

 

ところが、ここでも期待は裏切られます。今ではすっかり整備され鳥居も立派になり、参道にはちゃんと階段もできています。随分、雰囲気変っちゃったね。

 

階段を数段上がってすぐに何やら異臭がすることに気付きました。これって何? どうやら枕木の防腐剤の臭いのようです。う~~たまらん、仕方がないとは言え、すごすごと階段を下りる私たちでした。

 

さぁて、「時」を学んだ私の蓼科行き

二度あることは三度ある? かも。


横谷観音の展望台から臨む風景

10月のバッチフラワーレメディ

ハニーサックル

ハニーサックル

カテゴリー 現実への無関心

英名 Honey Succkle
学名 Lonicera Caprifolium
和名 スイカズラ、忍冬
キーワード  過去に浸っている

 

過去の中、例えばとても幸せだった時のことや失った友達との記憶や実現しなかった野心の中に生きる人のためのものです。これらの人は過去に経験したような幸せが二度と訪れるとは考えません

 Dr.Ed Bach「12ヒーラーとその他のレメディ」より

 

郷愁という言葉がぴったりくる私の10月、毎年必ず巡ってくる10月10日は夫の命日、1997年のことでした。その年の秋は、ありえないほど安定した快晴が続いていました。おりしも運動会シーズン、末娘の小学校最後の運動会はそんな美しい空気の澄んだ秋の一日でした。午前の競技が終わり、友達家族数人と一緒に校舎の脇で持ち寄ったお弁当を広げ、車座になって食べているところに携帯のベルが鳴りました。病院から夫の容体急変の呼び出しでした。ふと、手元においていたカメラの望遠レンズがころころと転がってセメントの通路の上でカチンと冷たい音を立てました。関係ないのに、なぜこんなことを覚えているのかしら。


 

組体操だけはどうしても見てほしいと言っていた娘の願いも空しく、ゴメン、なるべく早く連絡するねと、私は小学校を後にしました。亡くなる数日前のことでしたが、その頃、何度もこんなことが繰り返されていました。当時の私は無我夢中でしたからわかりませんでしたが、旅立つ日の近いことが、医師にはわかっていたのでしょう。

 

あの頃の不安や苦しみ、辛かったこと、悲しかったこと、そんな思いとごちゃ混ぜになって、金木犀の香り、子どもたちの歓声、砂ぼこり、首筋に光っていた汗の玉、細い三つ編み、青いミカン、泣きたいような青空、いくつもの断片的なシーンが甦ります。あんなに強く揺さぶられたことはなかったのに、今となってはなぜか美しい。

 

ハニーサックルの指標にあるように、昔を懐かしむ気持ちには、夢のようなぼかしのフィルターがかかるかもしれません。それは時間という魔術のなせる技か、辛かったことに対して、自分が頑張ったことを認めたい気持ちもあるのでしょう。お年寄りが過ぎ去った過去を懐かしみ、何度も何度も繰り返すのは、自分の生きた証を話すことで整理するという、意味ある行為なのかもしれません。

 

ハニーサックルは過去の出来事に良くも悪くもとらわれて、そのために現実に集中できない人、過去に住み続けている人のためのものです。例えばペットロス、ホームシックなどはその例でしょう。経験を消化しきれず、現在に生きることができない時、ハニーサックル以外にもチェストナットバッドや、新たなステージへと踏み出す決意を応援するウォルナット、また悲しみの中にとどまろうとする背景には、忘れてしまうことへの罪悪感(パイン)があるのかもしれません。ショックやトラウマのスターオブベツレヘムや恨みがましい気持ちのウィローなど、ハニーサックルのフィルターに隠れている感情に合わせたレメディも、同時に使うことも効果的でしょう。

 

私たちの過去の経験は、現在を通って未来へと続いているわけですが、伸びたハニーサックルの枝が垂れて地に着くと、そこから発根し、新しいハニーサックルが生まれます。過去(親木)→現在(着地)→未来(新しい木)という流れは、ハニーサックルのポジティブなメッセージそのもののですね。

画像はすべて英国バッチセンターの庭に咲くハニーサックル、咲き始めは白かった内部が、受粉すると黄変します。夜に開花が始まるというのも眠りや過去とのつながりを連想させ、何ともノスタルジックです。バッチセンターの建物の扉の前には古いハニーサックルの木があります。この木はバッチ博士が住む前からあったと言われています。

 

以前のブログ~パーソナルノートで、

月のリズムでバッチフラワー

という実践報告を書いていた時期があります。レメディの最後のウィローから順番に、新月から満月へ、満月からへというリズムで1種ずつ、約1か月で2種類のレメディを体験していくわけです。で、半分近くの18種目まできたところで風邪を引いたか、飽きてしまったか(^^ゞ 途中で終わってしまいました。その心残りもあって、再度書き出したというわけです。でも今度はBFRP東海のレメディ研究部のテーマに沿ってレメディを取り上げて行こうと思います。マニアックな深遠な世界へあなたもぜひどうぞ。参加はレベル3以上ですが、読むのは誰でもOKよ! 

BFRP東海 レメディ研究部ブログ

レメディ研究室 ハニーサックルでさらに読む


秋のクロイツニュースから

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秋風に誘われるように、ふと思い立ち
東山魁夷の「緑響く」の
絵のモチーフとして有名な、奥蓼科、
御射鹿池(みしゃかいけ)に出かけました。
中央道に入ると、間もなく雨が降り出し
蓼科の山道を走る頃には霧で何も見えず、
やっとの思いで宿に到着。    
一晩中、降り続いた雨も朝方には上がりました。
雨音かと思っていたら、宿の真横には大きな滝!    
早起きして、池のほとりに出かけると
紅葉した木々が水面に...(後に続く)   


 クロイツ+今月のおすすめ

ジュピター東海主催   
十二星座と人間・世界
星々のことばで謎をとく―
丹羽 敏雄津田塾大学名誉教授)
日 時
:2017年11月23日
(木・祝)
    第1部 10:30~12
:30
    第2部 14:00~16:00

会 場:ウィルあいち 会議室6
参加費:5000円
持 物:各自のホロスコープ 筆記用具
※現在キャンセル待ちです<(_ _)>  
詳細はこちら 



クロイツのカレンダーから

 BFRP東海は、東海地方で活動する
バッチ財団登録プラクティショナーたちのネットワークです
詳細は BFRP東海のHP ブログ等ご参照のうえ
問合せ・申込みは各企画の担当者名を書いて、
BFRP東海メール
bach38tokai@yahoo.co.jp へお送りください

 

第18回 レメディ研究部(対象:BIEPレベル3以上)
日時:10/17(火)10:00~12:00
場所:日進市岩崎公民館 2F和室
参加費:300円 今回のテーマは「ハニーサックル」
担当:田中美帆子(要予約)

 

★バッチフラワーカフェ オープン!   

日時:10/26(木)10:00~15:00

場所:SALONE DI MK カフェ&ワインバー&ギャラリー

カフェの飲食代に500円追加で、バッチフラワー体験ができます。

名古屋市瑞穂区内方町1-29-2 

担当:牧野宏江 (予約不要、どなたでもお気軽にどうぞ)


第17回 植物観察会(対象:どなたでも)

日時:10/31(火)10:30~14:30
場所:名古屋市東山動植物園 植物園エリア
参加費:各自入園料500円を払い入園
持物:スケッチブック・色鉛筆・お弁当・ピクニックシート、ルーペ
担当:嶋崎真由美(要予約)

 

バッチのおしゃべりランチ会(対象:どなたでも)
日時:11/6(月)12:30~14:00ごろまで
場所: 自然の薬箱 2階カフェ&キッチン
参加費:各自の飲食代のみ
担当:井神七子(要予約)

第87回 バッチの読書会(対象:どなたでも)
「なんじ自身を癒せ 第1章」(11R)

日時:11/10(金)10:00~12:00
会場:岩崎公民館2階 和室
参加費:500円 (当日集めます)
持物:バッチの遺産、マイドリンク、お菓子など
担当:岩田千亜紀(要予約)

BIEPレベル3、プラクティショナーコースの名古屋開催のご案内
過去3か月以前にレベル2までを修了された方が対象です。

4日間の学びを通して、国際登録の可能なプロフェッショナルとしての知識と実践を学びます。

英国バッチセンターに認定されている、日本で唯一、世界共通の正規のプログラムです。
レベル3 2017/11/3-6(4日間) 会場:ウィルあいち
お問合せ・お申し込みは  (社)バッチホリスティック研究会


10月の声を聞いて、矢も楯もたまらなくなり、ひとり奥蓼科に車を走らせました。目指すは御射鹿池~蓼科は私の家族にとって思い出深い地です。かれこれ30年ほど前になりますが、子どもたちが幼いころ、夏を過ごすのは決まって蓼科の山荘でした。諏訪インターで下りて、久しぶりに走るビーナスラインも、見覚えのある信号も、懐かしさで胸がいっぱいになります。数年前、御射鹿池を見たいと地図を調べた時、それが蓼科にあることを知って驚きました。なんだ、こんなに近くだったのか。あの頃、知っていたなら、と思わないでもありませんが、こうして一人で訪ねてみようと思えるのも、記憶の糸を手繰り寄せるように、蓼科という場所に近しい気持ちがあったからでしょう。

「ため池百選」に選ばれているこの池は、強酸性で魚は生息できず、水底に酸性水を好むチャツボミゴケが繁茂していることから、木々が水面に美しく映るのだとウィキペディアには書かれています。その朝は風もそよがず、水面は静謐そのもの、まるで一枚の鏡のようです。周辺はフェンスでぐるりと囲まれており、池に近づくことはできませんが、その分、美しさは保たれるのかもしれません。白樺、落葉松、秋の深まりとともに、水面は紅葉を映しさらに華やぐことでしょう。魁夷さんはこの辺りで「緑響く」を描いたのかしら、と思しきベストポジションには、三脚を据え、カメラを構えた人が数名。車のナンバーを見ると大阪、千葉、岐阜...平日の朝の5時半、なぜ人はこうも美しい風景に引き寄せられるのかしら。

バイオグラフィーワークでは、自分の人生の軌跡をもとに、テーマに沿って絵を描いたり粘土を使ったりしながら、記憶の一場面を切り取りつつ、そのつながりをみていきます。そこに現れる風景は、決して美しいとか、壮大とか、心地いい場面ばかりではありません。けれど、私たちの記憶の海の底から、泡のように浮かび上がってくる風景を越えた向こうにある懐かしさは、御射鹿池が持つ静謐さにあるのかもしれません。

今日のバッチの読書会は、10巡目の最終章、8章でした。そこにはちょうどこの御射鹿池を表しているかのようなくだりが出てきます。穏やかな湖のような心、さざ波すら立たず、どんな出来事も、どんな環境も、どんな他の人格も、いかなる状況でも、その湖を波立たせることはできない...安らぎの原風景は、きっと誰の中にもある、平安を愛するこころなのでしょう。

それでは皆様、秋の夜長をお風邪など召しませんように。
 

  * * *

最後まで読んでくださり有難うございました。愛と感謝をこめて。

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クロイツ 中村かをる
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2017秋の植物観察会

紅葉にはまだ早く、ちょっと華やかさに欠けるこの時期の植物園ですが、BFRP東海の2017年秋の植物観察会がスタートしました。今回で16回目を迎えます。

 

前夜から、スマホでお天気を何度も確認、リュックにスケッチブックと色鉛筆を入れたり出したり、朝になったら、おにぎりと水筒をもって…とワクワクしすぎて眠れない。 

 

にもかかわらず、結局遅刻してしまう私ってなんでしょ。15分遅れでみんなに追いつきました。これくらいの時間差なら、まだみんなほとんど動かず、植物園門に近い「オーク」の前にいることは分かってます。あんなに雌花がたくさんあったのに、ドングリはわずか、2個、3個。あゝ、もっと広々とした場所に移してあげたい。

オークの和名はオウシュウナラです。オークといえば樫(カシ)とずっと思っていましたが、調べているうちに、樫というのは常緑樹で、オークは落葉樹、つまりナラなんですって。


 宿根草園では、秋の七草、ススキに萩、シュウメイギクなど、たおやかな花に混じって、白花曼殊沙華が群生していました。赤い彼岸花~リコリスと同種です。

 

GONSHAN. GONSHAN. 何處へゆく、
赤い、御墓の曼珠沙華(ひがんばな)
曼珠沙華(ひがんばな)
けふも手折りに來たわいな。

 

GONSHAN. GONSHAN. 何本か、
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの兒の年の數(かず)

 

GONSHAN. GONSHAN. 氣をつけな、
ひとつ摘(つ)んでも、日は眞晝、
日は眞晝、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN. GONSHAN. 何故(なし)泣くろ、
何時(いつ)まで取つても曼珠沙華(ひがんばな)
曼珠沙華、
(こは)や、赤しや、まだ七つ。

          北原白秋「曼殊沙華」


東海の森には、アサギマダラが好むフジバカマがたくさん植えられています。まだ今はホンの少ししか開花していませんが、10/8には、ここでマーキング調査が行われるらしい。


 

今日は蒸し暑く、蚊もスズメバチもたくさん、飛んでいました。虫たちも来るべき冬に向けて忙しそうです。いつもなら、東海の森でおにぎりを食べ、ビートにラーチ、パインやチェストナットなどをスケッチするのですが、予定を変更して、花畑のほうに移動することに決めました。春から観察しているトチノキの小枝を横目で見ながら、次くるときはしっかりスケッチするね、と声をかけながら。


今回のスケッチのテーマに、私はスィートチェストナット(クリ)を選びました。少し離れたところから、樹形全体を眺め、近くによって枝ぶりや葉の形状を詳しく見ます。バッチ博士は、スィートチェストナットを、「苦痛が余りにも大きく、耐えがたいと感じられるときのためのものです。…眼前に崩壊や破滅以外の何ものもないように見える時のためのレメディです」と記しています。イガイガに包まれた大きな丸い実をいくつも付けて豊かさを感じますが、樹木の形姿全体、また葉の広がり方を見ると、上昇するよりも、大地に引っ張られる下降するエネルギーを感じます。今回、対照的だったのは、オリーブをスケッチしたグループのシェアでした。若々しい滑らかな樹肌、剪定されたところから幾つも上昇する枝を出し、復活、再生のエネルギーが溢れている。樹木のスケッチを通して、バッチフラワーレメディの指標を学び直したような観察会となりました。


 

次回の植物観察会、深まる秋をご一緒しましょ。 

スケッチブックとおにぎりをもって。

第17回植物観察会

10/31(火)10:30~

名古屋市東山植物園門に集合

お問合せはBFRP東海

bach38tokai@yahoo.co.jp 

(担当嶋崎)まで

 

参加費(入園料500円を各自で払い入園)
持ち物 スケッチブック・色鉛筆・お弁当、ルーペ(持っている方)
バッチフラワーの近隣種など、植物を観察しスケッチします。

歩きやすい服装・靴でお越しください。

初秋のクロイツニュースから

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日差しが和らいで
空気が澄んでくると
遠くの音がよく聞こえます

吹き抜ける風に乗って
どこかから人の声
揺れる梢、鳥のさえずり    
嘘みたい
もう秋になりました

お元気ですか?    

 

クロイツのおすすめ

 第12回 バッチフラワーシンポジウム
 
 老年学のすすめ
    と バッチフラワー

~親を見守る眼差し、自分の将来~
日時:2017年10月22日(日)13:00~17:00
会場:アットビジネスセンター渋谷東口駅前503
    
主催(社)バッチホリスティック研究会

 

 



クロイツのカレンダーから

 

 

 

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第85回 バッチの読書会(対象:どなたでも)
「なんじ自身を癒せ 第7章」

日時:9/15(火)10:00~12:00
会場:岩崎公民館2階 和室
参加費:500円 (当日集めます)
持物:バッチの遺産、マイドリンク、お菓子など
 ※読書会後 英国研修報告会へと続きます
担当:岩田千亜紀(要予約)

第17回 レメディ研究部(対象:BIEPレベル3以上)
日時 9/19(火)10:00~12:00
場所:日進市岩崎公民館 2F和室
参加費:300円 今回のテーマは「パイン」
担当:田中美帆子(要予約)

第16回 植物観察会(対象:どなたでも)
日時:9/27(水)10:30~14:30
場所:名古屋市東山動植物園 植物園エリア
参加費:各自入園料500円を払い入園
持物:スケッチブック・色鉛筆・お弁当・ピクニックシート、ルーペ
担当:嶋崎真由美(要予約)

バッチのおしゃべりランチ会(対象:どなたでも)
日時:10/2(月)12:30~14:00ごろまで
場所: 自然の薬箱 2階カフェ&キッチン
参加費:各自の飲食代のみ
担当:井神七子(要予約)

 

11月23日に予定しているジュピター東海の『12星座と人間』の企画には、早々と、受付はまだですか?先に予約できますか?など、たくさんのお問い合わせをいただきうれしい悲鳴を上げております

講師としてお迎えする丹羽敏雄さんは、そのひと月前の10月22日、東京のバッチフラワーシンポジウム2017でもお話をされます。今年のシンポジウムのテーマは「老年学のすすめとバッチフラワー」~親を見守る眼差し、自分の将来~。私自身、親の介護の際に家族全体でバッチフラワーを多用して、その真価に目覚めたところがありますから、このテーマは待ってました!!と言いたい。また丹羽さんの著書『シュタイナーの老年学』は、私の愛読書のトップ10に入ります。

行く道は帰る道

年上の方とお話しているとき、まど・みちおさんの詩のように、今の私の地平からでは見えないものが、見えているのだな、と思うことがよくあります。そんなことができる長生きって素晴らしい。幾つになっても、探究心や好奇心を忘れないでいられたら、それこそが、永遠なる魂の若さなのかもしれません。

シンポジウムでのプログラムは以下の通り

「アンチエイジングの虚構」林真一郎
「シュタイナーの老年学~老いて観える人生の秘密」丹羽敏雄
「青年期の心の教育とバッチフラワーレメディ」神村有紀
「バッチフラワーの老年学~汝自身を知れ~」林サオダ

どのテーマも興味深いですね。
皆さま、東京でお会いしましょう。
そして、そのあとにはぜひ『12星座と人間』にお出かけくださいね。

ところで、バイオグラフィーワーカー・ジュピターのメンバーは、たまたまかもしれませんが、なぜか乙女座だらけ。加えて山羊座も多くて「地」の人ばかり。これってどんな意味があるのでしょう。ちなみに、私の回り、東海のメンバーには、不思議と蟹座、魚座、蠍座が多く、よくいえばしっとり、でもびしょびしょかも。私が「水」だから、水を引き寄せるのでしょうか?それにしても、BFRP東海の協同作業が、いつも柔軟、かつ結束が強いのは、ある種の水の要素が助けになっているのかもしれません。

とはいえ、どんなに仲間と一緒で居心地がよくても、それだけでは個と全体の成長にはつながりません。現に、火、風、水、土の4つのエレメントだけを見ても、偏りがあったりするわけです。でも偏りこそが、個性であり魅力。ただ偏りを魅力に変容させるには、きっと他者との関係、他者の力を活かしバランスをとる力が必要なのでしょう。

それでは皆様、夏のお疲れが出ませんよう、長くて美しい秋を楽しめますように。


 * * *

最後まで読んでくださり有難うございました。愛と感謝をこめて。

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クロイツ 中村かをる
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Tel/Fax:0561-72-9612  info@kreuz7.com

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バッチ博士が住んだ家

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

かなりのミーハーを自認している私ですが、まさしくその通りです。住所を辿って訪ねたのは、1917年、バッチ博士31歳、ロンドン、ユニバーシティカレッジ病院で激務に追われていた頃の住まい Canonbury Square 42

 

当時のままかどうかは分かりませんが、目の前は小さな公園、木立の向こうに見える黒い扉がバッチのかつての住まい。扉の番号を確かめて公園からパチリ。

 

今からちょうど100年前、この家からバッチ博士は病院に通っていたことになります。1917年といえば、最初の妻、グィンドリンが亡くなり、バッチ博士は間もなくキティ・ライトと再婚します。

 

メゾニックホール内部

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

再婚後、居を移したのはこちら。瀟洒な住宅街、89 Calabria Rd です。前の家と同様、イズリントン地区ではありますけれど、半マイルほど北にあたり、病院から遠くなります。

 

バッチ博士、忙しいのに遠くなって大丈夫?

この転居から2か月後、バッチは生死をさまようことになるのですが...。

 

こちらも黒い扉、左側の家です。家を見ていると中から人が出てきました。慌てて何気ない素振りをする自分が可笑しい。

 

同じ並びの、数件離れた家では改築の真っ最中。外観は全く変わらず、中身だけごっそり取りかえです。日本では家の寿命は短く、同じ土地に住んでいても新築~つまり人は変わらず、家が変わりますが、ここイギリスでは、家は変わらず人が入れ代わるというわけです。とても美しい住宅街ですが、これらの建物はすべて100年以上前からあったということですものね。

 

念願のバッチ博士のロンドンの家も制覇(?)しました。2017年の夏、バッチ三昧の旅もそろそろ終わりです。

バッチ博士がキティと住んでいた家
カラブリア通り イズリントン

アガサ・クリスティの終の家

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

聖書とシェークスピアの次に、世界中で愛読されているといわれる、ミステリーの女王アガサ・クリスティが、85歳の生涯を閉じたのは、ウォリングフォードの中心部から少しはずれたところにある、ウィンターブルック・ハウスでした。引っ越し大好き、数多くの家を同時に所有したクリスティですが、この家につけられたブループラークには、はっきりと「lived here1934-76」と記されています。

メゾニックホール内部

ウォリングフォードの町のサイトには、アガサ・クリスティが、町の名士みたいな感じで、誇らしく紹介されています。素敵なサイトだから見てみてね。バッチ博士も、ノラ・ウィークスと、この町にしばらく住んでいたようです。ノラが、とことこ隣村のソットウェルまで散歩に行って、その後、移り住むことになるマウントバーノンを見つけたのだとか。ノラさん、かなりの健脚ですね~

 

https://www.wallingford.co.uk/home

サイト内のVsterをクリックすると、アガサ・クリスティのページがあり、そこをまた入っていったら、なんと只今、9月8日から10日まで「アガサ・クリスティ ウィークエンド2017」を開催中とのこと。そう聞いても、行けないけど。

ウィンターブルック・ハウスで寛ぐアガサ・クリスティとマックス・マローワン 

かの有名な失踪事件の2年後、クリスティは14歳年下の考古学者マックス・マローワンと出会い再婚します。その後、ウォリングフォードに家を買ったのは、ロンドンにも出やすく、マックスがオックスフォードに通うにも便利、レディングまで出れば、ダートマスのグリーンウェイ・ハウスにも行きやすかったということだったのでしょう。それにしても、アガサ、あなたはもうこんなおばあちゃんだったのね


バッチとフリーメイソン

エドワード・バッチ博士がフラワーレメディのシステムを完成させた翌年の1936年、ウォリングフォードのメゾニックホールで催したフラワーレメディについての一般講演の記録が残っています。

 

私がまだBIEPの受講生だったころ、バッチ博士がフリーメイソンだったことを知って、少し驚きました。というのも、フリーメイソンって、なんだか怪しい秘密結社であるかのような印象があるでしょう。

 

でも、かのゲーテやシラー、モーツァルトやハイドンなど、名だたる芸術家をはじめ、米国歴代大統領など多くの著名人もメンバーだったことは知られていますし、ボーイスカウトとのつながりなどからは、健全な慈善団体という印象も受けます。

 

そもそも、中世から存在するフリーメイソンは「自由な石工」を意味し、大聖堂や城壁を設計、建築する人々の集まり、石工の職人組合だったことに端を発するといわれています。(諸説あり)それが、年月を経るうちに、王侯貴族や知識人が参加するようになり、中・上流階級のクラブ、社交の場、精神修行の場、友愛組織へと変化していったようです。

 

フリーメイソンの基本理念は、自由、平等、友愛、寛容、人道の5つ、「すべての人が同意することのできる宗教」に従って「真実で善良な人間」になることが求められている(吉村正和『フリーメイソン』講談社現代新書)と書かれています。 

フリーメイソン メゾニックホール

ウォリングフォード、メゾニックホール入口

メゾニックホール内部

ホール内部


 

バッチ博士がフリーメイソンに入会したのは1918年、第一次世界大戦も終わりに近づいた32歳の時でした。その前年、彼は大きな試練に見舞われます。妻の死、再婚、そして病に倒れ手術、余命3カ月と宣告を受けます。ところが、人生の仕事に邁進するうちに不死鳥の如く甦り健康を取り戻していきます。そうした経験とフリーメイソン入会とは、何か関係があるのでしょうか。

 

一人の人間として、バッチが抱えていた葛藤なども含め、バッチ博士の著書『汝自身を癒せ』の中に描かれている世界観や健康観を貫いている、古代と近代、神秘と科学、見えない世界と見える世界をつなぐホリスティックな視点が、バッチ博士の人生を辿るうちに、さらに浮かび上がってくるようです。

 

講演をしたのは、儀式をするホールではなく、おそらくこちらでしょう、と案内してくれたのが、右のホールです。舞台の青い幕を開けるとフリーメイソンのコンパスとマークが大きく描かれていました。しかも、このホールではバッチ博士ばかりか、この近所に住んでいたアガサ・クリスティが、作品の上演をしたのだとか。5分も歩けば家があるよ、という言葉に大興奮→クリスティの家

 

今も昔も、こういったホールは人が集まる場所。フリーメイソンのセンターが今やバランスボールのエクササイズの会場だなんて。

ウォリングフォード メゾニックセンター外観

バッチ三昧の旅5

バッチセンター2017

 私が初めてバッチセンターを訪れたのは、2007年の初秋のこと。当時、ストラウドに住んでいた二女と一緒でした。その静謐な佇まいは、それまで訪れたどの場所も霞むほどの衝撃を受けました。

 

 あれから何度訪ねたことでしょう。今では日本からのバッチセンターツアーに合わせ、東海や関西の仲間たちと、またロンドン在住の長女(バッチセンターでBFRP取得)とともに、2年毎に訪れるのが恒例となりました。


 毎回、ほぼ同時期に来ていますが。年毎に気温も違えば、微妙に花の時期もずれ、前回は満開だったのに、今回は少しだけとか、その反対のこともあります。確かこの辺に咲いていたはずなのに、全く違うところから出ていたりなどなど。

 2年前、ガーデナーが変ったばかりの庭は、意気消沈して見えましたが、今回はすっかり息を吹き返し、植物は驚くほど元気で丈高くなっていました。建物の奥にあるアスペンの木の前で。現在のガーデナー、アランさんのガーデンツアー。


 

バッチフラワーの学びの中で、欠かせないのはバッチ博士の宇宙観、人間観。1930年代、この場所でバッチ博士は、人間の心身の健康について思いを巡らし、フラワーレメディのシステムを完成させました。ここにいると「場」の力というものを感じないではおれません。知識や頭ではなく、感覚、さらにもっと奥深い精神性が見える形となって、この場に息づいていることをすべての人に味わってほしいと願っています。

 

 


あわせて読もう2年前のバッチセンターツアー

バッチセンター2015 バッチセンター2015の2

真夏のクロイツニュースから

あれよあれよという間に8月になりました。
はやくも立秋、暑中お見舞いから残暑お見舞いへ

先日、思いついて阿智村に行き
何となく夜のゴンドラに乗って、
標高1400メートルの星空を見てきました。
宿が貸してくれたマットの上に寝転がり、
ブランケットに包まってもまだ寒い。
夜風は冷たく、夜露がしっとりと降りてきます。
待つこと30分、一斉にあたりのライトが消されると
突然、浮かび上がる天の川、夏の大三角。
思わず知らず涙がこぼれます。
それにしても、折角の星の饗宴
ライトのみならず、マイクも消してほしかったなぁ

 


クロイツのおすすめ

「BIEPレベル1 名古屋2日間コース」
日程 2017/9/17-18日・月祝)10:00~17:30
会場 ウィルあいち
受講料 
38,000円(教材、消費税含)
バッチ国際教育プログラム(BIEP) は、バッチフラワーの創始者エドワード・バッチ博士から直接継承された教えを体系的に学ぶ世界共通のプログラムです。あなたも正規のコースで学んでみませんか?2日間でBIEPレベル1が取得できます。

名古屋レベル1*2日間コースへGO!



クロイツのカレンダーから
夏の名古屋オイリュトミー集中講座
名古屋オイリュトミーの会主催で、毎年夏と冬に開催しています。
初めての方もどうぞご参加ください。
日時:8/19-20(土日)10:00~12:00、13:30~15:30
会場:イーブル名古屋(地下鉄東別院徒歩2分)
講師:横山守文(オイリュトミスト)/ピアノ(鈴木里美)
参加費:1コマ3,000円、1日5,000円
持物:底の薄いシューズ、動きやすい服装(女性はフレヤースカート等)
お申込・お問合せ 090-1097-0230(鈴木)/kreuz706@gmail.com(中村)
.......★.......
BFRP東海
は、東海地方で活動する
バッチ財団登録プラクティショナーたちのネットワークです
詳細は BFRP東海のHPブログ等ご参照のうえ
問合せ・申込みは各企画の担当者名を書いて、
BFRP東海メール bach38tokai@yahoo.co.jp へお送りください


レメディ研究部(対象:BIEPレベル3以上)
日時 8/22(火)10:00~12:00
場所:日進市岩崎公民館 2F和室
参加費:300円
担当:田中美帆子(要予約)

バッチのおしゃべりランチ会
日時:9/4(月)12:30~14:00ごろまで
場所: 自然の薬箱 2階カフェ&キッチン
参加費:各自の飲食代のみ
担当:井神七子(要予約どなたでも参加できます

第85回 バッチの読書会
「なんじ自身を癒せ 第7章」
日時:9/15(金)10:00~12:00
会場:岩崎公民館2階 和室
参加費:500円 (当日集めます)
持物:バッチの遺産、マイドリンク、お弁当、お菓子など
担当:岩田千亜紀(要予約どなたでも参加できます

★読書会終了後、引き続き7月のバッチセンターツアーの
報告会があります。お楽しみに!
「バッチ三昧の旅」は ブログでぼちぼち更新中です。

アストロロジーライターのSayaさんによれば、占星術を意味するアストロロジーという言葉には「星の会話、星の言葉」という語源があるそうです。この夏、冒頭で書いた通り天上の星々に感激し、 前回のメールで取り上げた、タウマゼイン(存在驚愕)、存在することへの賛美、畏れを改めて実感した私は、以前から星読みに関心があり、いつか星の言葉が読めるようになりたいと思っています。最近では単なる星占い、またマニアックな西洋占星術の域を越えて、一億PVを誇る、大人気の星読みライター、石井ゆかりさんのような存在もあって、アストロロジーの世界もずいぶん裾野が広がりました。

 バイオグラフィーワークでは、人間に働きかける諸力として、惑星や12星座も学びに含まれますが、惑星に比べると12星座は~宇宙の真夜中~まだまだ未知の分野で、情報が決して多くありません。せめてオイリュトミーの、12星座は子音として動くことを足掛かりに探ってはみても、総合的に捉えるのは難しい。占星術は実際に宇宙を運行する星々、天文学がベースにあるわけですから、ここはひとつ占星術の基本を学ぼうと、ジュピター東海(バイオグラフィーワーカーの東海グループ)で話し合った結果、秋も深まる11月23日(木・祝)『12星座と人間』というテーマで、『星々と木々』『百合と薔薇』でおなじみの丹羽敏雄さんを招き、1日講座の計画を立てました。一人ひとり自分のホロスコープを手にしながら12星座に親しもうというわけです。
 星々を巡る旅をご一緒しませんか?ご案内は後日サイトにてお知らせします。

 今日は立秋、明日8日は水瓶座で満月が起こります。そしてお天気次第ですが、午前2時22分ごろから1時間ほど掛けて、月が欠ける部分月食が見られるそうです。また13日は、夏の夜空のハイライト、ペルセウス座流星群が見頃を迎えます。条件がよければ1時間に30個も!? 睡眠不足が続きそうです。とはいえ、今はその前に気になる台風5号、こうして書いている間も、時折、激しく雨が窓を叩きます。あちこちで雨風の被害が出ていますが、どうぞ大過なく通りすぎますように。

それでは皆様、名残の夏を健やかにお過ごしくださいませ。
* * *

最後まで読んでくださり有難うございました。愛と感謝をこめて。

 

このメールはクロイツにご縁のある方、BIEPを学ばれている方にお送りしています

 

配信不要、アドレス変更の場合はご遠慮なくご一報ください

 

 

クロイツ 中村かをる
* * *

 

愛知県日進市岩崎町石兼56-72

 

Tel/Fax:0561-72-9612  info@kreuz7.com

 

KREUZ+ https://kreuz7.com

 

バッチ三昧の旅4

クリックハウエル界隈

ウェールズ2日目、見事に晴れました。清々しい風が川面を渡っていきます。見どころはいろいろあるものの、残された時間はわずか。タウンセンターのそばにある古城と、ミムラスがあったと記述があるクリックハウエルハイスクールのグランドを探してみます。

ハイスクールから、St.Edmund's Churchの塔を見る

木立に隠れて見えないけれど、眼下にはアスク川

クリックハウエルハイスクールは私立校ではなく、公立校です。ぐるりを山に囲まれて、こんな素晴らしい環境の中にあるなんて、なんと贅沢・・・。ここは国立公園ブリコン・ビーコンズの中に立地しているのですから景色がいいのは当たり前でした。

 

このあとは、クリックハウエル城へ。ドラゴン・インでサンデーランチを食べたら、ウェールズともさようならです。また来られるかな。

クリックハウエルキャッスル

一部を残すのみとなっている、クリックハウエルキャッスル。周辺にはワイルドフラワーガーデン、グラウンドやのどかな公園となっています。

古城の城砦の一部が通りの中に。

通りの名前はタワーストリート

タワーストリートにほど近いドラゴン・イン

ガーデン最高!お料理もおいしくてお値打ち。



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バッチ三昧の旅3

オークの木の下で

前回訪れた時、アスク川の対岸には入れませんでした。

遠目に、あの大きな木はなんだろう、と思っても

近づいて見ることができません。

ところが、幸運にも、今回はイベント会場の駐車場として

門が大きく開かれていました。

 

ヤッタァ~巨樹に向かって走り出したものの、

ゲッ! 気づけば足元は馬の糞だらけ!

草か糞かというほどの凄さです(苦笑)

 

こんなことで怯んでなるものか、顔を上げて走る私!

 綺麗な芝生に見えますが、実は糞まるけ。

それにしても、樹形が見えるっていいなあ。

日本では木が多すぎて樹形が見えないのが普通ですから。

―あの木は、オークでした―

立派な木には、称賛の言葉をかけよう。

なんて堂々としているの。素晴らしい。

聞かせてください。これまで何を見てきたのか。



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バッチ三昧の旅2

インパチエンス、見つけた!

アスク川のほとりへ

ウェールズ語らしいホテルの名前が発音できませんが

このリバーサイドレストランは、

アバガベニーとクリックハウエルの中間に位置し

移動に車がないと少々不便。

ハードネゴシエーターの我がツアコン娘は

どんどん交渉し、時間も金額も思いのまま。

 

チェックイン前だけど、部屋に案内され、荷物を置くと

私たちは再び7人乗りのタクシーを駆って

クリックハウエルのセンターへ。

 

インフォメーションセンターで地図をもらい、

てくてく歩いて川まで下ること10分足らず。

途中の生垣にクレマチスを見つけ、洒落た窓辺や

ドアを彩る薔薇や藤に歓声を上げながらやってきました

アスク川。

ここまで来ると、昨年、途中まで登って恐怖を味わった

テーブルマウンテンがすぐ近くに見えますが

騙されちゃいけない、目の錯覚です。

 

ウェールズで最古の石橋の上を車がどんどん通ります。

計算外だったのは、河岸の広場がイベント会場に!?

物珍しそうな視線を浴びつつ、7人の小人たち

(いや大人ですが)は、並んで川岸に沿って進みます。


 

ドキドキ ない? ない? 

あっ、あった~!!

光る水面に照り映えてインパチエンスが、

あちこちいっぱい、咲いているではありませんか。

あ~うれしい。

濃いピンクのインパチエンスに混じって

バッチフラワーレメディに使われているという

優しい藤色のインパチエンスも咲いています。

向こう岸にも、沼地の小道にも、

あ~~神様、ありがとう。


 

野生のインパチエンスは、これまでイギリスでは何度か見かけました。

デボンやコッツウォルズの小川のそばで、いずれも水辺に群生していて狂喜乱舞したものです。

けれど、このアスク川の岸辺に咲くインパチエンスは、私たちBFRPにとっては特別です。

何といっても、この場所で、このインパチエンスたちの先祖(?)が

インスピレーションとなったかもしれないのですから。


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バッチ三昧の旅1

ウェールズ再び

ロンドンからアバガベニーへ

1年前、アバガベニー(Abergavenny)へ向かった日は

EU離脱の可否を問う投票日で、イギリスは異様な興奮に包まれていました。あれから1年後、今もテロや火災などの渦中から抜け切れていないイギリスですが、今年も同じ季節に訪れることになりました。

 

南ウェールズ、アバガベニーからクリックハウエルを

流れるアスク川の畔は、かつてバッチ博士が何度も訪ね、バッチフラワーの源泉になった場所です。

 

エドワード・バッチの『オリジナルライティング』の中に挿入されているノラ・ウィークスのスケッチには、アスク川の岸辺、クリックハウエル橋のあたりにインパチエンスやミムラスの咲いている場所が描かれており、昨年その場所をしっかりと歩いているにも関わらず、その気配を感じられなかった私としては、今度はもうちょっと違う季節に来よう、と思っていたのでした。

 

けれど、今年は2年毎に催されているバッチセンターツアーの年、東海からも関西からも知った顔がイギリス・バッチセンターに集います。この機を逃してはみんなとウェールズに行くことは叶いません。昨年より10日ほど遅く、しかも今年のイギリスは暑い、きっと開花期を迎えているに違いない!

 

そう念じて、BFRP東海勢と関西勢、ツアコン役の長女に私の7人で野生のインパチエンスを見ようと、渡英2日目の早朝、ロンドン・パディントン駅に7人が集合、顔合わせもそこそこに、電車は西へ西へとひた走る。

 

ニューポートで乗り換えて約30分、アバガベニー到着。

とりあえず今夜の宿へ向かいましょう。

バス停で待つこと20分遅れ、

コトコトコト、バスがやってきました。

まもなくバスの窓外は、Brecon Beacons 国立公園らしい

壮大な風景が広がっています。

 

バスの運転手さんが、急にこちらに声をかけました。

どこのホテル? 長女が名前を告げて、しばらくすると、

ここで降りるといいよ、とバス停でもないところで

停まってくれました。

笑顔のお礼で、ぞろぞろ降りる私たち。

 

わ~~い!眼下にアスク川! 山並みの広がり!

リバービューの可愛いお部屋。興奮度数マックス!!!

 

何といっても素晴らしい眺め。レストランも美味しい。

昨年泊まったBears より、私はずっと気に入りました。

おまけに安い。

Llanwenarth Hotel & Riverside Restaurant

 

但しこの時のバス以外、移動はすべてタクシー

しかも7人乗りが確保できて、交通費も割安。

この辺りの交渉は、やはり優秀なツアコン(?)娘の

存在があって可能だったかも。つづく

アバゲベニー駅
窓の外に広がる壮大なウェールズの風景
ホテルの窓からの風景
Llanwenarth Hotel & Riverside Restaurant
Llanwenarth Hotel & Riverside Restaurant

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梅雨のクロイツニュースから

6月も終わりに近づきました。
2017年が明けたのはついこの間だったような気がするのに、
時の流れの早いこと。
「時」の使い手になりたいと願いつつ、
すっかり使われているのが日常です。

甲斐信枝さんの『雑草のくらし』に描かれている
空き地のスケールには、はるか遠く及びませんが、
クロイツの庭はさしずめ雑草の王国、
6月に入る頃には草の勢いは日に日に増して
今やもうお手上げ、草抜きではなく草刈りが必要です。
それでも木漏れ日の中で、
胸元まで伸びたヒメジョンの白い花が
ゆらゆらと揺れている様は、えも言えず美しく、
まぁいいか、という気になっています。
窓辺の向こうはコナラの木、
雨間に鳥のさえずりが聞こえてきます。

あまりにも有名で、今更の感がなくもないのですが、
谷川俊太郎さんの処女詩集『二十億光年の孤独』の集英社文庫(2008)に
収められている「自伝風の断片」のなかに、
父親である谷川徹三(哲学者)の
「妙に記憶に残っていること(昭和34年)」という一文があります。

「…その時私は、そういう気質に俊太郎が生まれついたことを、
なかば嬉しく、なかば気がかりに思って、それを母親に話したものだった。…」 
当時5,6歳だった俊太郎さんが、庭で急にジダンダを踏んで泣きだしたので、
どうしたかと見たら、犬にちょっかいを出されたカマキリがかわいそうで、
何とかしてと訴えており、それで犬を追っ払ったらすぐに泣き止んだ。…
大人になったあとも、家の中に入ってきた蟻やハエ、クモさえも殺さず、
家の外にそっと出していた、と続きます。
 
このくだりを読んで、私はふと、まど・みちおさんを思い出しました。
そして二人の非凡なる詩人に共通していたのが
「いきているもの」に対する眼差し、
その根底にある「驚異(タウマゼイン)」だったことに、
激しく胸を打たれました。

タウマゼイン(驚異、驚愕)というギリシャ語は、ウィキペディアに出ている例を出すと
「 ふと空を見上げた時、そこに無数の星々を見る。何とはなしに、こんなことを考える。
「この星々はいったいどこから来たのか、この世界はどこまで広がっているんだろうか、
この広い宇宙の中で、なぜ私はここにいるのだろうか、そもそもなぜこういう世界があるのだろうか」
こうしたことを問うた時、そしてそこに自分の知的理解の及ばない問題があると気づいた時、
人はある種の「驚異」を覚える。こうした驚異のことを、哲学者たちはタウマゼインと呼んできた。

哲学も化学も文学も、すべて驚き「A」「ああ!?」から始まったのかも?

ここでいう驚きは、単に珍奇なこと、未知への好奇心や興味を指すのではありません。
もっと本質的で根源的な「存在することに対する驚き」です。
まど・みちおさんの詩には、その「存在驚愕」が、分かりやすい言葉で、たくさん出てきます。
かつて、朝日新聞の天声人語で取り上げられて一躍有名になった、
「ぼくが ここに」は、その代表かも知れませんが、
それ以外にも「カ」とか「木」とか、動物、植物を問わず、
それらの詩を貫いているのは、存在することへの畏敬の念です。

《りんごが ひとつ/ここに ある/ほかには/なんにも ない//
ああ ここで/あることと/ないことが/まぶしいように/ぴったりだ/》「りんご」

今、世界中で起きている天災、人災、争い、複雑に絡み合った問題や困難等々、
それらは見方を変えれば、多くの犠牲を払いつつも、
私たちを成長へと導くものかもしれません。
そしてそのほとんどは遠くの出来事であり、我が身に降りかからない限り、
真剣に向き合うことも少ないのです。
来週半ば、EU離脱、続発するテロ、火災等々、熱波に揺れるイギリスに出かけます。
日常のロンドンは下の画像に見られるように、6月には稀な暑さの中、
子どもたちがボートの練習に励む風景もありのどかですが、
当然周囲からは、大丈夫?という声がかかります。
けれどそこは恐怖や不安ではなく、
畏敬の念、タウマゼインという言葉を思い出しながら、
異国を旅してこようと思います。そのご報告はまたブログで。
皆さま、どうぞよい時をお過ごしください。
蟹座新月の日に

初夏のクロイツニュースから

5月、まばゆいばかりの新緑、木々の梢は、高みへと伸び、私たちの眼差しを空に誘います。普段、空を見上げることの少ない人も、この季節ばかりは、ついつい遠くを眺めてしまうのではないかしら。
 GWに娘たちがイギリスの自然遺産、ジュラシック・コーストを訪れたと、青い海の画像が届きました。冬並みの寒さと曇天が続いていたにも関わらず、奇跡的に晴れたのだそう。
こんな深い青を見ると、谷川俊太郎さんではないですが、あゝ、ふるさとは海のかなた、なんて言葉が浮かんできます。周辺ではアンモナイトの化石がいっぱい見つかるのだとか。三畳紀やジュラ紀に生きた首長竜や爬虫類を想像しつつ、春から夏へ、桜、藤、栃、栴檀(せんだん)など、梢を彩る花を透かして見る空に、「我がふるさとは空のかなた」などとつぶやいてみたりしています。

目が覚めた時、ふいに、言葉とかイメージが浮かんでくることってありませんか?

私は、毎日じゃないけれど、割とあります。
決して夢の続きなどではなく、突然、ふっと、です。
眠っている間に、見えない世界で、お叱りを受けたり、励まされたりしているのか、
コトンと何かが落ちてきたように答えが出たり、
思ってもみなかったアイディアが浮かんだり、覚悟が決まったりします。
日程を決めかねているような時に「月を使え~」なんて聞こえてくるわけです。
かなり、あやしい話しですけれど、これホントです。

それで、私の「今朝のお告げ」(笑) は、
なぜか「セントーリー」という植物の名前でした。
その言葉に目覚め、微睡みながら、
それは「余裕がある」ってことだ、とぼんやり考えました。

バッチフラワーで、セントーリーと言えば、
「親切で優しく他者に尽くす気持ちが強すぎて、
自分のニーズを無視しているうちに、人の言いなりになってしまう」
ネガティブな状態を指します。

私は横になったまま、朦朧とした頭で、
相手を優先させることは、自分は切羽詰まっていない、
いいよ、と受容できるのなら、それは余裕ってものだなあ、と
とりとめもなく、思いを巡らしていました。
だからといって、いつもというわけにはいかない。
常に他者を優先していたら、相手の成長の機会を奪うことになるし
なによりも、自分で自分を虐めていることになる。
そう、献身の気持ちは持ちつつ、適切な自己主張がポイント!

そこまで来たとき、急にハッと覚醒しました。
え!?なんで、セントーリーなの?と、自分に問いました。
はて、今の私って、何か、言いたいことが言えないでいたかしら?

さしあたって、思い当たることはありません。

でも、まだ形を取ってはいないけれど
私の無意識の海の中から浮かび上がる泡のように、
何かが声を上げようとしているのかもしれません。

誰にでもあることだと思うけれど
たとえば、先送りしていること、
たとえば、諦めていること、
たとえば、状況を見過ぎていること、
たとえば、本来の目的から外れている責任や義務など、

ゆっくりと考えてみなければなりません。
振り返り、自分への問いを立て、ゆっくりと考えてみましょう。

何せ、これはお告げなのですから ね。
それでは、また!

下の画像はセントーリー(Centaury)
リンドウ科 シマセンブリ属 和名ベニバナセンブリ

ブラームスはお好き?

私が初めてブラームスという名前を知ったのは、多分、母が歌う子守歌からだったと思う。当時にしては珍しく西洋音楽好きだった母は、毎夜、子守歌を歌ってくれたが、それが日本の子守歌ではなく、シューベルト、ブラームス、モーツァルトなどなどだった。私はモーツァルトの子守歌の、♪~月は窓から~銀のひかりを~そそぐこの夜~♪、というところが特に好きで、しつこくリクエストをしたものだ。

 

1954年、フランス実存主義の影響を色濃く持つフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」が、弱冠18歳の若さで世界的なベストセラーとなった。その5年後に書かれたのが、「ブラームスはお好き?」だった。中学生になっていた私は、なぜ、モーツァルトではなく、ブラームスなのだろう、と思いながら、むさぼるように読んだ。

 

それから何年経っただろう。1977年の春、サンフランシスコのオペラハウスで、アシュケナージ指揮のブラームスを聴く機会があった。ワクワクしていたのも束の間、演奏が始まると間もなく気分が悪くなり、もう聴くどころではなかった。ブラームスを聴く時は事前の食事をしてはいけない。気をつけようと思った。それにしても、もったいないことをしたものだ。

 

木曜日、豊田あげつまクリニックのホール、ノバリウムで、県芸の教授陣による「ブラームス室内楽の夕べ」のコンサートがあった。デュメイのCDを聴いて好きになった、ヴァイオリンソナタ第1番と、あまり知らないピアノ四重奏曲第2番だ。渋い...なんてカッコいいプログラムだろう。そうそうたる演奏者たちの奏でる響き、円熟、重厚、軽妙洒脱~教授、准教授ともなれば、後進の指導が大きな仕事であろう彼らが、表現者だけで生きていただろう若かった頃とは、おそらく違う世界を見せてくれている、なんて贅沢な至福の時間だろう。。。

参りました。

 

ブラームスはお好き?

もし、特別にお好きじゃなくても、

ぜひどうぞ。

 

ブラームス室内楽全曲演奏プロジェクト

2017/5/23(火)18:45

ザ・コンサートホール 名古屋伏見

フランソワーズ・サガン(1935-2004)

富裕な家庭の第3子(末子)としてフランスに生まれる。18歳のデビュー作で世界的名声とともに巨額の富を得る。莫大な収入を得たものの浪費も激しく、 酒、たばこの他、自動車事故で重症を負った時の痛み止めのモルヒネから麻薬中毒となり逮捕されたこともある。

 

ユーミンの「セシルの休日」に出てくるセシルは、サガンの「悲しみよこんにちは」に出てくる主人公の女の子、ということを知ったのは、ずいぶん後の話しです。


アガサ・クリスティーを訪ねる旅(3)

トーキィー アガサの生まれ故郷

先月、ミス・マープルのセントメアリーミード村はどこに?ということで、その候補の一つとしてあげられている「妖精の住む村、コッキントン」について書きましたが、そこへ向かうバスが出ているのが「イギリスのリヴィエラ」と称される海辺の町、トーキィーです。

 

トー(tor)は とがった岩山、キィー(quay)は波止場、河岸のことで、アガサは、アメリカ人の資産家の父と、その義理の従妹にあたるイギリス人の母の間の第三子として誕生します。引っ越し好きで家を買うのが大好きだったアガサですが、トーキィーにある「アッシュフィールド」と名付けられたその家を、生涯を通して「我が家」と呼んだそうです。

 

「スリーピング・マーダー」、「エンドハウスの怪事件」、「書斎の死体」などで登場する、インペリアル・ホテルは、海を見下ろす小高い丘の上にあり、だらだら続く長い坂道を登っていくと、眼下に広がる海がキラキラと光り、行き交う船も美しく、いかにもリゾートという感じがします。インペリアルホテル(作中ではマジェスティックホテル)のバルコニーのテーブルで、ミス・マープル、またはポアロとヘイスティングの気分で、海を見ながら、優雅なランチタイムです。

アガサ・クリスティゆかりの場所につけられているアガサ・マイル

 アガサ・クリスティの終の家はこちら

またしても、雨の植物園

今年の春はやっぱり不安定、3回目の植物観察会(4/26)はまたしても雨になり、今度こそ中止になりました。でも、クラブアップルも気になるし、オーク(ヨーロッパナラ)の開花が、今を逃すと観られないかもと思い、大雨を覚悟して出かけました。で、オークの前にいくと、同じ思いに駆られた3人が集合(笑) 来てよかった! 

 

頂芽から勢いよく葉っぱが吹き出して、雄花も雌花も咲き始めです。こんなのを見せてもらえるなんて、うれしい!ありがとう

 

シュッシュッと音を立てているみたいに一気に目覚めました。まるでマジック!

 

 


オークの雄花と雌花

 

柔らかな若葉の縁は仄かに赤みを含んでいます。雄花は尾状花序で垂れ下がるように咲き、風の吹くに任せて、大量の花粉を飛ばすのです。雌花は痛々しいほど赤くて小さくて上向きです。花粉を上手に受け取れますように




私たちの定点観察では、歩くルートをほとんど変えず、順番に丁寧に見ていきますが、今日ばかりは、雨がひどくならないうちに、クラブアップルを先に見ることにしました。開花すると真っ白なのに、蕾や咲き初めは薄紅です。美味しいのでしょうか、虫食いが目立ちます。



雨がだんだん激しくなってきました。もう帰る、とは誰も言わず、いつものように、立ちどまり、観察し、話しかけては、歩きます。「雨の日もいいね」と言いながら。バイン(葡萄)、ハニーサックル、みんな蕾が膨らみはじめました。

 

池のそばのアスペンの花はどんなだろう。花が咲いている様子ですが、木が高いのと、建物の屋根に邪魔をされてよく見えません。ところが、ふと地面を見ると、花が一杯落ちているではありませんか! アスペンの花を見るのは初めて。

バッチフラワーのアスペンの画像では、ちょっと不気味な印象を抱いていたのですが、ここのアスペンの花は白くてふわっふわの綿毛のようです。


東海の森に入ると、雨のせいか、よりひっそりとしています。冬の間は、葉を落として明るかったブナの森も、もうこんなに繁ってきました。これからさらに緑陰も深まっていくことでしょう。私がずっと観察しているブナの小枝、去年は一年間、全く様子を変えなかったのに、今年は、葉を出していたので、びっくりしました。今年は変化が楽しめそうです。雨脚が強くなり、スケッチできるような状況ではありませんが、次回に期待をつなぎます。もう、カメラを構えることもできないほどのひどい降り。それでもいつものコースをずぶ濡れになりながら楽しそうに歩く3人でした。あ~~寒い、何か温かいものを食べに行こう!!


 

次回の植物観察会は、きっと晴れる! ぜひスケッチブックをもってご一緒しましょう。

第15回植物観察会

5/17(水)10:30

名古屋市東山植物園門に集合

お問合せはBFRP東海

bach38tokai@yahoo.co.jp 

(担当嶋崎)まで

 

 

参加費(入園料500円を各自で払い入園)
持ち物 スケッチブック・色鉛筆・お弁当、ルーペ(持っている方)
バッチフラワーの近隣種など、植物を観察しスケッチします。

歩きやすい服装・靴でお越しください。

4月のクロイツニュースから

4月、いつものメール配信からメルマガへの切り替え作業が手間取り、クロイツニュースのお届けが遅くなりました。皆さま、ごきげんいかがでいらっしゃいますか? この辺りでは桜も咲き終わり、芽吹きの季節となりました。痛々しいほどの新芽が、日に日に普通の若葉になっていくのを見ると、その鮮度を留められないことに、なんだか切ない思いがしてなりません。生きているものは、みな移ろっていくのは当たり前のことですが、生命が溢れる春ほど、それを感じさせられるときはないのかもしれません。ホリーの花に蜂が集まり、スターオブベツレヘムの花も開き始めました。植物たちとともに、春をしばらくとどめ、楽しみたいものです。 

4月、新生活が始まった方も多いことでしょう。引っ越しを重ねていると、自然に身の回りの取捨選択がされていきますが、私のように同じ場所に30年以上も住んでいると、いつしかどっさり、暮らしの澱のようなものが溜まっていきます。家族が増えては、またやがて減っていくプロセスで、その都度、整理整頓をしていかねば、決して片付かないわけです。とはいえ、独立していった子どもたちの、物置部屋みたいなところもあって、一家を抱合している実家のような存在は、私個人だけでは決めきれないものも多く、なかなかすっきりとはいきません。

私自身、整理が嫌いなわけじゃないですが、正直に言うと、断捨離を掲げることにはちょっと抵抗があります。無駄も捨てがたい。無駄があってこそ、味があろうというもの。箪笥の肥しには安心感があるし、捨てられないメモ書きも、時には重要な意味があるかもしれない。働かないアリ理論なんてものもあるじゃないですか、というようなことを考えていたある日、ここ何年か、折にふれ、思い出そうとして出てこない言葉がありました。それは「回心」、確かメタなんとかって言うんだったよなあ、とおぼろげな記憶を辿っても、どうしても出てこなかったものが、ふと会話の中に入ってきて、それが糸口になってググってみたところ、「メタノイア」という言葉だと分かりました。ああ、すっきり。

その翌日のことです。毎日使っているファイルの引出しに、古い手帳が入っているのに気づき、何気なくしおり紐の挟んであるところを開けてみたら、な、な、なんということでしょう。そこには 私の字で、「メタノイア 回心 ギリシャ語」と書いてあるではありませんか!

それは2000年の手帳でした。私ったら、17年前の手帳をいつも使うところに入れていた、かつ、しつこく思いだそうとしていたことになります。今でこそすぐに答えは得られそうですが、17年前のことですから、その過程ではググるという言葉も発想もなかったのです。それにしても興味深いのは、答えが分かった途端に、それまで隠してあった答案用紙が、ひらりと出てきたみたいな感じです。いったい誰が隠して、誰が出したの?と思わず聞きたくなります。もちろん、この手帳を処分していたら、この面白さは味わえませんでしたけれど。

4月、何か新しいことを始めたくなる季節でもあります。自分の身辺を見回して、捨てるもよし、まだまだとそばに置いておくのもよし、すべてそれらにはベストなタイミングがあって、その「時」を捉えることの方が重要な気がします。

アガサ・クリスティーを訪ねる旅(2)

ミス・マープルの住む村?

バッチホリスティック研究会では、2年毎にプラクティショナーを対象にバッチセンターツアーが行われています。私は今年も参加予定です。これまで何度か個人的にも訪れていますけれど、なんといってもこのツアーのいいところは、バッチセンターのレクチャールームでジュディ・ハワードさんやステファン・ボールさんと親しくお話ができ、実際にガーデンを歩きながら、植物やレメディのお話が聞けること。バッチも通ったパブ、レッドライオンで食事をしたり、お墓参りをしたり、最後に講演をした隣町にあるメゾニックホールを訪ねたり、とお馴染みのコースでも、やはり毎回違う印象を受けて楽しめます。

 

ソットウェルの隣町は、ご存知アガサ・クリスティが最晩年を過ごしたウォリングフォードです。2年前にバッチセンターを訪ねた際もここのB&Bに泊ったので、ぜひ、クリスティの家を訪ねようと計画を練っていたのですが、実行に及ばず。今度こそ、彼女の終の棲家ウィンターブルック・ハウスを覗いてみたいなあと密かに思案中。

 

以前、デボンを訪ねた際、どうしても行ってみたいと思っていたところに「コッキントン村」があります。アガサ・クリスティのミステリーに登場する主人公にはエルキュール・ポアロとミス・マープルがいますが、この村は、ミス・マープルが住むセント・メアリー・ミード村のモデル候補の一つになっているところだとか。トーキーの海沿いのバス停で、直通のバスに乗ると、あっという間に両側から生い茂る緑のトンネルの中に迷い込み、パッと開けたら別世界。そこはおとぎの国です。イギリスの村々は、だいたいどこもかしこも美しいのですが、なかでもここ、コッキントン村は「超」を10個くらいつけたくなるほど素敵です。

 

下の画像を見てください。可愛いでしょう。ずっと時が止まっていたかのような、妖精の国に迷い込んだみたいな錯覚にめまいが起きそうです。 大きなお屋敷は、コッキントンコート、アガサの幼少時代には村の領主のお屋敷だったとか。中に入るとクラフトセンターやギャラリーになっています。日陰でアイスクリームを食べ、素敵なカードを買いました。かやぶき屋根の家々、大きな樹木、11世紀に建てられたという古いコッキントン教会。スィートチェストナットやオークの巨木もあり、歩いているだけで胸の奥まできれいな空気に満たされそう。平井杏子著「アガサ・クリスティを訪ねる旅」がなかったらこの場所には来れませんでした。お目にかかったことはないですが、平井さんにはよくぞ書いてくださったと感謝、感謝。

 

このコッキントン村を偲ばせる作品として

平井さんは「牧師館の殺人」、「鏡は横にひび割れて」「動く指」などを挙げています。

読みたくなっちゃいますね。またトーキーや、ダートムア―に関しても書いてみたいです。

関連ブログ アガサ・クリスティーを訪ねる旅 

 

雨の植物園

オークの冬芽

2017年春の植物観察会の2回目は、あいにくの雨になりましたが、先発隊情報によれば、チェリープラムが満開とのこと。これは何としてでも会いに行こう。

 

前日は20度まで上がったというのに、一気に気温も下がり、寒いことこの上なし。傘を持つ手が凍えるので手袋持参です。 

 

スケッチは諦め、いつものルートを、いつもの植物たちに声をかけながら歩きます。前回来たのが3月上旬でしたからほぼ3週間ぶり。オークやホワイトチェストナットは、見た目はほとんど変化がありませんが、なにやら、もぞもぞしているのが伝わってきます。

花畑のほぼ中央に立つ1本のチェリープラムは満開~散り初め。東寄りに2本並んでいるチェリープラムは葉っぱが花と一緒に出てくる種ですが、こちらは蕾がまだいっぱいついています。それにしても花の裏側までちゃんと五角形で美しいこと。誰がこんな風に設計したのでしょうね。

植物園内には、あちこちに屋根付きの休憩所があります。私たちが必ず歩く、「BFRP」東海の森のルートにもドングリ広場やロックガーデンには、そんな場所があります。そこでスケッチをしたり、お弁当を食べたりするのですが、雨宿りもかねておにぎりを食べ始めると、どこかから、ジョウビタキがすぐそばまで何度もやってきました。雨の降りしきる中、可愛い姿とさえずりに心なごみます。いつもは気付かないで通り過ぎていたアカシデ(ホーンビームの近隣種)が、驚くほどたくさんの花を咲かせていました。若葉が出そろう前の今が、花の見ごろです。エルムの花に負けず劣らず地味ではありますけれど。

からし菜(マスタード)も大きくなりました。花も咲き始めています。右は3週間前。次に来る時は花盛り!

3月上旬のからし菜(マスタード)



 

次の植物観察会は、春もたけなわ

スケッチブックをもって出かけましょう。

ぜひご一緒しませんか?

第15回植物観察会

4/26(水)10:30 名古屋市東山植物園に集合

お問合せはBFRP東海

bach38tokai@yahoo.co.jp (担当嶋崎)まで

参加費なし(入園料500円を各自で払い入園)
持ち物 スケッチブック・色鉛筆・お弁当など
    ルーペ(持っている方)
バッチフラワーに関する植物を観察しスケッチします。歩きやすい服装・靴でお越しください。

ハルニレ(エルム)の花

 

今、仲間うちでは、ハルニレ(エルム/オウシュウニレの近隣種)の開花の話題で持ちきりです。残念ながら東山植物園には観察できるようなハルニレがなく、名古屋大学構内とか、守山区の朝宮公園など、ラインやMLで、開花情報が回ってきて、それを読んでいるだけで、なんだかそわそわしています。このところ忙しくて東山植物園が精一杯の私のもとへ、ハルニレの小枝が届きました。もちろん花芽付きです。仕事の合間、夜な夜なデスクの前で、ルーペを覗いています。ハルニレは樹齢500年とも言われ、美しい樹形の堂々とした落葉高木です。秋に花が咲くアキニレ、ハルニレは春に花が咲きます。

ハルニレ エルム

札幌・北海道大学植物園のハルニレ


ハルニレの小枝が届いたのは3月初めのことです。朝、出かける前に赤紫の花芽をスケッチした後、夕方に戻ると、すっかり様子が変わっていて驚きました。その形や動きを言語化するのは、とても難しいのですが、まずは、見えるところで。

 

開花前の花芽は7ミリくらい、枝にくっついて束生、小さな球状をしています。筒状の花被、ひとつひとつに、花柱が2裂した白いモールのようなめしべと、細い花糸の先に赤褐色の葯を持ったおしべが4-5本入っています。軽く触れると白っぽい花粉が飛びました。

おしべが突き出たぶん、全体に少し大きくなりますが、それでも1センチに満たない大きさです。老眼の私には、ルーペなしに、めしべもおしべも見ることができません。そして、どんなに倍率の高いルーペを使ったとしても、外側はどこまで行っても外の世界。そこからどうやって植物の深みに入っていけるでしょうか。

 

「エピレマ」 ゲーテ

 

そうだ 自然の観察に際しては
「一と全」とに眼を注げ

内にあるものもなければ

外にあるものもない

内がそのまま外なのだ

さあ ためらわず掴みとれ

広く知られた聖き神秘を


さあ 眼をひらけ 真実の現象に

さあ たたえよう 真剣な戯れを

生きるものは「一」でなく

それはいつでも「多」からなる

こちらも北海道大学植物園のハルニレ、オイリュトミー仲間と訪れたからか、この時には木の回りをぐるぐる回り、踊り出したい気分でした。ニレは素早い動きのマーキュリーと関連付けられますから、その衝動はぴったりだったのかもしれません。巨樹のそばに行くと、なぜか笑えてきたり、崇高な気分になったりしますが、観察には、部分と全体を捉える眼差しとともに、自然に湧きおこるイメージも大切にする必要があるのでしょう。


新しい息吹の春に

オークの冬芽

今、仲間内ではハルニレ(エルムの近隣種)の開花が話題になっていて、そわそわしているところですが、恒例のBFRP東海の植物観察会が近づいてきました。

というわけで、今日はその下見です。今冬は鳥インフルのために動物園が一時閉園になっていた関係から、私の年間パスポートも、期限が2か月伸びました。それはちょっとうれしい。

 

まずは、植物園門から入ってすぐのところにあるオウシュウナラ(オーク)の冬芽にご挨拶。まだまだ固い。トップから見ると美しい五角形をしています。この芽がどんなふうに変化していくのか楽しみです。それにしてもこの場所は、巨大に成長するオークには全く似合いません。何とかしてよ。東山植物園~

フクジュソウの蕾は黒いって知ってました?毎年見ているはずなのに、私は初めて気づきました。積み重ねないと意識に残らないことってあるものです。葉っぱの間で黒く目立たなかった蕾が開くと、中は鮮やかな黄色!そのコントラストは見事です。まだ色味のほとんどない草むらでは、クロッカスがいい声で歌っていました。

 

宿根庭園の上にあるハニーサックル、昨年はバッサリやられて、勢いを失ったのかあまり伸びず、花もほんの少しで寂しい限りでした。どうしてここまで切り詰めてしまうんだろう。今年はどうか、このままそっとしておいてほしい。2年越しできっと沢山花を咲かせてくれるはず。

 

イギリスのバッチセンターにあるハニーサックルは、エドワード・バッチが住んでいた当時からあったとか。ということは、すでに80年以上の株ということになります。初めてバッチセンターを訪れた9月初旬、花が終わって透き通ったプルップルの赤い実をつけていました。東山植物園のハニーサックルは、バッチセンターのものに比べると、ちょっと小ぶりですが、日当たりがいいからでしょうか、長く花を咲かせて楽しませてくれます。今年はそのようでありますように。

「確か、この辺りにセンニンソウ(クレマチス)があったはず」と、その痕跡を求めて地べたにへばりつく仲間たち。次の季節が巡ってくれば、ちゃんと生えてきてくれますって!!ところで、我が家のクレマチスは1本は枯れたようになっていますが、もう1本は冬でも緑の葉を落とさずにいます。同じ種でも、環境によってまるで異なるのは、人間にも言えるかもしれません。東海の森の明るいブナ林(ビーチ)、芽吹きにはもう少し時間がかかりそうです。

トチノキ(ホワイトチェストナットの近隣種)の大きな頂芽。まるで銃弾のようです。芽鱗もはっきり見えていますが、まだ目覚めていないのか、水飴みたいな樹脂は少なくて余りべとつきません。数年前になりますが、初めて東山のトチノキを見て、その頂芽が樹脂でピカピカ光るということを知った時は感動しました。 葉痕は大きく、はっきり点々と維管束を見ることができます。西洋トチノキは、フランスではマロニエ(馬栗)と呼ばれますが、この葉痕はまるで馬の蹄鉄のようですね。昨冬に観察したトチノキの頂芽を、今春も継続してスケッチをする予定です。

写真に撮って、後からしげしげと眺めるのもいいのですが、スケッチにはスケッチにしかないよさがあります。上手には描けなくても、それはちっとも構わない(もちろん上手なほうが気持ちいいけど)。なぜなら描くことで、自分がその植物の中に入り込んでいけるから。直線的、曲線的、枝や葉にはそれぞれのリズムがあって、植物たちが、惜しげなく見せてくれる秘密に気付けるのは、スケッチ以外にはないのでは?と思うほどです。

イヌシデ(ホーンビームの近隣種)の種は、天使の羽がついているみたい。丸い種はモミジです。

落葉松(ラーチ近隣種)の芽吹きはこれからです。ドキドキするほど美しい雌花は、みんなの人気者

あと一か月もすれば、ここはカラシナ(マスタード)の黄色い花が一杯咲きます。これがマスタードってわかるのがエライでしょ!


 

春はスケッチブックをもって出かけましょう。

ぜひご一緒しませんか?

第13回植物観察会

3/9(木)10:30に名古屋市東山植物園に集合です。

お問合せはBFRP東海

bach38tokai@yahoo.co.jp (担当嶋崎)まで

参加費なし(入園料500円を各自で払い入園)
持ち物 スケッチブック・色鉛筆・お弁当など
    ルーペ(持っている方)
バッチフラワーに関する植物を観察しスケッチします。歩きやすい服装・靴でお越しください。

エドワード・バッチの人生

 

BFRP東海主催の木曜会では、バッチフラワーの「七つのカテゴリー」に再挑戦したわけですが、そこで改めてバッチ博士の人生を概観したことは、前のブログにも書きました。

 

ある意味、ゴシップネタも交えながら、人間バッチに迫るというのは、別段、目新しいことではなかったのですが・・・。

 

シュタイナーの七年周期の呼吸のリズムで作ったメタモルフォーゼのチャートからは、彼が50歳で亡くなったことの意味さえ、解き明かされていくのが、非常に興味深いところでした。

 

1935年、フラワーレメディのヒーリングシステムを完成させたバッチ博士は、そのレメディ発見の途上、それまで12ヒーラーと4ヘルパー(7ヘルパー)と分けてきた考え方を、完全に手放します。そしてシンプルに38種類全体を「7つのカテゴリー」に分類しました。

 

私がプラクティショナーになり、実際にレメディを選ぶ際に、バッチ博士が最終的に提示した「七つのカテゴリー」はとても役立つ、というのが実感です。感情には様々なグラデーションとバリエーションがありますから、確かに分類すること、そのものが難しいのは仕方のないことです。

 

例えばゲンチアナのレメディが示す悲観的な傾向は、感情としては落胆とか失望という言葉で表現されますが、なぜその人がすぐに、起こった出来事や自分自身を疑ってしまうのか、というところに注目すると、このレメディが「失意と絶望」に分類されず、「内心の不確かさ」に分類されていることに、なるほど!と、納得します。こうしたレメディの区分けは、バッチ自身が医療従事者として、また一人の人間として、様々に困難を抱える人々を観察することから、導き出していったと思われます。

 

30代に入ってすぐ、一度、死線をさまよったエドワード・バッチは、自らの研究に没頭することで、健康を取り戻していきます。そして、近代医学からホメオパシー、バッチフラワーの発見へと歩を進めるたびに、それまでの名誉や地位、経済的な評価を惜しげもなく手放していきます。

 

健康に生きるということはどういうことなのか。病にはどんな意味があるのか。1人ひとりの人生の課題と目的とは?人はどう生きるのか?という、誰もが一度は抱く根源的な問いに対し、バッチは自らの生き方を通して、未病、予防医学の分野を拓き、未来の医療の方向性を指し示したと思われます。

バッチセンター

19歳のエドワード・バッチ(ウェールズで)

若々しい白いシャツが目に染みる!

バッチはその血筋にウェールズの流れを汲み、

ウェールズの土地、自然から

様々な直観を受けていたようです。

クローマーの浜辺でバッチとノラウィークス

バッチ博士が愛したクローマーの浜辺で。

左端がバッチ、一人おいてノラ・ウィークス

エドワード・バッチ「オリジナルライティング」

画像は「オリジナルライティング」から

 バッチ博士が、レメディを発見した、

ウェールズ・クリックハウエル、

ノラ・ウィークスが描いたスケッチも載っています。