からまつの林を過ぎて

北原白秋の詩、「落葉松」をはじめて知ったのは多分小学4、5年生の頃、5歳年上の姉が口ずさんでいたのを聞いたときだったと思います。思春期と呼ぶにはまだ幼い心にも、この詩が持つ寂寥感が迫って、漠然と、大人になるということは決してバラ色だけではないんだなと思ったものです。落葉松ってどんな木なんだろう。普通、松は常緑だけど落葉するのかな…。その後、40年も経ってから、晩秋の上高地で、この詩のイメージそのままの風景に出会いました。そしてその数年後、バッチフラワーのレメディの中に、西洋落葉松(ラーチ)があることを知ります。ある夏、イギリス湖水地方の河畔を歩いていた時、ふと指が明るい緑色をしたやさしい感触の枝に触れました。これは!?と思い、木の名前を尋ねるとラーチという答えが返ってきました。その時、初めてバッチフラワーの「ラーチ」と北原白秋の「落葉松」が結びつきました。

 

バッチフラワーのラーチは、「失意と絶望」に分類されているレメディで、自分が人より劣っていると感じ、自分の能力に自信が持てない時や、失敗を恐れるあまり、チャレンジを諦めてしまうような場合に使います。常緑がほとんどの針葉樹の中にあって、ラーチは冬(困難)が来る前に、さっさと諦めて葉を落としてしまう、というクオリティは、まさにラーチ、自信の欠如を表しているようで興味深いです。

 

白秋が「落葉松」の構想を得たのは、大正10年軽井沢、初夏の星野温泉に滞在中、朝夕の散策時に、からまつの芽吹きに感銘を受けたと聞きます。けれど詩を読んで浮かんでくる風景は、芽吹き時というよりは、むしろ晩秋、諦念のイメージです。もちろん人によって感じ方は違うでしょうけれど。ただ、侘び寂びというか、色味の少ない渋めな七節目までと比べて、最後の八節に、静かな芽吹きを感じるのは私だけかしら。

 

世の中よ、あはれなりけり。

常なけどうれしかりけり。

山川に山がはの音、

からまつにからまつのかぜ。

 

芽吹きというものは、うれしいけど泣きたいみたいな切なさがあります。ラーチの芽吹きは、そんな中でも特別です。特に雌花の仄赤さに、こころ揺すぶられない人はいないでしょう。傷つきやすい繊細なラーチは、失敗することで自信を失い、それによって挑戦や冒険から遠ざかろうとしますが、白秋はこの作品を書いたとき、ちょうど第2ムーンノード(37歳前後)を迎えていました。ムーンノードには、多くの人が人生の目的や意味を問い、方向転換などを余儀なくされます。当時、すでに白秋は一定の評価を得ていたと思われますが、「落葉松」は白秋のその後の詩作に向け、重要な位置を占める作品となったようです。「山川に山がはの音/からまつにからまつのかぜ」 吾唯知足~向上心とか、よりよくなろうとか、評価されたいとか、何かを成したいという意識は、決して悪いことではありませんが、自分のその時の限界を受容できる人こそが、限界を広げていく、超えていける可能性を持っていると思わずにおれません。ちなみに白秋は57歳(第3ムーンノード前後)でこの世を去っています。バイオグラフィーワーカーの視点で見ると、これもまた興味深いです。

落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを、読者よ、これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ。

北原白秋「落葉松」前文

『水墨集』アルス発行(大正12年)

落葉松   

           北原白秋

   一

からまつの林を過ぎて

からまつをしみじみと見き。

からまつはさびしかりけり。

たびゆくはさびしかりけり。

 

   二

からまつの林を出でて、

からまつの林に入りぬ。

からまつの林に入りて、

また細く道はつづけり。

 

   三

からまつの林の奥も

わが通る道はありけり。

霧雨のかかる道なり。

山風のかよふ道なり。

 

   四

からまつの林の道は

われのみか、ひともかよひぬ。

ほそぼそと通ふ道なり。

さびさびといそぐ道なり。

 

   五

からまつの林を過ぎて、

ゆゑえしらず歩みひそめつ。

からまつはさびしかりけり、

からまつとささやきにけり。

 

   六

からまつの林を出でて、

浅間嶺にけぶり立つ見つ。

浅間嶺にけぶり立つ見つ。

からまつのまたそのうへに。

 

   七

からまつの林の雨は

さびしけどいよよしづけし。

かんこ鳥鳴けるのみなる。

からまつの濡るるのみなる。

 

   八

世の中よ、あはれなりけり。

常なけどうれしかりけり。

山川に山がはの音、

からまつにからまつのかぜ。

 

『日本現代詩体系 第四巻』河出書房(昭和25年)

 


イギリス湖水地方で、初めてラーチに出会った河畔

ホテルハイジ 蓼科ふたたび

晩秋のホテルハイジ
広い庭の隅にある可愛いキャビン
ホテルハイジのディナー、オードブル

自家製スモークサーモンのムース、信濃雪鱒、大王イワナ、ウイキョウのババロア

不思議なことがあるものです。

 

秋のクロイツニュースに、奥蓼科の御射鹿池に行ったと書いたことから、古い友人夫妻からなかば強引に(笑)誘われ、それにまんまと乗っかって再び来てしまいました。しかも10年前、彼女と一緒に泊まったホテルハイジに。

 

10年ぶりの蓼科が、なぜ1か月に2回も!?

 

ホテルハイジは旧皇族、伯爵家の東伏見家の別荘を当主が1975年にホテルとして開放。当時日本はバブルがはじける前、一億総中流意識にみんなが浮かれてた?そう、夢を見ていた時代だったかもしれませんが、それでもホテルハイジの格調の高さは別格でした。皇族方をはじめとして、海外のVIPも宿泊されるようで…。小さい子たちを抱えた身では、ティータイムを楽しむのが関の山。庭に点在する可愛い小屋は子どもたちの格好の遊び場でした。今も変わらずきれいに手入れをされていました。懐かしい~

 

ハイジにはシングルはないので、一番小さなツインを選びましたが、その部屋はチロル家具で統一されている可愛い部屋です。10年前に泊った時は出窓の下にベンチのついた奥行きのある部屋でしたが、今回、一人で泊まるにはこじんまりとしてちょうどいい。木立に囲まれた露天風呂で一息ついてフレンチを堪能した後はおしゃべりに花が咲き、瞬く間に夜は更けていきました。


 

翌朝早く目が覚めたので、15分ほど下ったところにある蓼科湖まで朝の散歩に出かけました。雲海の向こうに南アルプスの峰々がのぞき、まばゆい日の光が木々の彩りをさらに鮮やかに照らします。気温は1度、吐く息も凍りそう。湖面には朝もやが立ち込めています。この幻想的な風景が見られたのも早朝だからこそでしょう。逆光の中に紅葉が浮かび上がります。


 

蓼科湖がこんなに美しいのだから、あの御射鹿池もさぞやと期待に胸は膨らみつつ、車を走らせます。(運転は私ではありませんが)

ところが、観光バスが何台もいて、人の多さにびっくり。肝心の池は先週末の台風のせいか、静謐さのかけらもありません。時を経ず2度来たからこそわかる、その違い。すべてに通じる「時」があるということを。


御射鹿池から、カラマツ林を抜けて横谷観音へ。10年前、友人とこの場所に来た時、大滝神社という古びた神社にお参りをしました。黒曜石の祠に続く急勾配の参道は階段もなく何度も滑りそうになりましたが、けれどその参道の両側に広がる林から、風が吹くたびにカラマツの葉が、サラサラと音をたてて、黄金の雨のように降り注ぐのです。友人と私はその音に聴き入りました。あの瞬間、あの世とこの世は一つになり、夢を見ているようでした。

 

ところが、ここでも期待は裏切られます。今ではすっかり整備され鳥居も立派になり、参道にはちゃんと階段もできています。随分、雰囲気変っちゃったね。

 

階段を数段上がってすぐに何やら異臭がすることに気付きました。これって何? どうやら枕木の防腐剤の臭いのようです。う~~たまらん、仕方がないとは言え、すごすごと階段を下りる私たちでした。

 

さぁて、「時」を学んだ私の蓼科行き

二度あることは三度ある? かも。


横谷観音の展望台から臨む風景

10月のバッチフラワーレメディ

ハニーサックル

ハニーサックル

カテゴリー 現実への無関心

英名 Honey Succkle
学名 Lonicera Caprifolium
和名 スイカズラ、忍冬
キーワード  過去に浸っている

 

過去の中、例えばとても幸せだった時のことや失った友達との記憶や実現しなかった野心の中に生きる人のためのものです。これらの人は過去に経験したような幸せが二度と訪れるとは考えません

 Dr.Ed Bach「12ヒーラーとその他のレメディ」より

 

郷愁という言葉がぴったりくる私の10月、毎年必ず巡ってくる10月10日は夫の命日、1997年のことでした。その年の秋は、ありえないほど安定した快晴が続いていました。おりしも運動会シーズン、末娘の小学校最後の運動会はそんな美しい空気の澄んだ秋の一日でした。午前の競技が終わり、友達家族数人と一緒に校舎の脇で持ち寄ったお弁当を広げ、車座になって食べているところに携帯のベルが鳴りました。病院から夫の容体急変の呼び出しでした。ふと、手元においていたカメラの望遠レンズがころころと転がってセメントの通路の上でカチンと冷たい音を立てました。関係ないのに、なぜこんなことを覚えているのかしら。


 

組体操だけはどうしても見てほしいと言っていた娘の願いも空しく、ゴメン、なるべく早く連絡するねと、私は小学校を後にしました。亡くなる数日前のことでしたが、その頃、何度もこんなことが繰り返されていました。当時の私は無我夢中でしたからわかりませんでしたが、旅立つ日の近いことが、医師にはわかっていたのでしょう。

 

あの頃の不安や苦しみ、辛かったこと、悲しかったこと、そんな思いとごちゃ混ぜになって、金木犀の香り、子どもたちの歓声、砂ぼこり、首筋に光っていた汗の玉、細い三つ編み、青いミカン、泣きたいような青空、いくつもの断片的なシーンが甦ります。あんなに強く揺さぶられたことはなかったのに、今となってはなぜか美しい。

 

ハニーサックルの指標にあるように、昔を懐かしむ気持ちには、夢のようなぼかしのフィルターがかかるかもしれません。それは時間という魔術のなせる技か、辛かったことに対して、自分が頑張ったことを認めたい気持ちもあるのでしょう。お年寄りが過ぎ去った過去を懐かしみ、何度も何度も繰り返すのは、自分の生きた証を話すことで整理するという、意味ある行為なのかもしれません。

 

ハニーサックルは過去の出来事に良くも悪くもとらわれて、そのために現実に集中できない人、過去に住み続けている人のためのものです。例えばペットロス、ホームシックなどはその例でしょう。経験を消化しきれず、現在に生きることができない時、ハニーサックル以外にもチェストナットバッドや、新たなステージへと踏み出す決意を応援するウォルナット、また悲しみの中にとどまろうとする背景には、忘れてしまうことへの罪悪感(パイン)があるのかもしれません。ショックやトラウマのスターオブベツレヘムや恨みがましい気持ちのウィローなど、ハニーサックルのフィルターに隠れている感情に合わせたレメディも、同時に使うことも効果的でしょう。

 

私たちの過去の経験は、現在を通って未来へと続いているわけですが、伸びたハニーサックルの枝が垂れて地に着くと、そこから発根し、新しいハニーサックルが生まれます。過去(親木)→現在(着地)→未来(新しい木)という流れは、ハニーサックルのポジティブなメッセージそのもののですね。

画像はすべて英国バッチセンターの庭に咲くハニーサックル、咲き始めは白かった内部が、受粉すると黄変します。夜に開花が始まるというのも眠りや過去とのつながりを連想させ、何ともノスタルジックです。バッチセンターの建物の扉の前には古いハニーサックルの木があります。この木はバッチ博士が住む前からあったと言われています。

 

以前のブログ~パーソナルノートで、

月のリズムでバッチフラワー

という実践報告を書いていた時期があります。レメディの最後のウィローから順番に、新月から満月へ、満月からへというリズムで1種ずつ、約1か月で2種類のレメディを体験していくわけです。で、半分近くの18種目まできたところで風邪を引いたか、飽きてしまったか(^^ゞ 途中で終わってしまいました。その心残りもあって、再度書き出したというわけです。でも今度はBFRP東海のレメディ研究部のテーマに沿ってレメディを取り上げて行こうと思います。マニアックな深遠な世界へあなたもぜひどうぞ。参加はレベル3以上ですが、読むのは誰でもOKよ! 

BFRP東海 レメディ研究部ブログ

レメディ研究室 ハニーサックルでさらに読む


バッチ博士が住んだ家

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

かなりのミーハーを自認している私ですが、まさしくその通りです。住所を辿って訪ねたのは、1917年、バッチ博士31歳、ロンドン、ユニバーシティカレッジ病院で激務に追われていた頃の住まい Canonbury Square 42

 

当時のままかどうかは分かりませんが、目の前は小さな公園、木立の向こうに見える黒い扉がバッチのかつての住まい。扉の番号を確かめて公園からパチリ。

 

今からちょうど100年前、この家からバッチ博士は病院に通っていたことになります。1917年といえば、最初の妻、グィンドリンが亡くなり、バッチ博士は間もなくキティ・ライトと再婚します。

 

メゾニックホール内部

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

再婚後、居を移したのはこちら。瀟洒な住宅街、89 Calabria Rd です。前の家と同様、イズリントン地区ではありますけれど、半マイルほど北にあたり、病院から遠くなります。

 

バッチ博士、忙しいのに遠くなって大丈夫?

この転居から2か月後、バッチは生死をさまようことになるのですが...。

 

こちらも黒い扉、左側の家です。家を見ていると中から人が出てきました。慌てて何気ない素振りをする自分が可笑しい。

 

同じ並びの、数件離れた家では改築の真っ最中。外観は全く変わらず、中身だけごっそり取りかえです。日本では家の寿命は短く、同じ土地に住んでいても新築~つまり人は変わらず、家が変わりますが、ここイギリスでは、家は変わらず人が入れ代わるというわけです。とても美しい住宅街ですが、これらの建物はすべて100年以上前からあったということですものね。

 

念願のバッチ博士のロンドンの家も制覇(?)しました。2017年の夏、バッチ三昧の旅もそろそろ終わりです。

バッチ博士がキティと住んでいた家
カラブリア通り イズリントン

アガサ・クリスティの終の家

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

聖書とシェークスピアの次に、世界中で愛読されているといわれる、ミステリーの女王アガサ・クリスティが、85歳の生涯を閉じたのは、ウォリングフォードの中心部から少しはずれたところにある、ウィンターブルック・ハウスでした。引っ越し大好き、数多くの家を同時に所有したクリスティですが、この家につけられたブループラークには、はっきりと「lived here1934-76」と記されています。

メゾニックホール内部

ウォリングフォードの町のサイトには、アガサ・クリスティが、町の名士みたいな感じで、誇らしく紹介されています。素敵なサイトだから見てみてね。バッチ博士も、ノラ・ウィークスと、この町にしばらく住んでいたようです。ノラが、とことこ隣村のソットウェルまで散歩に行って、その後、移り住むことになるマウントバーノンを見つけたのだとか。ノラさん、かなりの健脚ですね~

 

https://www.wallingford.co.uk/home

サイト内のVsterをクリックすると、アガサ・クリスティのページがあり、そこをまた入っていったら、なんと只今、9月8日から10日まで「アガサ・クリスティ ウィークエンド2017」を開催中とのこと。そう聞いても、行けないけど。

ウィンターブルック・ハウスで寛ぐアガサ・クリスティとマックス・マローワン 

かの有名な失踪事件の2年後、クリスティは14歳年下の考古学者マックス・マローワンと出会い再婚します。その後、ウォリングフォードに家を買ったのは、ロンドンにも出やすく、マックスがオックスフォードに通うにも便利、レディングまで出れば、ダートマスのグリーンウェイ・ハウスにも行きやすかったということだったのでしょう。それにしても、アガサ、あなたはもうこんなおばあちゃんだったのね


バッチとフリーメイソン

エドワード・バッチ博士がフラワーレメディのシステムを完成させた翌年の1936年、ウォリングフォードのメゾニックホールで催したフラワーレメディについての一般講演の記録が残っています。

 

私がまだBIEPの受講生だったころ、バッチ博士がフリーメイソンだったことを知って、少し驚きました。というのも、フリーメイソンって、なんだか怪しい秘密結社であるかのような印象があるでしょう。

 

でも、かのゲーテやシラー、モーツァルトやハイドンなど、名だたる芸術家をはじめ、米国歴代大統領など多くの著名人もメンバーだったことは知られていますし、ボーイスカウトとのつながりなどからは、健全な慈善団体という印象も受けます。

 

そもそも、中世から存在するフリーメイソンは「自由な石工」を意味し、大聖堂や城壁を設計、建築する人々の集まり、石工の職人組合だったことに端を発するといわれています。(諸説あり)それが、年月を経るうちに、王侯貴族や知識人が参加するようになり、中・上流階級のクラブ、社交の場、精神修行の場、友愛組織へと変化していったようです。

 

フリーメイソンの基本理念は、自由、平等、友愛、寛容、人道の5つ、「すべての人が同意することのできる宗教」に従って「真実で善良な人間」になることが求められている(吉村正和『フリーメイソン』講談社現代新書)と書かれています。 

フリーメイソン メゾニックホール

ウォリングフォード、メゾニックホール入口

メゾニックホール内部

ホール内部


 

バッチ博士がフリーメイソンに入会したのは1918年、第一次世界大戦も終わりに近づいた32歳の時でした。その前年、彼は大きな試練に見舞われます。妻の死、再婚、そして病に倒れ手術、余命3カ月と宣告を受けます。ところが、人生の仕事に邁進するうちに不死鳥の如く甦り健康を取り戻していきます。そうした経験とフリーメイソン入会とは、何か関係があるのでしょうか。

 

一人の人間として、バッチが抱えていた葛藤なども含め、バッチ博士の著書『汝自身を癒せ』の中に描かれている世界観や健康観を貫いている、古代と近代、神秘と科学、見えない世界と見える世界をつなぐホリスティックな視点が、バッチ博士の人生を辿るうちに、さらに浮かび上がってくるようです。

 

講演をしたのは、儀式をするホールではなく、おそらくこちらでしょう、と案内してくれたのが、右のホールです。舞台の青い幕を開けるとフリーメイソンのコンパスとマークが大きく描かれていました。しかも、このホールではバッチ博士ばかりか、この近所に住んでいたアガサ・クリスティが、作品の上演をしたのだとか。5分も歩けば家があるよ、という言葉に大興奮→クリスティの家

 

今も昔も、こういったホールは人が集まる場所。フリーメイソンのセンターが今やバランスボールのエクササイズの会場だなんて。

ウォリングフォード メゾニックセンター外観

ブラームスはお好き?

私が初めてブラームスという名前を知ったのは、多分、母が歌う子守歌からだったと思う。当時にしては珍しく西洋音楽好きだった母は、毎夜、子守歌を歌ってくれたが、それが日本の子守歌ではなく、シューベルト、ブラームス、モーツァルトなどなどだった。私はモーツァルトの子守歌の、♪~月は窓から~銀のひかりを~そそぐこの夜~♪、というところが特に好きで、しつこくリクエストをしたものだ。

 

1954年、フランス実存主義の影響を色濃く持つフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」が、弱冠18歳の若さで世界的なベストセラーとなった。その5年後に書かれたのが、「ブラームスはお好き?」だった。中学生になっていた私は、なぜ、モーツァルトではなく、ブラームスなのだろう、と思いながら、むさぼるように読んだ。

 

それから何年経っただろう。1977年の春、サンフランシスコのオペラハウスで、アシュケナージ指揮のブラームスを聴く機会があった。ワクワクしていたのも束の間、演奏が始まると間もなく気分が悪くなり、もう聴くどころではなかった。ブラームスを聴く時は事前の食事をしてはいけない。気をつけようと思った。それにしても、もったいないことをしたものだ。

 

木曜日、豊田あげつまクリニックのホール、ノバリウムで、県芸の教授陣による「ブラームス室内楽の夕べ」のコンサートがあった。デュメイのCDを聴いて好きになった、ヴァイオリンソナタ第1番と、あまり知らないピアノ四重奏曲第2番だ。渋い...なんてカッコいいプログラムだろう。そうそうたる演奏者たちの奏でる響き、円熟、重厚、軽妙洒脱~教授、准教授ともなれば、後進の指導が大きな仕事であろう彼らが、表現者だけで生きていただろう若かった頃とは、おそらく違う世界を見せてくれている、なんて贅沢な至福の時間だろう。。。

参りました。

 

ブラームスはお好き?

もし、特別にお好きじゃなくても、

ぜひどうぞ。

 

ブラームス室内楽全曲演奏プロジェクト

2017/5/23(火)18:45

ザ・コンサートホール 名古屋伏見

フランソワーズ・サガン(1935-2004)

富裕な家庭の第3子(末子)としてフランスに生まれる。18歳のデビュー作で世界的名声とともに巨額の富を得る。莫大な収入を得たものの浪費も激しく、 酒、たばこの他、自動車事故で重症を負った時の痛み止めのモルヒネから麻薬中毒となり逮捕されたこともある。

 

ユーミンの「セシルの休日」に出てくるセシルは、サガンの「悲しみよこんにちは」に出てくる主人公の女の子、ということを知ったのは、ずいぶん後の話しです。


エドワード・バッチの人生

 

BFRP東海主催の木曜会では、バッチフラワーの「七つのカテゴリー」に再挑戦したわけですが、そこで改めてバッチ博士の人生を概観したことは、前のブログにも書きました。

 

ある意味、ゴシップネタも交えながら、人間バッチに迫るというのは、別段、目新しいことではなかったのですが・・・。

 

シュタイナーの七年周期の呼吸のリズムで作ったメタモルフォーゼのチャートからは、彼が50歳で亡くなったことの意味さえ、解き明かされていくのが、非常に興味深いところでした。

 

1935年、フラワーレメディのヒーリングシステムを完成させたバッチ博士は、そのレメディ発見の途上、それまで12ヒーラーと4ヘルパー(7ヘルパー)と分けてきた考え方を、完全に手放します。そしてシンプルに38種類全体を「7つのカテゴリー」に分類しました。

 

私がプラクティショナーになり、実際にレメディを選ぶ際に、バッチ博士が最終的に提示した「七つのカテゴリー」はとても役立つ、というのが実感です。感情には様々なグラデーションとバリエーションがありますから、確かに分類すること、そのものが難しいのは仕方のないことです。

 

例えばゲンチアナのレメディが示す悲観的な傾向は、感情としては落胆とか失望という言葉で表現されますが、なぜその人がすぐに、起こった出来事や自分自身を疑ってしまうのか、というところに注目すると、このレメディが「失意と絶望」に分類されず、「内心の不確かさ」に分類されていることに、なるほど!と、納得します。こうしたレメディの区分けは、バッチ自身が医療従事者として、また一人の人間として、様々に困難を抱える人々を観察することから、導き出していったと思われます。

 

30代に入ってすぐ、一度、死線をさまよったエドワード・バッチは、自らの研究に没頭することで、健康を取り戻していきます。そして、近代医学からホメオパシー、バッチフラワーの発見へと歩を進めるたびに、それまでの名誉や地位、経済的な評価を惜しげもなく手放していきます。

 

健康に生きるということはどういうことなのか。病にはどんな意味があるのか。1人ひとりの人生の課題と目的とは?人はどう生きるのか?という、誰もが一度は抱く根源的な問いに対し、バッチは自らの生き方を通して、未病、予防医学の分野を拓き、未来の医療の方向性を指し示したと思われます。

バッチセンター

19歳のエドワード・バッチ(ウェールズで)

若々しい白いシャツが目に染みる!

バッチはその血筋にウェールズの流れを汲み、

ウェールズの土地、自然から

様々な直観を受けていたようです。

クローマーの浜辺でバッチとノラウィークス

バッチ博士が愛したクローマーの浜辺で。

左端がバッチ、一人おいてノラ・ウィークス

エドワード・バッチ「オリジナルライティング」

画像は「オリジナルライティング」から

 バッチ博士が、レメディを発見した、

ウェールズ・クリックハウエル、

ノラ・ウィークスが描いたスケッチも載っています。


バッチフラワー七つのカテゴリー

 

あと数日に迫ってきたBFRP東海の木曜会

~七つのカテゴリーを紐解く~の準備に

頭のてっぺんから湯気が出そうな毎日です。

(の割には、こうしてブログを書いてます)

 

バッチフラワーの七つのカテゴリーについては

昨秋の関西で、一度テーマにしていますが

今回の参加対象が、レベル3以上ということで、

マニアック度をさらに上げています(笑)

 

今回は、新たにエドワード・バッチの人生を、七年周期に基づいてチャートを作り、あれこれ展開しています。とはいえ如何せん、人生前半期の情報が少なすぎです。もっと個人的なこと、バッチさん、教えて!

 

ただ、人生の全体図を俯瞰して、「なるほど」と思うところがあります。それは人生の呼吸が、とてもはっきりしていることです。あゝ、今は吸い込んでるとき、今は吐き出すとき、というメリハリがあり、晩年には前倒ししたかのように、後半分の呼吸をきっちり使い、メタモルフォーゼを完成しています。

 

意味、わかる?

わからないよねえ(笑)

 

調べたいことがあり、急きょ、ロンドンの娘からバッチの「オリジナルライティング」を送ってもらいました。その中に、ノラ・ウィークスが描いたウェールズ、クリックハウエルのスケッチがあります。そこにはバッチ博士が初めてレメディの植物を見つけたアスク川の橋のたもとに、はっきりとポイントが示されているのですが...昨夏訪ねた時には、残念ながらそこに植物は見つけられませんでした。スケッチに描かれている道路は変わらなくても、植物は生きやすいところへ移っていったのかもしれません。あゝリベンジしたい、ウェールズ。

 

さて、七つのカテゴリーにどこまで迫れるか。

う~む、私よ、頑張りましょう。

クリックハウエル橋
バッチセンター
バッチセンター内部 古い器具も
バッチ博士お手製のチェアにあなたも座れます

イギリス、バッチセンター 

週日は、誰でも庭や内部をみることができます。


特別な時間

「茨木のり子の人生と詩の世界~おんなのことば」を終えて

2015年11月、ちょうど1年前ですが、

あいちトリエンナーレ2016パートナーシップ事業に選ばれた、

dialog7の企画「茨木のり子の人生と詩の世界~おんなのことば」は、

名古屋での開催に続いて、2016年初夏の東海、そしてこの度の関東と、計6か所で行いました。   

 

当初はモリコロ基金を受けて、などと計画を立てていましたが

申請の相談会では、基金がなくてもできるね、と言われ、

結果は、あえなく沈没...そこでめげることもなく

さらに多くの協力を得て、無事に全行程を越えることができました。

 

ずっしりと重い、実りの時間

 

バイオグラフィーワークとポエトリーリーディングのコラボレーション

「dialog7」は、ここでひとつのピリオドです。

 

日頃、表現者として活動していない私が

茨木のり子さんだけではなく、自分自身と向き合う日々は、

振り返り、その折々の道すがらがすべて感謝の日々でした。

 

参加してくださった方々、支えてくださった方々、

皆様、本当にありがとうございました。

    

不思議なご縁で、関東最終日の会場は、たまたま茨木のり子さんの終の棲家の近くでした。

東伏見駅から南へ、下野谷遺跡公園を抜けてすぐのところ、書籍にも掲載されていた見覚えのある建物が。

住み手が居なくなって10年、表札もそのまま、紅白の山茶花が咲き、夏蜜柑がたわわに実っておりました。

 

2016初夏の東海ツアー*茨木のり子の人生と詩の世界

昨秋の「茨木のり子の人生と詩の世界」からスタートしたdialog7の企画も

いよいよ今週末の豊橋が最終ステージとなりました。

毎回、一期一会の化学変化が起こっているようです。

可児市では10代から70代まで、まさしく老若男女、様々な背景の方々が集まってくださり

人生の流れに深く頷かれる方、茨木のり子さんの詩に涙する方あり、

途中のボイスワークでも、皆さん、大きく手を振ったり、飛び上がったりと大活躍。

翌日曜日の各務原では、悩み多き子育て世代が中心。

胸打つ言葉の数々とともに、特別な時が流れていました。

 


ダウンロード
茨木のり子の人生と詩の世界
おんなのことば2016.pdf
PDFファイル 286.8 KB

やさしい子らよ

やさしいちちと

やさしいははとのあいだにうまれた

おまえたちは

やさしい子だから

おまえたちは

不幸な生をあゆむのだろう

   池井昌樹 絵本『手から、手へ』より抜粋

 

3月末、ブログに「人生にYES!」を書きながら

なんとなくすっきりしない私に

1冊の本が届きました。

 

昭和の家族写真のようでいて

どこか、「あの世」的な「永遠」を思わせる

植田正治さんの写真とともに構成された

『手から、手へ』池井昌樹さんの詩集です。

 

どんなにやさしいちちははも

おまえたちとは一緒に行けない

どこかへ

やがてはかえるのだから

 

人によっては、やさしさだけではなく

むしろ、物心つかないうちから、

たとえ、それが愛にくるまれていたとしても

「NO」ばかり、言われて育つこともあります。

そういう場合、私たちは、

自分が傷つかないよう、無意識に

見かけ上の「YES」を言って、

辻褄を合わせたりもするのです。

 

おとなになっても、

外側からの「YES」が、ほしくてたまらない。

人の顔色が気になる。

人から評価されたい。

 

でも本当に必要なのは

内側から満ちてくる「YES」なのでしょう。

 

汲めども尽きぬ泉のように

たとえ、やさしさだけを手渡されたとしても

内なるYESをつぶやくことは

まことにむずかしい。

 

でも、この詩が語る言葉のように

 

怯んではならぬ

憎んではならぬ 

悔いてはならぬ 

 

やさしさは「ちまみれのばとん

 

どんな苛酷と思える人生にも

「YES」が言える。

それを支える一筋の光

それを人は私の中の「わたし」というのではないかしら。

 

ベルト・モリゾ「ゆりかご」1874
ベルト・モリゾ「ゆりかご」1874

準備ができた?

この家に住みはじめてはや33年

庭の真ん中にある欅は2階の屋根をとっくに越えた。

見上げても届かない空の上で、今、芽吹きが始まっている。

毎日、毎日、

来る日も来る日も、私はその木を見てきたけれど、

その木も、ずっとそこに居て、

私を、家を、私の家族を見ていたのだ。

家族は、その木が大好きで

晴れた日にはその下で食事をし、子どもたちは遊んだ。

その周りで歌い、走り、落葉をかき集めて焚火もした。

 

欅は何を思っているのだろう。

 

今、ツリープロジェクトでその欅を観察している。

観察し、スケッチを重ねていると

見てきたつもりで、全然見ていなかったことに気づく。

そう、こんな風に観てはこなかったのだ。

 

スケッチブックの真っ白な一ページに

柔らかい黒鉛筆で、ていねいに欅の冬芽を描く。

どの冬芽の下にも必ず葉痕(葉の落ちた痕)がある。

つまり新しい芽は前年の葉の付け根(葉腋)に出来る。

 

スィートチェストナットやオークのように

冬芽が出てきても、なかなか葉が落ちない木もあるけど

普通、広葉樹は、

冬芽ができると安心したかのように葉が落ちる。

「準備ができたね、それでは行くよ」というように。

 

ふと思う。私達にも同じことが言えるのかも。

それに気が付いていないだけで。 

立派なハルニレの木(札幌で)
立派なハルニレの木(札幌で)

人生にYES!

先日、久しぶりに会った少女が、

とても美しくなっていて、びっくりしました。

聞けば、希望の高校に合格したとのこと。

おめでとう! 身体中から自信があふれています。

 

あぁ、そうか。

人生がわたしに、「YES」を言ってくれた時

こんなふうに輝いたものだった。

  

  少女よ、

  今のあなたには、届かないだろうけど

  人生はいつも、あなたに「YES」と

  言ってくれるとは限らない。

 

どんなことがあっても、どんなに傷ついても、

何もかも失ったとしても、無数の涙のあとで、

それでも、人生に「YES」と言える自分になる。

 

痛みや悲しみの向こうにしかない

自分だけの「YES」を

あなたが人生に対して言う

その変容の瞬間を経て

人生は真に輝き出すのだから。

 

 

Knaus 野原の少女
Knaus 野原の少女

詩人茨木のり子とふるさと西尾

 私が、詩人茨木のり子さんと出会ったのは、まだ中学生のころ。当時、母は毎月『装苑』という婦人雑誌を取っていて、巻頭ページを飾っていたのが、茨木さんの詩でした。少女の私は、毎月どんな詩が届くのかが楽しみでした。その詩から連想する詩人茨木のり子さんは、すっきりと背筋の伸びた人に思えました。いつしか人生も後半になり、バイオグラフィーワーカーになった私は、かつて中学生の頃に憧れた詩人の人生を、作品と重ねてみたくなりました。彼女が愛知県西尾市で幼少期から思春期を過ごしたということを知り、いつかは彼女が育った場所に行ってみたいものだと思い続けてきましたが、2月、その願いがかないました。

西尾市岩瀬文庫で

西尾市の岩瀬文庫で開かれた「詩人茨木のり子とふるさと西尾」展。岩瀬文庫は日本初の古書ミュージアムです。こんな素晴らしい財産が西尾市にはあるのですね。本当にびっくりしました。

静かな館内に心温まる展示。地元だからこそなのかもしれません。世田谷文学館での企画展も感動しましたが(なんせ装苑の巻頭ページが大集合でしたし)、岩瀬文庫の展示もなかなかのもの。後年「吉良のチェホフ」と詩の中で詠んだお父さんの絵もありました。優等生ののり子さん。頑張り屋ののり子さん。お嬢様ののり子さん。明るい海辺の空の下、はつらつとした姿が目に浮かびます。


1階の展示コーナーには、詩の人気投票も。

一番人気は「自分の感受性くらい」、「倚りかからず」あたりでしょうか。「私が一番きれいだったとき」、「汲む」もなかなか得点が高そうです。で、私は何に投票したかって? 甲乙つけがたいので、ちょっとマイナーな「一度視たもの」にシールをポン!!

 

休憩コーナーで、ケーブルTVの茨木さんの番組を見たあとは、お抹茶を一服。さすが、お抹茶生産日本一の西尾市です。その後、昼食をいただいたお店でも再び一服。結構なお手前でございました。

少し車を走らせて、海の見えるカフェに。

波間に鳥たちの群れ。トンビが悠々と空を舞っています。

遠くまた近く、見えるのは知多半島? それとも渥美半島?

 

ふるさとの多彩な海岸線を誇る伊勢志摩が私の海の原点。

なので愛知の海には物足りなさを感じていたのですが、

この日の海は極上でした。

おそらく茨木のり子展の余韻があったのでしょう。

青く澄んだ海もやがて日が陰りはじめると空も島影も茜を帯びて。

ふと浮かんきたのは嶋崎藤村の詩

~湧きて流るるやほ潮の そこにいざよふ海の琴 調も深しももかはの

よろずの波を呼び集め ときみち来ればうららかに 遠く聞こゆる 春の潮の音~

BFRP東海*バイオグラフィーワーク&コミュニケーション講座

BFRP東海では、2014年から毎年1月~3月までのあいだにプラクティショナーのための勉強会を開いています。

1年目にはトエルブヒーラーズ、2年目でセブンヘルパーズとこれまでバッチフラワーレメディの理解を深めてきましたが

3年目となる2016年は、よりよいコンサルテーションのできるプラクティショナーとして、

自分の表現方法にどんな癖や思い込みがあるかをバイオグラフィーワークの手法を使いながら探っていきます。

 

 

 

BFRP東海

 

バイオグラフィーワーク&コミュニケーション講座

 

 

聴く力 話す力

 

幼い頃から、私たちはどんなふうに自分の気持ちを表してきたでしょう。 

知らず知らずのうちに身についた私の表現方法は? 

それは今、私の聴き方、話し方にどんな影響を与えているのでしょうか

私たちプラクティショナーにとって、大きな意味を持つ「聴く力・話す力」 

相談者と向き合う時、平穏な中心を保ちながら、どれほど心を開いていられるか、 

いかに早く相談者との間にラポールを築けるかは、コンサルテーションの質を大きく左右します。

 

2016年、木曜会は、よりよいコンサルテーションのできるプラクティショナーを目指して 

バッチフラワーと関係づけながら、「自らを知る」ことからスタートします。 

 

参加に当たって特別な経験や技術は必要ありません。どうぞお気軽にご参加ください。 

(プログラムにはアートワークとシェアリングが含まれますが、話したくない内容を強制することは一切ありません) 

 

日 時   2016//21、2/18,3/17(第3木曜日 全3回)10:00~13:00 

会 場   岩崎公民館 会議室2 

参加費   9,000円 (一回ごと分納可) 

対 象   BFRPBIEPレベル3受講生 (満席になりました )

ファシリテーター 中村かをる(BFRP、バイオグラフィーワーカー)

お問合せ・お申込みは BFRP東海 bach38tokai@yahoo.co.jp 

 

新企画 Dialog7

みなさま、たくさんのご参加、そしてお手伝い、応援をありがとうございました。

この企画は さらに内容を深めつつ、2016年、春から夏にかけて東海各地で展開します。

新情報は「 Dialog7」 のHPでご案内。http://www.dialog7.jimdo.com お問合せは Email: dialog76127@gmail.com まで。


11月8日、雨の日曜日、

バイオグラフィーワークとポエトリーを組み合わせた

「茨木のり子の人生と詩の世界~おんなのことば」は

社会教育芸術~もとい、未来教育芸術の

新しい取り組みとして活動をはじめました。

時間という空間のなかを、吸ったり吐いたりしながら

植物のように、生長発展していく私たちの人生。

七年周期のアーキタイプを道しるべとして

茨木のり子さんの人生を紐解いていくにつれ

「飛翔することば」に結実していくプロセスの中には

受取ったものと与えていくもの、

様々な問いと答えが浮かび上がってきます。

わたしたち自身にも、反映させながら。

 

さて、あなたの人生は、いまどのあたり?

バイオグラフィーワーク
ライアー演奏と詩の朗読

軽く気持ちと身体を整えたら、いよいよ後半です。


ライアーのやさしい音色が、空間を優しく包みます。

今回のプログラムは、詩集「おんなのことば」から、

今年リリースされたCDに収録されている後半の詩を中心に、

前半の詩も幾つか朗読します。

CDのジャズピアノはカッコよくてしびれますが、

マイクを通さないライブでは、会場によって、

ちょっと強すぎるのが難点、それに比べて、

ライアーの響きはとにかく柔らかい。

Hirokoさんの声が、それを縫うようにのびやかに、また軽やかに

ある時はどっしりと、はたまたスパイシーに響き渡ります。

それにしてもHirokoさんの声って自由自在!!

そして、やはり「詩」は詩人の人生そのもの、

言葉が立体的というか、重層的に聴こえてくるのは、

何とも不思議です。


茨木のり子の人生と詩の世界

茨木のり子さんの人生と詩の世界の企画がいよいよ1週間後に迫ってきました。

 

バイオグラフィーワーカーである私にとって、

バイオグラフィー研究はとても興味深い分野です。

昨今、注目されているエンディングノートや個人史、

医療や介護の世界でのナラティブメディスンやセラピーと重なり合いながらも、

さらに未来への希望、人生の意味や目的、人間存在への尊厳などを

これほど語り掛けてくるものはないと自負しています。

それはおそらくバイオグラフィーワークが持っている

人生観や世界観へまなざしの違いではないかしら?

 

どこが? と、思われる方、ぜひお出かけください。

ご一緒できることを、楽しみにしています。

東山動植物園
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ウェブ用フライヤー
詩人茨木のり子さんの人生をバイオグラフィーワークの観点から読み解くとともに
私たちの人生に語り掛けてくる珠玉の詩の数々を、ライアーの響きと共にお贈りします。
茨木のり子2015k.pdf
PDFファイル 176.1 KB

新緑の季節

5月はバイオグラフィーワークで始まりました。


アントロポゾフィーに基づく看護ゼミナールでは

豊田市、あげつまクリニックの素晴らしいホールで、

2日間、ムーンノードを中心に。

ただただ出会いに感謝です。


続いて、伊豆高原の「対話の家」に

講師プログラムのメンバーが集まりました。

このメンバーは、みんなよく知った人たちですが

それでも、最初の頃はやはりぎこちなかったのです。

ところが回を重ねていくうちに

絶対的な信頼感といったらいいのでしょうか。

ある瞬間、何かがフッと変わって

人と人の「間」が育っているという、実感がありました。

共同体形成の醍醐味は、なかなかです。


5月から、養成コースの週末フォーマットは第2モジュール、

ミラーリング、ヒポモクリオン、メタモルフォーゼなど

人生を解き明かしていく、バイオグラフィーワークの

さまざまな手法を学んでいきます。

もちろん、自分自身の人生を使って。


伊豆高原では、日がな一日ウグイスが啼いていました。

GWが明けて、名古屋へ戻ってみると

出かける時には、まだまばらだった槐の新芽が

もうすっかり青葉になっていました。


春から夏へ。いよいよ緑豊かな季節です。