バッチ博士が住んだ家

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

かなりのミーハーを自認している私ですが、まさしくその通りです。住所を辿って訪ねたのは、1917年、バッチ博士31歳、ロンドン、ユニバーシティカレッジ病院で激務に追われていた頃の住まい Canonbury Square 42

 

当時のままかどうかは分かりませんが、目の前は小さな公園、木立の向こうに見える黒い扉がバッチのかつての住まい。扉の番号を確かめて公園からパチリ。

 

今からちょうど100年前、この家からバッチ博士は病院に通っていたことになります。1917年といえば、最初の妻、グィンドリンが亡くなり、バッチ博士は間もなくキティ・ライトと再婚します。

 

メゾニックホール内部

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

再婚後、居を移したのはこちら。瀟洒な住宅街、89 Calabria Rd です。前の家と同様、イズリントン地区ではありますけれど、半マイルほど北にあたり、病院から遠くなります。

 

バッチ博士、忙しいのに遠くなって大丈夫?

この転居から2か月後、バッチは生死をさまようことになるのですが...。

 

こちらも黒い扉、左側の家です。家を見ていると中から人が出てきました。慌てて何気ない素振りをする自分が可笑しい。

 

同じ並びの、数件離れた家では改築の真っ最中。外観は全く変わらず、中身だけごっそり取りかえです。日本では家の寿命は短く、同じ土地に住んでいても新築~つまり人は変わらず、家が変わりますが、ここイギリスでは、家は変わらず人が入れ代わるというわけです。とても美しい住宅街ですが、これらの建物はすべて100年以上前からあったということですものね。

 

念願のバッチ博士のロンドンの家も制覇(?)しました。2017年の夏、バッチ三昧の旅もそろそろ終わりです。

バッチ博士がキティと住んでいた家
カラブリア通り イズリントン

アガサ・クリスティの終の家

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

聖書とシェークスピアの次に、世界中で愛読されているといわれる、ミステリーの女王アガサ・クリスティが、85歳の生涯を閉じたのは、ウォリングフォードの中心部から少しはずれたところにある、ウィンターブルック・ハウスでした。引っ越し大好き、数多くの家を同時に所有したクリスティですが、この家につけられたブループラークには、はっきりと「lived here1934-76」と記されています。

メゾニックホール内部

ウォリングフォードの町のサイトには、アガサ・クリスティが、町の名士みたいな感じで、誇らしく紹介されています。素敵なサイトだから見てみてね。バッチ博士も、ノラ・ウィークスと、この町にしばらく住んでいたようです。ノラが、とことこ隣村のソットウェルまで散歩に行って、その後、移り住むことになるマウントバーノンを見つけたのだとか。ノラさん、かなりの健脚ですね~

 

https://www.wallingford.co.uk/home

サイト内のVsterをクリックすると、アガサ・クリスティのページがあり、そこをまた入っていったら、なんと只今、9月8日から10日まで「アガサ・クリスティ ウィークエンド2017」を開催中とのこと。そう聞いても、行けないけど。

ウィンターブルック・ハウスで寛ぐアガサ・クリスティとマックス・マローワン 

かの有名な失踪事件の2年後、クリスティは14歳年下の考古学者マックス・マローワンと出会い再婚します。その後、ウォリングフォードに家を買ったのは、ロンドンにも出やすく、マックスがオックスフォードに通うにも便利、レディングまで出れば、ダートマスのグリーンウェイ・ハウスにも行きやすかったということだったのでしょう。それにしても、アガサ、あなたはもうこんなおばあちゃんだったのね


バッチとフリーメイソン

エドワード・バッチ博士がフラワーレメディのシステムを完成させた翌年の1936年、ウォリングフォードのメゾニックホールで催したフラワーレメディについての一般講演の記録が残っています。

 

私がまだBIEPの受講生だったころ、バッチ博士がフリーメイソンだったことを知って、少し驚きました。というのも、フリーメイソンって、なんだか怪しい秘密結社であるかのような印象があるでしょう。

 

でも、かのゲーテやシラー、モーツァルトやハイドンなど、名だたる芸術家をはじめ、米国歴代大統領など多くの著名人もメンバーだったことは知られていますし、ボーイスカウトとのつながりなどからは、健全な慈善団体という印象も受けます。

 

そもそも、中世から存在するフリーメイソンは「自由な石工」を意味し、大聖堂や城壁を設計、建築する人々の集まり、石工の職人組合だったことに端を発するといわれています。(諸説あり)それが、年月を経るうちに、王侯貴族や知識人が参加するようになり、中・上流階級のクラブ、社交の場、精神修行の場、友愛組織へと変化していったようです。

 

フリーメイソンの基本理念は、自由、平等、友愛、寛容、人道の5つ、「すべての人が同意することのできる宗教」に従って「真実で善良な人間」になることが求められている(吉村正和『フリーメイソン』講談社現代新書)と書かれています。 

フリーメイソン メゾニックホール

ウォリングフォード、メゾニックホール入口

メゾニックホール内部

ホール内部


 

バッチ博士がフリーメイソンに入会したのは1918年、第一次世界大戦も終わりに近づいた32歳の時でした。その前年、彼は大きな試練に見舞われます。妻の死、再婚、そして病に倒れ手術、余命3カ月と宣告を受けます。ところが、人生の仕事に邁進するうちに不死鳥の如く甦り健康を取り戻していきます。そうした経験とフリーメイソン入会とは、何か関係があるのでしょうか。

 

一人の人間として、バッチが抱えていた葛藤なども含め、バッチ博士の著書『汝自身を癒せ』の中に描かれている世界観や健康観を貫いている、古代と近代、神秘と科学、見えない世界と見える世界をつなぐホリスティックな視点が、バッチ博士の人生を辿るうちに、さらに浮かび上がってくるようです。

 

講演をしたのは、儀式をするホールではなく、おそらくこちらでしょう、と案内してくれたのが、右のホールです。舞台の青い幕を開けるとフリーメイソンのコンパスとマークが大きく描かれていました。しかも、このホールではバッチ博士ばかりか、この近所に住んでいたアガサ・クリスティが、作品の上演をしたのだとか。5分も歩けば家があるよ、という言葉に大興奮→クリスティの家

 

今も昔も、こういったホールは人が集まる場所。フリーメイソンのセンターが今やバランスボールのエクササイズの会場だなんて。

ウォリングフォード メゾニックセンター外観

バッチ三昧の旅5

バッチセンター2017

 私が初めてバッチセンターを訪れたのは、2007年の初秋のこと。当時、ストラウドに住んでいた二女と一緒でした。その静謐な佇まいは、それまで訪れたどの場所も霞むほどの衝撃を受けました。

 

 あれから何度訪ねたことでしょう。今では日本からのバッチセンターツアーに合わせ、東海や関西の仲間たちと、またロンドン在住の長女(バッチセンターでBFRP取得)とともに、2年毎に訪れるのが恒例となりました。


 毎回、ほぼ同時期に来ていますが。年毎に気温も違えば、微妙に花の時期もずれ、前回は満開だったのに、今回は少しだけとか、その反対のこともあります。確かこの辺に咲いていたはずなのに、全く違うところから出ていたりなどなど。

 2年前、ガーデナーが変ったばかりの庭は、意気消沈して見えましたが、今回はすっかり息を吹き返し、植物は驚くほど元気で丈高くなっていました。建物の奥にあるアスペンの木の前で。現在のガーデナー、アランさんのガーデンツアー。


 

バッチフラワーの学びの中で、欠かせないのはバッチ博士の宇宙観、人間観。1930年代、この場所でバッチ博士は、人間の心身の健康について思いを巡らし、フラワーレメディのシステムを完成させました。ここにいると「場」の力というものを感じないではおれません。知識や頭ではなく、感覚、さらにもっと奥深い精神性が見える形となって、この場に息づいていることをすべての人に味わってほしいと願っています。

 

 


あわせて読もう2年前のバッチセンターツアー

バッチセンター2015 バッチセンター2015の2

バッチ三昧の旅4

クリックハウエル界隈

ウェールズ2日目、見事に晴れました。清々しい風が川面を渡っていきます。見どころはいろいろあるものの、残された時間はわずか。タウンセンターのそばにある古城と、ミムラスがあったと記述があるクリックハウエルハイスクールのグランドを探してみます。

ハイスクールから、St.Edmund's Churchの塔を見る

木立に隠れて見えないけれど、眼下にはアスク川

クリックハウエルハイスクールは私立校ではなく、公立校です。ぐるりを山に囲まれて、こんな素晴らしい環境の中にあるなんて、なんと贅沢・・・。ここは国立公園ブリコン・ビーコンズの中に立地しているのですから景色がいいのは当たり前でした。

 

このあとは、クリックハウエル城へ。ドラゴン・インでサンデーランチを食べたら、ウェールズともさようならです。また来られるかな。

クリックハウエルキャッスル

一部を残すのみとなっている、クリックハウエルキャッスル。周辺にはワイルドフラワーガーデン、グラウンドやのどかな公園となっています。

古城の城砦の一部が通りの中に。

通りの名前はタワーストリート

タワーストリートにほど近いドラゴン・イン

ガーデン最高!お料理もおいしくてお値打ち。



あわせて読もう1年前のウェールズの旅 

バッチ三昧の旅3

オークの木の下で

前回訪れた時、アスク川の対岸には入れませんでした。

遠目に、あの大きな木はなんだろう、と思っても

近づいて見ることができません。

ところが、幸運にも、今回はイベント会場の駐車場として

門が大きく開かれていました。

 

ヤッタァ~巨樹に向かって走り出したものの、

ゲッ! 気づけば足元は馬の糞だらけ!

草か糞かというほどの凄さです(苦笑)

 

こんなことで怯んでなるものか、顔を上げて走る私!

 綺麗な芝生に見えますが、実は糞まるけ。

それにしても、樹形が見えるっていいなあ。

日本では木が多すぎて樹形が見えないのが普通ですから。

―あの木は、オークでした―

立派な木には、称賛の言葉をかけよう。

なんて堂々としているの。素晴らしい。

聞かせてください。これまで何を見てきたのか。



あわせて読もう1年前のウェールズの旅 

バッチ三昧の旅2

インパチエンス、見つけた!

アスク川のほとりへ

ウェールズ語らしいホテルの名前が発音できませんが

このリバーサイドレストランは、

アバガベニーとクリックハウエルの中間に位置し

移動に車がないと少々不便。

ハードネゴシエーターの我がツアコン娘は

どんどん交渉し、時間も金額も思いのまま。

 

チェックイン前だけど、部屋に案内され、荷物を置くと

私たちは再び7人乗りのタクシーを駆って

クリックハウエルのセンターへ。

 

インフォメーションセンターで地図をもらい、

てくてく歩いて川まで下ること10分足らず。

途中の生垣にクレマチスを見つけ、洒落た窓辺や

ドアを彩る薔薇や藤に歓声を上げながらやってきました

アスク川。

ここまで来ると、昨年、途中まで登って恐怖を味わった

テーブルマウンテンがすぐ近くに見えますが

騙されちゃいけない、目の錯覚です。

 

ウェールズで最古の石橋の上を車がどんどん通ります。

計算外だったのは、河岸の広場がイベント会場に!?

物珍しそうな視線を浴びつつ、7人の小人たち

(いや大人ですが)は、並んで川岸に沿って進みます。


 

ドキドキ ない? ない? 

あっ、あった~!!

光る水面に照り映えてインパチエンスが、

あちこちいっぱい、咲いているではありませんか。

あ~うれしい。

濃いピンクのインパチエンスに混じって

バッチフラワーレメディに使われているという

優しい藤色のインパチエンスも咲いています。

向こう岸にも、沼地の小道にも、

あ~~神様、ありがとう。


 

野生のインパチエンスは、これまでイギリスでは何度か見かけました。

デボンやコッツウォルズの小川のそばで、いずれも水辺に群生していて狂喜乱舞したものです。

けれど、このアスク川の岸辺に咲くインパチエンスは、私たちBFRPにとっては特別です。

何といっても、この場所で、このインパチエンスたちの先祖(?)が

インスピレーションとなったかもしれないのですから。


あわせて読もう1年前のウェールズの旅 

バッチ三昧の旅1

ウェールズ再び

ロンドンからアバガベニーへ

1年前、アバガベニー(Abergavenny)へ向かった日は

EU離脱の可否を問う投票日で、イギリスは異様な興奮に包まれていました。あれから1年後、今もテロや火災などの渦中から抜け切れていないイギリスですが、今年も同じ季節に訪れることになりました。

 

南ウェールズ、アバガベニーからクリックハウエルを

流れるアスク川の畔は、かつてバッチ博士が何度も訪ね、バッチフラワーの源泉になった場所です。

 

エドワード・バッチの『オリジナルライティング』の中に挿入されているノラ・ウィークスのスケッチには、アスク川の岸辺、クリックハウエル橋のあたりにインパチエンスやミムラスの咲いている場所が描かれており、昨年その場所をしっかりと歩いているにも関わらず、その気配を感じられなかった私としては、今度はもうちょっと違う季節に来よう、と思っていたのでした。

 

けれど、今年は2年毎に催されているバッチセンターツアーの年、東海からも関西からも知った顔がイギリス・バッチセンターに集います。この機を逃してはみんなとウェールズに行くことは叶いません。昨年より10日ほど遅く、しかも今年のイギリスは暑い、きっと開花期を迎えているに違いない!

 

そう念じて、BFRP東海勢と関西勢、ツアコン役の長女に私の7人で野生のインパチエンスを見ようと、渡英2日目の早朝、ロンドン・パディントン駅に7人が集合、顔合わせもそこそこに、電車は西へ西へとひた走る。

 

ニューポートで乗り換えて約30分、アバガベニー到着。

とりあえず今夜の宿へ向かいましょう。

バス停で待つこと20分遅れ、

コトコトコト、バスがやってきました。

まもなくバスの窓外は、Brecon Beacons 国立公園らしい

壮大な風景が広がっています。

 

バスの運転手さんが、急にこちらに声をかけました。

どこのホテル? 長女が名前を告げて、しばらくすると、

ここで降りるといいよ、とバス停でもないところで

停まってくれました。

笑顔のお礼で、ぞろぞろ降りる私たち。

 

わ~~い!眼下にアスク川! 山並みの広がり!

リバービューの可愛いお部屋。興奮度数マックス!!!

 

何といっても素晴らしい眺め。レストランも美味しい。

昨年泊まったBears より、私はずっと気に入りました。

おまけに安い。

Llanwenarth Hotel & Riverside Restaurant

 

但しこの時のバス以外、移動はすべてタクシー

しかも7人乗りが確保できて、交通費も割安。

この辺りの交渉は、やはり優秀なツアコン(?)娘の

存在があって可能だったかも。つづく

アバゲベニー駅
窓の外に広がる壮大なウェールズの風景
ホテルの窓からの風景
Llanwenarth Hotel & Riverside Restaurant
Llanwenarth Hotel & Riverside Restaurant

あわせて読もう1年前のウェールズの旅 

アガサ・クリスティーを訪ねる旅(3)

トーキィー アガサの生まれ故郷

先月、ミス・マープルのセントメアリーミード村はどこに?ということで、その候補の一つとしてあげられている「妖精の住む村、コッキントン」について書きましたが、そこへ向かうバスが出ているのが「イギリスのリヴィエラ」と称される海辺の町、トーキィーです。

 

トー(tor)は とがった岩山、キィー(quay)は波止場、河岸のことで、アガサは、アメリカ人の資産家の父と、その義理の従妹にあたるイギリス人の母の間の第三子として誕生します。引っ越し好きで家を買うのが大好きだったアガサですが、トーキィーにある「アッシュフィールド」と名付けられたその家を、生涯を通して「我が家」と呼んだそうです。

 

「スリーピング・マーダー」、「エンドハウスの怪事件」、「書斎の死体」などで登場する、インペリアル・ホテルは、海を見下ろす小高い丘の上にあり、だらだら続く長い坂道を登っていくと、眼下に広がる海がキラキラと光り、行き交う船も美しく、いかにもリゾートという感じがします。インペリアルホテル(作中ではマジェスティックホテル)のバルコニーのテーブルで、ミス・マープル、またはポアロとヘイスティングの気分で、海を見ながら、優雅なランチタイムです。

アガサ・クリスティゆかりの場所につけられているアガサ・マイル

 

アガサ・クリスティーを訪ねる旅(2)

ミス・マープルの住む村?

バッチホリスティック研究会では、2年毎にプラクティショナーを対象にバッチセンターツアーが行われています。私は今年も参加予定です。これまで何度か個人的にも訪れていますけれど、なんといってもこのツアーのいいところは、バッチセンターのレクチャールームでジュディ・ハワードさんやステファン・ボールさんと親しくお話ができ、実際にガーデンを歩きながら、植物やレメディのお話が聞けること。バッチも通ったパブ、レッドライオンで食事をしたり、お墓参りをしたり、最後に講演をした隣町にあるメゾニックホールを訪ねたり、とお馴染みのコースでも、やはり毎回違う印象を受けて楽しめます。

 

ソットウェルの隣町は、ご存知アガサ・クリスティが最晩年を過ごしたウォリングフォードです。2年前にバッチセンターを訪ねた際もここのB&Bに泊ったので、ぜひ、クリスティの家を訪ねようと計画を練っていたのですが、実行に及ばず。今度こそ、彼女の終の棲家ウィンターブルック・ハウスを覗いてみたいなあと密かに思案中。

 

以前、デボンを訪ねた際、どうしても行ってみたいと思っていたところに「コッキントン村」があります。アガサ・クリスティのミステリーに登場する主人公にはエルキュール・ポアロとミス・マープルがいますが、この村は、ミス・マープルが住むセント・メアリー・ミード村のモデル候補の一つになっているところだとか。トーキーの海沿いのバス停で、直通のバスに乗ると、あっという間に両側から生い茂る緑のトンネルの中に迷い込み、パッと開けたら別世界。そこはおとぎの国です。イギリスの村々は、だいたいどこもかしこも美しいのですが、なかでもここ、コッキントン村は「超」を10個くらいつけたくなるほど素敵です。

 

下の画像を見てください。可愛いでしょう。ずっと時が止まっていたかのような、妖精の国に迷い込んだみたいな錯覚にめまいが起きそうです。 大きなお屋敷は、コッキントンコート、アガサの幼少時代には村の領主のお屋敷だったとか。中に入るとクラフトセンターやギャラリーになっています。日陰でアイスクリームを食べ、素敵なカードを買いました。かやぶき屋根の家々、大きな樹木、11世紀に建てられたという古いコッキントン教会。スィートチェストナットやオークの巨木もあり、歩いているだけで胸の奥まできれいな空気に満たされそう。平井杏子著「アガサ・クリスティを訪ねる旅」がなかったらこの場所には来れませんでした。お目にかかったことはないですが、平井さんにはよくぞ書いてくださったと感謝、感謝。

 

このコッキントン村を偲ばせる作品として

平井さんは「牧師館の殺人」、「鏡は横にひび割れて」「動く指」などを挙げています。

読みたくなっちゃいますね。またトーキーや、ダートムア―に関しても書いてみたいです。

関連ブログ アガサ・クリスティーを訪ねる旅 

 

伊雑宮から横山展望台へ

 

朝早く出てきたおかげで、たっぷり時間を過ごしたはずなのにまだ1時過ぎ。このまま帰るのも惜しいので、伊勢道路から志摩方面に抜けて、別宮、伊雑宮まで足を延ばすことに。伊勢道路は志摩に抜ける近道ですが、結構くねくねと曲っており、事故を起こさないように注意深く走る必要があります。道の途中、恵利原には、天岩戸という風穴があり(以前は、湧き水を汲みに行ったことも)海に向かって走るといつも思うのですが、なんだか明るいのです。167号線から鳥羽方面に向かってあっという間に到着です。

 

森の中にひっそりと建つ伊雑宮(いざわのみや)。こじんまりしていますが、毎年6月に執り行われる「御田植式」は、日本三大田植祭のひとつに数えられています。TVでしか見たことはないものの、古式豊かで華やかなお田植えの祭式を実際に見てみたいものです。その折には、この別宮も人で溢れることでしょう。

伊雑宮
皇大神宮 別宮 伊雑宮
伊勢志摩 横山展望台

ここまで来たら、旅の終わりにふさわしい、横山展望台は目と鼻の先です。昨年開かれたG7伊勢志摩サミットの会場となった賢島も、この展望台から臨めます。リアス式海岸と真珠筏の織り成す美しさ、初めてこの場所を訪れた時は、言葉を失いました。

 

午後から雲が出てきました。海の色と空の色は呼応し合って鈍い灰色に。それでも時が止まったような静けさに胸を打たれます。この風景を目の奥に焼き付けて、名古屋へ戻りましょう。

伊勢志摩 横山展望台

いざ内宮へ

 

地域的に内宮は、実家から、少し距離がありましたから、外宮ほど頻繁に行くわけではありませんでした。けれど、他所から人が来ると、やはりスケールを誇る内宮を案内しないわけにはいきません。というわけで、私にとって内宮は、ちょっとよそ行きです。

 

今日は平日のまだ早朝、お正月や週末のような混雑もなく、楽々と目の前の駐車場に停めることができました。よかった!

 

さあ、宇治橋を渡りましょう。柔らかな感触の木の橋は、歩く音さえ吸い込まれていくようです。

神苑に入れば、遠くのびやかに森が広がる様子に、思わず深く息を吸い込みます。

 

五十鈴川御手洗の清流を眺めた後、玉砂利を踏みしめ厳かな気分で正殿へ。

皇大神宮 内宮 正殿
内宮 宇治橋

冬至には宇治橋の大鳥居の真正面から日の出が…

猿田彦神社 方位石=古殿地

この橋を渡れば非日常の世界


おはらい町とヤドリギ

 

私が小学校の頃、学校へ通う道の「ほとす川」の縁にはヤドリギをつけた木が何本も生えていました。

子ども心にヤドリギって、なんだか不思議、と思いつつ、当たり前のように見てきたのですが、アントロポゾフィー医学では、がんの治療にヤドリギ製剤を使うことを知ってからは、ヤドリギに出会う機会があまりないことを残念に思っていました。

 

ところが数年前、内宮にお参りした後、おはらい町にある赤福の店の川の向い側に、たくさんのヤドリギをつけた木が生えているのを見て、びっくり。

 

伊勢ってヤドリギが多いのかしら。だから今回も楽しみにしてきたのです。ほら、こんなに。

皇大神宮 内宮 正殿
内宮周辺
おはらい町 赤福

そろそろお昼時。それなら「すし九」で、てこねずしでしょ。これまで、家族と何回も来ていますが、お向かいで相席になった老年のご夫婦はやっぱり、地元の方。そう、地元の人が来るお店は美味しいと決まっています。「いつもは並ばなきゃいけないのに、今日は空いていて、あなた方、ラッキーですよ」とのこと。

 

お腹が一杯なのに「赤福」の前は素通りできません。香り高いほうじ茶と一緒にいただく、出来立ての赤福餅は格別です。おかげ横丁に入り、お土産に私の好きな「糸印煎餅」や海産物を購入し、ひろこさんは「豚捨」で伊勢肉を奮発!

店内で赤福の実演も見られます。美味しさ倍増

猿田彦さん

 

同行のひろこさんが、

猿田彦神社は絶対外せないということから、

やってきました。猿田彦さん。

 

この大神さまは

ものごとの最初に現れ、万事よい方向へ

「おみちびき」になるのだそうで

建築、方除け、災難除け、開運、事業発展、五穀豊穣、大漁満足など、みちひらきの御神徳で知られていると、案内書に書かれています。

 

なるほど、そういえばオレンジ色の猿田彦の交通安全のお札をつけた車を時折見かけます。

 

拝殿の正面に昔の神殿跡を印し、方角を刻んだ八角の石柱がありました。みちひらきの力がいただけると、みんな触っています。猿田彦さんには、至るところに八角形があるとのこと。へえ~そうなんだ。初めて知ったことばかり。

 

実は、ここを訪れたのは、もう40年以上前のこと。

それっきり、来なかったには、わけがあります。

 

まだ20代前半の頃、

1つ上の仲良しの従姉の結婚式がここでありました。

角隠しに正装の従姉の綺麗だったこと。

花嫁の控室で、従姉と盛り上がっていた私でしたが

いざお式が始まる段になって

「私の席はない」ということでした。

 

今なら、勿論、諸事情が分かりますが、

当時の私は、あまりのおバカさんだったので、

がっかりを飛び越え、泣きだしてしまいました。

「おめでたい席で涙なんて」と母の叱責を受け

思わず飛び出した私…その愚かしさ、

自分でも信じられません。

 

今も思い出すたび、胸が痛みます。

 

ごめんなさい、ごめんなさい

というしかありません。

猿田彦神社

みちひらきの大神 猿田彦神社

猿田彦神社 方位石=古殿地

八角形の石柱の回りには人だかり

佐瑠女神社はあめのうずめのみことが御祭神

あめのうずめのみことが御祭神の佐瑠女神社は、芸能の神様とのこと。なるほど華やか!!

 

次は内宮へ

 

 


伊勢は私の故郷

 

私は伊勢で生まれ育ったから、多分、富士山の麓や、京都などの観光地生まれの人も同じだと思うのですが、当たり前のところにいると、外から見るほど、ありがたみを感じることもなく、大人になって、いいね、と言われて初めて故郷を誇らしく思うようになりました。

 

でも、高校の頃、学校帰りに友人たちとよく歩いた

外宮の梅林は駐車場になり、勾玉池周辺は整備され、

綺麗になったものの、あの頃の佇まいは薄れ、

私の記憶の中の「外宮さん」とは少し違います。

(鳥居から一歩入れば、今も昔と同じ別世界ですが)

 

実家から外宮は徒歩圏内だったし

当時、高校も外宮のすぐそばだったから、

(今では高台に移転してしまったけれど)

外宮は私にとって、普段着の馴染み深い場所でした。

 

とはいえ、親が老いてからの伊勢は介護一色。

7年の間、数えきれないほど、伊勢と名古屋を

往復しましたが、伊勢だからといって

その地を楽しむ気持ちに到底なれませんでした。

そのあいだも、そのあとも。

 

外宮、内宮をはじめ、市内に点在する別宮の月夜見宮、月讀宮、倭姫、また遙宮の瀧原宮、伊雑宮等々、家族で、また友人たちと訪れたこと、そして、折々に遊んだ従姉妹たちのことが偲ばれます。

 

久しぶりだし、今年は

新しいまなざしでわが故郷を眺めてみようかな。

 

近年の遷宮やパワースポットブームなどで

伊勢神宮の人気は急上昇、 

下の画像は「三つ石」

外宮のパワースポットで有名です。

誰もいなかったので、大急ぎでパチリ。

人が来ては皆、手をかざしていきます。

う~む、あったかい!?

外宮 三つ石
パワースポット 外宮
クロイツでのバッチ国際教育プログラム

朝日が差し込む手水舎、せんぐう館の向こうには勾玉池

同行のひろこさん、御正宮ど真ん中に収まってます

伊勢神宮外宮 別宮多賀宮

別宮 多賀宮

1のつく日の朝には、神馬見参に出会えるかも

 

 


ウェールズ~5

狭いと怖い、広くても怖い

行きも帰りも

草の生い茂る道なき道を、かき分けかき分け登ったところは、まだまだ中腹。ちょっと一息つきましょうと、周りを見渡せば、ヒルトップから流れてきたらしい清冽な湧き水。ここでもワイルドローズがいっぱい咲いています。

気持ちいい~~~~!!思わず万歳をしたくなるのはなぜ?

 

花はまだ咲いていませんがアグリモニーも、そしてホリーもたくさんありました。もうちょっと歩いてみようか、と言っても、道はもうありません。ただただ草むらを風の通り道に従って上るのみ。オークの林の手前に、まるで拒絶するかのように高い柵が・・・めげずによじ登り、しばらく歩いていると、雨がぽつぽつ落ちてきます。さっき大喜びで写真を撮り合った時に姿を現していた大きな黒雲が、みるみる広がり、雷も聞こえてきました。狭い道も怖かったけど、広いところはもっと怖い。二人とも急に恐怖にかられ、帰ろうと意見が一致。さっきの道を通るのは憂鬱だけど、でもそれが一番安全。ということで、致し方なくまたしても柵をよじ登り、草原を突っ切り、ワイルドローズに別れを告げて、再び叢に閉ざされた道なき道、しかも今度は下り坂。顔も身体も、ビシバシと草や枝に叩かれながら、それでも何とか麓に到達できました。あゝ、ほんと恐かった。ネトルにやられたらしく、肘のあたりがピリピリしびれています。 

道なき道を上ぼりきると、広々と開けた草原、風に吹かれて私は凧~~思わず歓喜のポーズ!

クリックハウエル ドラゴンインで

雨に濡れながらクリックハウエルへ、身体も冷えてしまってまずは熱い紅茶を一杯。パラソル越しにテーブルマウンテンが見えます。あんな遠いところまで、私たち行ったんだね。但し途中までだけど(^^ゞ

昨日も食事をしたドラゴンインは私たちが泊まったベアースからもすぐ近く。見晴らしのいいガーデンがあって宿泊もできるみたい。日本にいる時よりずっと紅茶が美味しいのはやはり水が違うからかしら


ウェールズの旅

ウェールズ~4

テーブルマウンテンへ

バッチ博士の軌跡

エドワード・バッチは1928年9月、のちにバッチフラワーと呼ばれることになる植物のまずは3種類、インパチエンス、ミムラス、クレマチスを、アバガベニ―とクリックハウエルの間を流れるアスク川のほとりで見つけました。当時、バッチ博士は、すでにバッチの七大ノソードと呼ばれる経口ワクチンを発見、その効果は絶大で、彼の名はイギリス国内だけでなく、アメリカをはじめ海外にまで轟き、彼の研究所には世界中の医師から標本が送られていたようです。けれどバッチ博士は、七大バクテリアに代る野草を見つけたいと考えていました。ウェールズヘの旅は、人々の健康を願うバッチにとって、やむにやまれる思いに駆り立てられたものだったのです。

 

今回のウェールズの旅は、バッチゆかりのアスク川周辺を歩くこと、もちろんレメディの植物と出会いたい期待はあるものの、事前の準備も中途半端でちょっと衝動的でした。どこへ行こうかと、クリックハウエルのインフォメーションに入ると、案内の女性は興味津々で何人か?と聞いてきます。日本人だというと、急に目を輝かせてここに始めてきた日本人だと言われ(そんなはずはない、と思いながらも)記念にノートに日本語で名前を書いてきました。

 

その彼女のおすすめはテーブルマウンテン。ここなら軽装備でも大丈夫、道には植物がたくさんあってラブリーとのこと。バッチはこの周辺でヘザーとロックウォーターも見つけています。それはひょっとすると、テーブルマウンテン辺りだったかも!? と、その気になって、1ポンドで地図を買うと、勇ましく歩きはじめました。フットパスの道しるべ、清らかな流れ、牧場、あちこちの花を眺めながら最初は調子よかったのですが、草が覆い繁って道はなくなる、前が見えないほどの植物で、これ、本当に道?これで大丈夫?と不安になりながら、坂道を登ること1時間。やっと広々とした草原に出た時には、心底ほっとしました。汗びっしょり。ふ~こわかった・・・ 

振りむけば、眼下にはクリックハウエルの町。思わず歓声をあげました。吹き抜ける風が気持ちいい!!

アスク川へ降りていく道で見つけたクレマチス。「おじいさんのあごひげ」と呼ばれるとおり、花が終わった後に出てくる種子の綿毛部分

FOOTPATH TO TABLE MOUNTAIN と書かれた標識。この矢印に従って歩いたのですが・・・

右端の大きな木はワイルドローズ。沢山花をつけていました。こんな大きなワイルドローズの木は初めてです

ワイルドローズの木の脇に小さな石段があり、それを乗り越えると草原に出ます。さやさやと風に揺れる草、バターカップの黄色い花、秋の終わりには、アグリモニーやヘザーも咲くことでしょう。ところどころにある大きな木はオーク。

それにしても、もうヒルトップだと思っていたのに、テーブルマウンテンの頂上は、まだまだ先(涙)


ウェールズの旅 ・*・

ウェールズ~3

アスク川周辺

クリックハウエル橋

ホテルに荷物を置いて、お店が立ち並ぶハイストリートを

抜けると道はなだらかに下りはじめ、

ブリッジストリートに入ると急坂になって橋に出ます。

クリックハウエル橋は、ウェールズで最も長い石橋なんだそうです。今はその上を車がびゅんびゅんは知っています。一方から見ると橋梁のアーチは13なのに、もう一方から見ると12しかない、というのが特徴らしい。

 

アスク川の水は茶色に濁っていますが、悠々と白鳥が一羽

川沿いの道はオークやウィロー、アスペンがのびやかに枝を伸ばしています。けれど、バッチが見つけたという、ミムラスやインパチエンスの姿は見当たりません。やはり、あの頃の清明な流れは失われたのでしょう。それでも川べりの草むらには、ワイルドローズやバターカップ、アンジェリカなどが咲き乱れていました。


ウェールズの旅 ・*・

ウェールズ~2

クリックハウエルへ

アバガベニーからクリックハウエルへ

 

アバガベニー(Abergavenny)のタウンセンターのバスターミナルから、クリックハウエルにはバスを利用。

近くに教会の塔が見えます。ゆっくり過ぎてゆく時間。バスを待つ人の中には子ども連れもいますが断然、高齢者が多い。

この人たち、もう投票行ったかなあ。

どっち入れたと思う?(長女との会話)

絶対、離脱派だよね。ここはウェールズ

まわりはほぼ白人です。

 

数十分遅れでも、当たり前のように何の断りもなく、やっと来たバスに乗り込むと、アバガベニーのメインロードを抜けて美しい緑の中を走り抜けます。道はぐんぐん上ってクリックハウエルに到着。

 

なぜここに?

1928年、アバガベニーからクリックハウエルを流れるアスク川沿いで、エドワード・バッチは初めて後にレメディとなる植物を見つけたとか。

 

ホテルに荷物を預け、身軽になったら

さっそく川に向かいましょう。

 

今夜の宿はホテルベアー1432年創立というからかなり古い。実は次女が数年前、このホテルに宿泊。美味しかったよ、という言葉につられたというわけです。

ロンドンを出る時は大雨だったのに、よく晴れました。今夜の宿です

ロンドンを出る時は大雨だったのに、よく晴れました。今夜の宿はホテルベアーです。

家並の間に、壁だけになった古城のタワーの一部が今も静かに建っています


ウェールズの旅 ・*・

ウェールズ~1

アバガベニーで出会った木々

ロンドンからアバガベニーへ

アバガベニー(Abergavenny)へ向かう朝は

夜中から稲妻に大雨、おりしもBrexitの投票日。

すでに大荒れの予感。

カナル沿いの道で、雨に濡れながら

「Remain」の貼紙をしている人がいました。

この地域は残留派が多いところです。

 

この雨では投票の足が鈍るかもね、

地下鉄エンジェルからキングスクロスで乗換え

パディントン駅へ。

 

ロンドンから西へ向かう鉄道はパディントンから。

昨年バッチセンターへ行った時も

その前年にデボンへ行った時も

パディントン駅を利用したことを思い出しました。

 

パディントンからニューポートまで約2時間

そこで乗り換えて約30分でアバガベニーへ。

 

いつからか、雨は止み、駅を降りると山が見えます。

イギリスでは山を見たことがなかったので、

やはりここはウェールズ!!

アバガベニーはBrecon Beacons 国立公園の

南東に位置し、ウェールズの山々への拠点の町

駅を背に、右の道からタウンへ歩きはじめると、

目の前に大きなセイヨウトチノキとオークが

並んで立っておりました。

思わず、オオッ!と叫んで近寄る私。

立派~でもこれはほんの序奏。

トチノキの木肌は日本トチノキと全然違う、というか

樹齢によるものなのかしら。

かつて、ロックウォーターの泉があったかもしれない

ホーリーウェル通りも歩いてみましたが、その気配なし。

残念... なかなか美しい家並みが続きます。

Sugar Loaf(596m)ブレコン・ビーコンズ国立公園
Sugar Loaf(596m)ブレコン・ビーコンズ国立公園
駅のすぐそばにこんな立派なオークの木
駅のすぐそばにこんな立派なオークの木

ウェールズの旅 ・*

カナルの住人

カナルいちの人気者は何といっても白鳥、今年は6羽も雛がかえり、道行く人は足を止めてカメラを構えます。白鳥用にパンを持ってくる人もいて、そうなると、水の上では嘴だけ白いクーツやカモ、小道には鳩にカラスに犬も集まってきて大騒動だ。

 

上空には時々カモメや大きなカナダがんも飛んできて

どうやら、白鳥のヒナを狙っているらしい。

愛らしいヒナたち
愛らしいヒナたち

 

ヒナはいつの間にか、3羽になりました。

首が大分伸びて、ちょっと白鳥らしくなっています。

 

お母さんの背中に乗っていた弱っちい子が

育ったなかったのか、それともカナダがんに奪われてしまったのか。こんなのどかなカナルの中でも

常に弱肉強食が繰り返されているのでしょう。

白鳥が怒ると、結構こわいです。

 


エンジェル・カナル周辺

 ヒースローから、電車を乗り継ぎ、地下鉄エンジェルに着いたのは夜の8時過ぎ。外へ出ると、午後3時くらいの明るさ。ロンドンの日没は9時半ごろ。空気はひんやり、風も心地よく気持ちがいい。1年ぶりのロンドン...。 長いフライトの後だから、身体を動かしたほうがいいね、とそのままゴロゴロとスーツケースを引いて、カナル沿いの道を、娘のフラットまで歩いていく。思ったほど歩きにくくない。

 家の窓には、REMAINの文字、イングランドの旗がなびいている。もうすぐ国民投票だもんね。そういえば夏至も近い。明るくて体内時計が狂いそう。明日からの予定は大まかに決めてあるけどまだ細かいことは全然調べていないし、とにかく眠い。今夜は早く眠ろう。

 

カナルボートが常駐する波止場。ロンドンプレイン(プラタナスの仲間)
カナルボートが常駐する波止場。ロンドンプレイン(プラタナスの仲間)
ノーザンライン・エンジェル駅のホームは広くて綺麗
ノーザンライン・エンジェル駅のホームは広くて綺麗
エンジェル駅から5分も歩けば、もうリージェンツカナル
エンジェル駅から5分も歩けば、もうリージェンツカナル

クローマーの家

クローマー英国教会

イギリス10日目 クローマーその2

 

鉄道のクローマー駅を降りて東へ10分ほど歩いていくいうちに、この教会の塔が見えてきます。


今回のイギリス滞在は、日本の真夏並みの暑さの中を、来る日も来る日も歩け歩けで、なかなかサバイバルでしたが、この日、私にとって、最もチャレンジングだったのは、この教会の塔の上までの階段を上ったことです。


古い石組みの異様に高い石段が300段以上続きます。もし踏み外しでもしたら事故になるのは必至ですから、文字通り必死の形相でしがみつくようにして上り切りました。人ひとりがやっと通れるくらいの、鍵のかかった小さな扉をあけ、やっとの思いで塔の上に出た時の安堵感ったら!

遥々と広がる北海、クローマーの町、背景の豊かな緑、それはそれは息をのむ光景です。

こわいけど一見の価値あり!! 


教会の隣は、クローマーミュージアムです。小さなミュージアムですが、

マンモスの骨などと一緒にバッチ博士のことも、ちゃんとパネルで紹介されており、

先ほど見たバッチの「冬の家」と共に、山側にある「夏の家」の住所も

ちゃんと記されていました。それを頼りに、再び歩け!歩け!!

 

セントメアリーロードのその家の前には、

大きな大きなホワイトチェストナットの木がありましたが

バッチ博士が、ここに住んでいた時には、ホワイトチェストナットは

まだレメディとしては見つけられていなかったのです。そう思うとちょっと不思議ですね。


ドアが見えているのが、バッチ博士の夏の家、寿命の短い日本の家と違って、イギリスは200年、300年なんて家はざら。この家も新しく見えますが、バッチ博士が住んでいたのは80年以上も前です。みんなでドアの傍まで行き、代わる代わる覗きこみました。ごめんなさい。


それにしても、こんな暑いイギリスは初めて。


ところで、クローマーは蟹が有名です。海辺のピアでも、何人も釣り糸を垂らして蟹を釣っていました。以前この町を訪れた「マウントバーノンの風」の鈴木さんから、蟹を食べた話を聞いていたので、みんなその気でいたのですが、いざレストランに入ってみると、イギリスの名物、フィッシュ&チップスを食べていないということで、結局、このように大きなフィッシュ&チップスを食べることになりました。ビールを使ってカラリと揚げてあり、なかなか美味。

お腹いっぱいになりました。

レスキューレメディが生まれた海

ロンドン シティ街

イギリス10日目 クローマーへ

 

翌日には帰国、というタイトなスケジュールをものともせず

イギリス中東部の海辺の町、クローマーまで日帰り決行。

シティを抜けてリバプールストリート駅に着くと、

すでに名古屋チームは、構内のWASABIで

お弁当を買って待っててくれました。

総勢7名で、かのレスキューレメディが生まれた海、

クローマーを目指します。

 

7:30発 Nowich~乗換~Cromerで10:31到着。

片道3時間、£24.50 、約5,000円の列車の旅。

2時間あとの9:30発なら£13.00と、ほぼ半額??

 

これまでヨークへ行くために、北へ向かう列車に乗ったことは何度かありましたが、この路線は初めてです。

動きはじめてしばらくは、郊外の大学へ通う学生が乗り降りしますが、あっという間に車窓は緑豊かな風景に変っていきます。

緩やかに果てしなく続く丘、草を食む羊の群れ、ハッとさせられる水辺やボート、水鳥たち...。

絵のように可愛らしい村々。

ノーウィッチまで北上すること2時間、そこで電車を乗り換えて東へ。

遠く海が見え始めると気分は小躍り。どうです、この見事な青!!!!!!

バッチ博士は、最晩年に住んだマウントバーノンに移るまえ、この海辺の町が気に入り、年に数か月は住んでいたようです。ピンクの家から数えて4件目がバッチ博士の冬の家。今日のような穏やかな海ばかりではなかったでしょう。ある時、難破した船の漁夫を助けるために、ロックローズ、クレマチス、インパチエンスの3種類が使われました。現在、世界中で最もよく知られているレスキューレメディの元型です。この地では、アグリモニー、チコリー、バーベイン、セントーリー、セラトー、スクレランサスなど、初期のレメディも誕生しています。(続く

バッチフラワーが世界へ…

ネルソン社

イギリス9日目 ネルソン社にて

 

2日間のウォリングフォード滞在の後は、ロンドンに戻り、バッチフラワーレメディを世界中へ送り出している、ウィンブルドンのネルソン社訪問です。


バッチ博士が、このヒーリングシステムを完成させ、1936年に没して以降、残されたノラ・ウィークスらスタッフは、博士の遺志を継ぎ、レメディを作り続けていきました。やがて1960年代頃から、バッチフラワーが広がり始め、1980年代には、毎週8,000本を世界中に送り出すまでに...。

 

高まる需要に応えることができなくなっていったバッチセンターは、

1991年、バッチ博士が生前から縁があったネルソン社にボトリングを委託、

その後、販売権も委託して、レメディを販売するプレッシャーから解放されました。

今もバッチセンターの庭で、バッチ博士がそうしたようにレメディは作られていますが、

バッチセンターの役目は、レメディを販売することから、

バッチ博士の教えを守り、伝えることに定まっていきました。

 

ネルソン社

とはいえ、バッチ博士のセルフヘルプには、レメディは必須です。どんな工程で作られているのか、興味津々。私たちは工場の中に入り、写真もいっぱい撮らせていただきましたが、カメラはここまでにしておきましょう。

ネルソン社の入り口にはラベンダーの花が美しく咲いていました。中に入ると、プリンス・オブ・ウェールズ、すなわちチャールズ皇太子訪問時の写真や、大きな世界地図が飾られていました。地図にピンが打ってある国々にバッチフラワーレメディが届けられているわけです。

 

バッチセンター2015の2

バッチセンターへのお土産は、名古屋のレメディ植物の観察ノートです

イギリス8日目

 

バッチセンターのセミナー棟に集まった日本からのBFRP総勢20余名の憧れのまなざしを集めて、私たちの前に立っているのは、バッチセンター代表のジュディ・ハワードさんと運営を担っているステファン・ボールさん。バッチを学ぶ者には、よく知られた名前ですが、さまざまな質問に、さらりと、かつ心を込めて応えてくれます。その有り様は、カリスマティックではなく、まさしく自然体でバッチフラワーのごとく。

こうでなくっちゃね!!

 

ステファンさんが手に持っているのは、名古屋からのお土産(?)の、植物観察の資料です。

BFRP東海では、近隣の植物園などで、レメディーに使われている植物観察会を催していますが、

メンバーの一人が、定点観察などを繰り返して丁寧に作っています。

 

ところで、この日はイギリス観測史上、最も気温が高かったのだとか。

外を歩いていると、突き刺さる日差し、くらっと来る暑さは、

信じられないことに37.8度!!!

バッチセンターのあるソットウェル村から、ウォリングフォードへ向かうバス停を探し、

歩いた道のりの暑かったこと、遠かったこと。(本当に遠かったわけではないのですが)

サバイバルな一日を楽しんだのは言うまでもありません。

 


バッチセンター2015

バッチセンターのあるソットウェルはとても上品で閑静な村です。

イギリス7日目

 

時間の余裕を持って出たにもかかわらず、パディントン駅に着いたのは、約束の時間を過ぎており、合流するはずだった日本からのメンバーを乗せた電車は出た後でした。今回、お手伝い役の娘とふたり、20分あとの電車に乗ったのに、なんと数分遅れでディドコットパークウェイに到着。なんたる早業!これは奇跡か!?

 

駅について、タクシー乗り場へまっしぐら。あたふたとタクシーに乗り込んだ後、ふと駅舎のほうを見ると、何やら日本人の団体が! あれっ、ひょっとすると私たち、先に着いちゃうかも。

えへへ、やっぱり先に着いちゃった。一番乗りでしたぁ~

今回で4回目のバッチセンター訪問です。あれれ???

なんだかこれまでに比べると、花が少ないぞ~というか、なんか元気がない。

お天気が良すぎて水が足りない?いや、そんな...これはいったい、どういうこと...?

左側の画像は2011年のほぼ同じ季節の庭の池。右側は今年の池。今年はミムラスがいっぱい咲いていますね。なにも咲いていない池の前で、「ここにはミムラスとウォーターバイオレットがあります」と、説明してくれているのが、この庭を13年間守ってきたガーデナーのエマさん、今年も会えると密かに楽しみにしてきたのですが、な、なんと、私たちが来る1週間ほど前に退職し、ちょうど庭師が入れ替わったところだったのです。どおりで、今年の庭は、ハニーサックルとミムラスばかりが目立つのか...と、もちろんこれはこじつけですが、ちょっと同情してしまいました。そうか、そうか、お花さんたち、エマさんがいなくなってしまって淋しいね...不安だよね...

ガーデンツアーの案内人は、我らがステファンさんでした。

チェリープラムにまつわる、とっておきのエピソード、あゝ、みんなに早く言いたい。

V&Aミュージアム

ロンドン6日目

 

ビクトリア&アルバートミュージアム、(V&A)かつて、ここを訪れた時はアールヌーボー&デコの特別展が開かれていて、その頃、私はアンティークに嵌っていましたから、見るものすべてが感激の嵐! で、ミュージアムを出てボ~ッとしたまま乗った地下鉄の中で、バッグから財布を抜き取られた苦い思い出があります。にもかかわらず、知らぬが仏で、サボイに入り、アフタヌーンティーをしたあと、いざ、支払いをと気付いたときには後の祭り。警察に届け出をしたり、カードを無効にしたりと散々な目に遭いました。そして1年後、ほとぼりが冷めたころ、盗まれたカードがアメリカで使われたようで、その請求書が私の手元に届いたときには、一瞬、なんのこと!?もちろん、無効の届け出が出ているカードですから、私には実害はなかったのですけれど。旅先では思いがけないことが起こるものです。


今回、観ると決めてきたのは、ルーシー・リーの作品。初めて彼女の作品を知ったのは、友人から送られてきた美しいポストカードでした。その時は機会に恵まれず観に行けませんでしたが、今年また、没後20年のルーシー・リー展が日本で開かれていますから、秋には姫路あたりまで出かけようと目論んでいます。

わき目もふらず陶磁器が展示されている6階を目指します。そこにはルーシー・リーの工房が再現されたコーナーがあって、ガラス越しではありますが、土や釉薬やら、使いかけの布などが無造作に置かれていて、なかなか興味深いです。作品は想像していたよりはたくさんの数があり。かなり満足しました。とはいえ、それはないよ、というくらい、雑多に並べられているのを見ると、テートの時の絵のように、せっかくの作品のありがたみが減ってしまうのは何とも残念です。ひっそりと静かな展示室はそれだけでうれしくて、あちらのガラスケース、こちらのガラスケースと、行ったり来たりしながら、角度を変えてのぞき込んだりして、端正な美しいフォルムを楽しみましたが、やはり作品には、それにふさわしいだけの十分な余白がほしいものです。

あゝ、手に取って、触れてみたい・・・

V&Aのカフェ、ウィリアム・モリスの内装は見ごたえがあります。

うっとりと天井を見上げ、壁を眺め、

スコーンにクロテッドクリームをたっぷり塗って、お茶を飲む、、、

目もお腹も大満足。もう最高。


さあて、明日からはバッチの仲間と合流します。いよいよ旅も次のステージへ。

夢か現実か…大英博物館

あの大英博物館に、バッチのレスキューレメディが展示されているらしいと小耳にはさみ、今日はバスに乗って、ブリティッシュミュージアムへ。最近のテロ事件の影響か、入場の際にバッグの中身を改めるとのこと。ずらっと道路まで行列が溢れていましたが、まあ難なく入場。

 

さて途方にくれそうなほど広いミュージアムの入館料が無料とは、大英帝国の懐の深さか、はたまた過去の略奪の罪滅ぼしか。とにかくありがたいことこの上なし。


バッチのレスキューレメディはどこにあるのかな。ありましたぁ~

展示室24 「Living and Dying」

 

長い長いガラスの展示台の上に、ずら~っと並べられているのは、薄い紗のような布に織り込まれたおびただしい数の薬14,000個、さまざまな色、形のカプセルや錠剤は、風邪薬や抗がん剤などなど。イギリス人が生涯を通して飲む平均的な薬の量だとか。そしてピンセットや包帯と並んで、我がバッチフラワーのレスキューレメディが!!  

ほとんど病院に行かない私にとっては、信じられない薬の数ですが、そういえば私の両親など、食前食後、病院の大きな紙袋から、まるでアラレでも食べるように薬を飲んでいましたっけ。どんなに元気な人であっても、生と死の狭間で、病気に全く縁のない人はいないわけですし、医学の発展によって、病の克服もあったことでしょう。けれど、それにしても、健やかな生と死はいったいどんなこと?しばし立ち止まって考え込んでしまいました。

実は、もう一度見たいと、心密かに思ってきた展示物がありました。

大英博物館には、十数年前に1度きり来たことがないのですが、

その後、それを見た時のざわめきというか、

恐怖に似た怖れを思い出しては、

次の機会には、もっとしっかり見ようと思っていたのです。


あれはどこの展示室だったのかしら、

記憶では、展示室というより、階段を下りたひとけのない場所で、

天井まで届くような白い大きな動物か人らしき彫刻が2つ向き合ってありました。


で、今回、それを探してあちこち歩き回りましたが

どうしても見つかりませんでした。

それらしい展示室そのものがありません。


で、本当にあったの?ここだったの?と問われると

急に自信がなくなり、ひょっとすると、あれは夢だったかも、

という気がしてくるのです。


長い時の流れを超えて、存在するモノたちを見ていると

不思議な感覚に襲われる人は、決して私だけではないでしょう。

それにしても、どうしても、

夢とは思えない、リアルな記憶なのですけれど。


イギリスは美味しい

ロンドン4日目

 

イギリスは食事がイマイチでしょ?とよく聞かれるのですが 

ロンドンでは、娘のところに泊まるため、

滞在中の食事は、日本から持参した材料を使って

日頃は作ってやれない家庭料理を、娘と楽しむのがメインなので

日本にいる時とあまり変わらない食生活です。


それに、娘の住むエンジェルはとても便利なところで、

地下鉄駅の周辺には、ウェイトローズ(Waitrose)、

マークス&スペンサー(M&S)、セインズベリー(Sainsbury`s)と

高級路線から庶民派まで、スーパーマーケットが並んでいますから

オーガニックの野菜でも果物でも、ふんだんに揃って手に入ります。

NYには負けるけど、ロンドンも便利。

 

ちょっと気分を変えて、外で食事をしたい時には

かの有名な、ジェイミー・オリバーのFifteenにも歩いて行けます。

でも、このお店、ひところの勢いはもうないような気がする。

それに比べて、今や、大人気のデリ&カフェの

オットレンギ(Ottolenghi)のフュージョン料理はさすがイギリス。

地中海風、中近東風のミックスがとても新鮮。

ただのブロッコリーサラダが、なぜこんなにおいしいんだろう。

カナル沿いのパブ「ナローボート」も人気店で、週末は人であふれています。 


ちょっと飛ばし過ぎで、疲れの出てきた4日目は

イズリントンのオットレンギで遅めのランチをした後、

娘はハイドパークのコンサートへ、

私はフラットでのんびり過ごすことになりました。


 


テート・ブリテン

東山動植物園

ロンドン3日目

 

イギリスに来てから、ずっと晴天が続いています。

ありがたい。ありがたい。地下鉄に乗ると暑いけれど

光も風もとっても心地よくて最高!日本ならさしずめ高原の夏って感じかな。

 

さて、今日は地下鉄Pimlico駅から徒歩10分のところにある

テート・ブリテンへ。昨年、NYに行った際、

貪欲に美術館巡りをしていて、ハッと気づきました。

そういえばイギリスに来ると、基本的に何もしないという、

贅沢な時間の使い方をしていたことを。

それで今回は、もうちょっと積極的に観光しようと思ったわけです。

クラブアップル

 

吹き抜けの高い天井がとてもきれい。

青空が透けて見えています。

初めてここを訪れたのが2005年。

もう10年も前のことです。


その時は、ちょうどミレーのオフィーリアが

画架に掛けられて、目線に置かれていました。

長いことその前に座り、川の流れや小さな花々、

衣服の華麗さ、オフィーリアの表情に

見入ったものです。


こんな素敵な動画を見つけました。

日本にも来てたんですね。 


「ask me」 と書かれた赤いバッグを持った案内の方がいて

ブレイクが見たいといえばそこへ、ラファエル前派が見たいといえば

その部屋に連れて行ってくれます。

それにしても、あるわ、あるわ、ロセッティはいうまでもなく、

E.バーン=ジョーンズの「黄金の階段」に、ウォターハウスの「シャロットの女」も、

こんなにわんさか飾ってあったら、ありがたみが失せてしまう。

それにしても、今回、絶対見逃さないと決めてきた

ロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」、割と小さい。

あんな上の方じゃ、よく見えませぬ(涙)

ワッツの「Hope」も、見たかった作品のひとつ。

何とも不思議な絵です。目隠しをした女性が

竪琴の響きに耳を傾けているのでしょうか。

水に浮かんでいるような地球の上に腰かけて。

 

バイオグラフィーワークでは、ワークの始まりなどで

アイスブレイキングにカードを使ったワークをします。

なので、いつも私のショッピングの中心は

こういったカードなのです。

今日もたくさんのカードを買いました。

もちろん、このカードも。



美術館は案外疲れます。絵に導かれるようにして、結構な距離を歩いていることや、作品のエネルギーが強いからでしょうか。どの美術館にも、いくつかカフェやレストランがあって、疲れたらお茶を飲んだり、ケーキを食べたりするのも楽しみです。というわけで、娘と私はアーチの向こうに緑が見える席で、キャロットケーキを食べていると、突然、そのアーチから鳩が飛び込んできました。驚いたことに、鳩は近くに座っていた女性の頭の上に止まったのです。そして、さらにさらに驚いたのは、その女性は、鳩が頭に止まっているのに、頭を振るわけでも、手で追い払うでもなく、頭に鳩を載せたまま、何事もないかのようにお茶を飲んでいたのです。やがて鳩は天井近くのライトの上に移動して、しばらく店内を見回していたあと、外へまた飛んでいきました。


観てきた絵を一気に忘れてしまうほど、びっくりしました。

 

チェルシー薬草園

東山動植物園

ロンドン2日目

到着翌日なので、遠出は避けましょうと

地下鉄スローンスクエアから、歩いて20分くらいのところにある

チェルシー薬草園(Chelsea Physic Garden)に出かけました。

さらにテムズ川のほうへ歩けば、チェイニーウォークと呼ばれる通りがあり

ロセッティやターナーが住んでいた家も立ち並ぶ美しい住宅街。 

クラブアップル
クラブアップル

この薬草園はロンドン最古で、設立は1600年代ですから長い歴史を持っています。 

植物園があるとは思えない静かな道沿いに、ひっそりと入り口があります。

大勢で押しかけないで、といわんばかりの狭い門、

まるで、都会の「秘密の花園」のような佇まいです。入場料は9.9ポンド(2000円位)ですから

多くの美術館や博物館が無料ということから見ると、ちょっと高めなのかも。

でもそうやって制限もされ、維持されているのでしょう。

白鳥の親子

 

6月24日 2年ぶりにロンドン到着。


この時期のイギリスの日没は21時半頃。

気温は低く風も冷たい。窓の下を流れるカナルには白鳥の親子、今年の赤ちゃんは1羽だけ。ちょっと淋しいね。

通る人はみんな立ち止まって見てる。


これは何年前の夏だったかしら。

この年の赤ちゃんは3羽いる。

心なしか、元気に見える。


「みにくいあひるのこ」のお話は知ってても

本当に灰色の赤ちゃんを見るまでは

実感がなかった。あゝ、本当に灰色なんだ。

でも醜いとは思わない。ちゃんと白鳥のかたちしてるし。今夜は早く眠ろう。明日からは動きます。

雲の上

 

雲の上で仕事をする人は

こんな風景を、日常的に見てるのかと、

飛行機に乗るたびに感心します。

 

そりゃあ、世界観が変わる。

変わらなきゃ、嘘だよね。

 

 

雲の海に怖気づき

泣きたくなるような空の青。

 

光、夕焼、虹、天使の梯子

様々な表情を見せる雲の上の世界。

 

日常に埋没する日々から

 

頭を少し雲の上に出してみる。

ロンドンから羽田へ、

時空を超える空の旅。

器は移動できても、

「私」はなかなか追いつけない。

 

朝方、暗いうちに、目が覚めると

そこは、2週間近く滞在した

娘のフラットじゃなかった。

 

私、いったいどこにいる!?(真剣に慌てる)

 

おそるおそる身体を起こし

部屋を見回す。同じ形のドアが二つ。

どのドアを開けるべきか、しばし悩む。

思い切って一つの扉を開けると、

廊下の向こうに、見覚えのある絵が…

 

あの絵、うちに飾ってあったのに

なぜここにあるの?

 

あら、私、寝ぼけてた(笑)

それにしても、

こんなに自分がバラバラになった感じは初めて。

今日は私の誕生日。なんて愉快な誕生日。 




アガサ・クリスティーを訪ねる旅

そして誰もいなくなった

ロンドンにいる娘に、1年に1回だけ、会いに行きます。

去年は仕事の都合で、彼女がNYにいたため、イギリスではなく

アメリカに行きましたが、今年はロンドンに戻ったこともあり、

加えて、かねてからの計画通り、バッチのプラクティショナー仲間と

バッチセンターを訪ねるツアーに参加することもあって

イギリスの旅のあれこれを考えています。

 

この画像は2年前の7月、アガサ・クリスティーのミステリーをテーマに

デボン州を訪ねた時のもの。「そして誰もいなくなった」の舞台となったバー島です。

ダートムアを出た時には見事な快晴だったのに、バー島に近づくにつれ、

濃い霧に包まれてしまい、まさしくミステリアス!!!

一気に気温も下がり、もうそれだけで十分怖かった。

バーアイランド・ホテルの門のところにある木は

強い風に傾いて不気味な形をし、海鳥が飛び交う断崖絶壁も予想以上の高さでした。

私は決して怖いもの好きじゃないけれど、なぜかクリスティーは好き。

というわけで、

また機会があったらクリスティーゆかりの場所を訪ねたいと思っていました。

 

今回、バッチセンター周辺を調べていたら...

な、なんと、

バッチセンターのあるソットウェルは

クリスティーが40代から亡くなるまで住んでいた

ウォリングフォードではないですか。

 

セントメアリー教会の墓地には、2番目の夫とともに

今もクリスティーが眠るお墓もあるのです。

 

何という偶然!!

 

エドワード・バッチは1886年生まれ

アガサ・クリスティーは1890年生まれで、4歳違いということは

同じ時代を生きていた人というわけです。

 

アガサ・クリスティーがウォリングフォードにウィンターブルック・ハウスを

購入したのは、奇しくも1934年の暮れ。

バッチ博士がソットウェルに居を定めたのも、同じ年!!

ということは、よもや、お二人さん、すれ違ったりはしていませんか?

 

ウォリングフォードは、バッチ博士が愛した

テムズ川流域の古く美しい町です。

http://www.wallingford.co.uk/

 

アガサ・クリスティを訪ねる旅(2) 

アガサ・クリスティーを訪ねる旅(3)

 

 

バッチ博士が住んだ家

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

かなりのミーハーを自認している私ですが、まさしくその通りです。住所を辿って訪ねたのは、1917年、バッチ博士31歳、ロンドン、ユニバーシティカレッジ病院で激務に追われていた頃の住まい Canonbury Square 42

 

当時のままかどうかは分かりませんが、目の前は小さな公園、木立の向こうに見える黒い扉がバッチのかつての住まい。扉の番号を確かめて公園からパチリ。

 

今からちょうど100年前、この家からバッチ博士は病院に通っていたことになります。1917年といえば、最初の妻、グィンドリンが亡くなり、バッチ博士は間もなくキティ・ライトと再婚します。

 

メゾニックホール内部

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

再婚後、居を移したのはこちら。瀟洒な住宅街、89 Calabria Rd です。前の家と同様、イズリントン地区ではありますけれど、半マイルほど北にあたり、病院から遠くなります。

 

バッチ博士、忙しいのに遠くなって大丈夫?

この転居から2か月後、バッチは生死をさまようことになるのですが...。

 

こちらも黒い扉、左側の家です。家を見ていると中から人が出てきました。慌てて何気ない素振りをする自分が可笑しい。

 

同じ並びの、数件離れた家では改築の真っ最中。外観は全く変わらず、中身だけごっそり取りかえです。日本では家の寿命は短く、同じ土地に住んでいても新築~つまり人は変わらず、家が変わりますが、ここイギリスでは、家は変わらず人が入れ代わるというわけです。とても美しい住宅街ですが、これらの建物はすべて100年以上前からあったということですものね。

 

念願のバッチ博士のロンドンの家も制覇(?)しました。2017年の夏、バッチ三昧の旅もそろそろ終わりです。

バッチ博士がキティと住んでいた家
カラブリア通り イズリントン

アガサ・クリスティの終の家

アガサ・クリスティの終の棲家、ウォリングフォードのウィンターブルックハウス 

聖書とシェークスピアの次に、世界中で愛読されているといわれる、ミステリーの女王アガサ・クリスティが、85歳の生涯を閉じたのは、ウォリングフォードの中心部から少しはずれたところにある、ウィンターブルック・ハウスでした。引っ越し大好き、数多くの家を同時に所有したクリスティですが、この家につけられたブループラークには、はっきりと「lived here1934-76」と記されています。

メゾニックホール内部

ウォリングフォードの町のサイトには、アガサ・クリスティが、町の名士みたいな感じで、誇らしく紹介されています。素敵なサイトだから見てみてね。バッチ博士も、ノラ・ウィークスと、この町にしばらく住んでいたようです。ノラが、とことこ隣村のソットウェルまで散歩に行って、その後、移り住むことになるマウントバーノンを見つけたのだとか。ノラさん、かなりの健脚ですね~

 

https://www.wallingford.co.uk/home

サイト内のVsterをクリックすると、アガサ・クリスティのページがあり、そこをまた入っていったら、なんと只今、9月8日から10日まで「アガサ・クリスティ ウィークエンド2017」を開催中とのこと。そう聞いても、行けないけど。

ウィンターブルック・ハウスで寛ぐアガサ・クリスティとマックス・マローワン 

かの有名な失踪事件の2年後、クリスティは14歳年下の考古学者マックス・マローワンと出会い再婚します。その後、ウォリングフォードに家を買ったのは、ロンドンにも出やすく、マックスがオックスフォードに通うにも便利、レディングまで出れば、ダートマスのグリーンウェイ・ハウスにも行きやすかったということだったのでしょう。それにしても、アガサ、あなたはもうこんなおばあちゃんだったのね


バッチとフリーメイソン

エドワード・バッチ博士がフラワーレメディのシステムを完成させた翌年の1936年、ウォリングフォードのメゾニックホールで催したフラワーレメディについての一般講演の記録が残っています。

 

私がまだBIEPの受講生だったころ、バッチ博士がフリーメイソンだったことを知って、少し驚きました。というのも、フリーメイソンって、なんだか怪しい秘密結社であるかのような印象があるでしょう。

 

でも、かのゲーテやシラー、モーツァルトやハイドンなど、名だたる芸術家をはじめ、米国歴代大統領など多くの著名人もメンバーだったことは知られていますし、ボーイスカウトとのつながりなどからは、健全な慈善団体という印象も受けます。

 

そもそも、中世から存在するフリーメイソンは「自由な石工」を意味し、大聖堂や城壁を設計、建築する人々の集まり、石工の職人組合だったことに端を発するといわれています。(諸説あり)それが、年月を経るうちに、王侯貴族や知識人が参加するようになり、中・上流階級のクラブ、社交の場、精神修行の場、友愛組織へと変化していったようです。

 

フリーメイソンの基本理念は、自由、平等、友愛、寛容、人道の5つ、「すべての人が同意することのできる宗教」に従って「真実で善良な人間」になることが求められている(吉村正和『フリーメイソン』講談社現代新書)と書かれています。 

フリーメイソン メゾニックホール

ウォリングフォード、メゾニックホール入口

メゾニックホール内部

ホール内部


 

バッチ博士がフリーメイソンに入会したのは1918年、第一次世界大戦も終わりに近づいた32歳の時でした。その前年、彼は大きな試練に見舞われます。妻の死、再婚、そして病に倒れ手術、余命3カ月と宣告を受けます。ところが、人生の仕事に邁進するうちに不死鳥の如く甦り健康を取り戻していきます。そうした経験とフリーメイソン入会とは、何か関係があるのでしょうか。

 

一人の人間として、バッチが抱えていた葛藤なども含め、バッチ博士の著書『汝自身を癒せ』の中に描かれている世界観や健康観を貫いている、古代と近代、神秘と科学、見えない世界と見える世界をつなぐホリスティックな視点が、バッチ博士の人生を辿るうちに、さらに浮かび上がってくるようです。

 

講演をしたのは、儀式をするホールではなく、おそらくこちらでしょう、と案内してくれたのが、右のホールです。舞台の青い幕を開けるとフリーメイソンのコンパスとマークが大きく描かれていました。しかも、このホールではバッチ博士ばかりか、この近所に住んでいたアガサ・クリスティが、作品の上演をしたのだとか。5分も歩けば家があるよ、という言葉に大興奮→クリスティの家

 

今も昔も、こういったホールは人が集まる場所。フリーメイソンのセンターが今やバランスボールのエクササイズの会場だなんて。

ウォリングフォード メゾニックセンター外観

バッチ三昧の旅5

バッチセンター2017

 私が初めてバッチセンターを訪れたのは、2007年の初秋のこと。当時、ストラウドに住んでいた二女と一緒でした。その静謐な佇まいは、それまで訪れたどの場所も霞むほどの衝撃を受けました。

 

 あれから何度訪ねたことでしょう。今では日本からのバッチセンターツアーに合わせ、東海や関西の仲間たちと、またロンドン在住の長女(バッチセンターでBFRP取得)とともに、2年毎に訪れるのが恒例となりました。


 毎回、ほぼ同時期に来ていますが。年毎に気温も違えば、微妙に花の時期もずれ、前回は満開だったのに、今回は少しだけとか、その反対のこともあります。確かこの辺に咲いていたはずなのに、全く違うところから出ていたりなどなど。

 2年前、ガーデナーが変ったばかりの庭は、意気消沈して見えましたが、今回はすっかり息を吹き返し、植物は驚くほど元気で丈高くなっていました。建物の奥にあるアスペンの木の前で。現在のガーデナー、アランさんのガーデンツアー。


 

バッチフラワーの学びの中で、欠かせないのはバッチ博士の宇宙観、人間観。1930年代、この場所でバッチ博士は、人間の心身の健康について思いを巡らし、フラワーレメディのシステムを完成させました。ここにいると「場」の力というものを感じないではおれません。知識や頭ではなく、感覚、さらにもっと奥深い精神性が見える形となって、この場に息づいていることをすべての人に味わってほしいと願っています。

 

 


あわせて読もう2年前のバッチセンターツアー

バッチセンター2015 バッチセンター2015の2

バッチ三昧の旅4

クリックハウエル界隈

ウェールズ2日目、見事に晴れました。清々しい風が川面を渡っていきます。見どころはいろいろあるものの、残された時間はわずか。タウンセンターのそばにある古城と、ミムラスがあったと記述があるクリックハウエルハイスクールのグランドを探してみます。

ハイスクールから、St.Edmund's Churchの塔を見る

木立に隠れて見えないけれど、眼下にはアスク川

クリックハウエルハイスクールは私立校ではなく、公立校です。ぐるりを山に囲まれて、こんな素晴らしい環境の中にあるなんて、なんと贅沢・・・。ここは国立公園ブリコン・ビーコンズの中に立地しているのですから景色がいいのは当たり前でした。

 

このあとは、クリックハウエル城へ。ドラゴン・インでサンデーランチを食べたら、ウェールズともさようならです。また来られるかな。

クリックハウエルキャッスル

一部を残すのみとなっている、クリックハウエルキャッスル。周辺にはワイルドフラワーガーデン、グラウンドやのどかな公園となっています。

古城の城砦の一部が通りの中に。

通りの名前はタワーストリート

タワーストリートにほど近いドラゴン・イン

ガーデン最高!お料理もおいしくてお値打ち。



あわせて読もう1年前のウェールズの旅 

バッチ三昧の旅3

オークの木の下で

前回訪れた時、アスク川の対岸には入れませんでした。

遠目に、あの大きな木はなんだろう、と思っても

近づいて見ることができません。

ところが、幸運にも、今回はイベント会場の駐車場として

門が大きく開かれていました。

 

ヤッタァ~巨樹に向かって走り出したものの、

ゲッ! 気づけば足元は馬の糞だらけ!

草か糞かというほどの凄さです(苦笑)

 

こんなことで怯んでなるものか、顔を上げて走る私!

 綺麗な芝生に見えますが、実は糞まるけ。

それにしても、樹形が見えるっていいなあ。

日本では木が多すぎて樹形が見えないのが普通ですから。

―あの木は、オークでした―

立派な木には、称賛の言葉をかけよう。

なんて堂々としているの。素晴らしい。

聞かせてください。これまで何を見てきたのか。



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バッチ三昧の旅2

インパチエンス、見つけた!

アスク川のほとりへ

ウェールズ語らしいホテルの名前が発音できませんが

このリバーサイドレストランは、

アバガベニーとクリックハウエルの中間に位置し

移動に車がないと少々不便。

ハードネゴシエーターの我がツアコン娘は

どんどん交渉し、時間も金額も思いのまま。

 

チェックイン前だけど、部屋に案内され、荷物を置くと

私たちは再び7人乗りのタクシーを駆って

クリックハウエルのセンターへ。

 

インフォメーションセンターで地図をもらい、

てくてく歩いて川まで下ること10分足らず。

途中の生垣にクレマチスを見つけ、洒落た窓辺や

ドアを彩る薔薇や藤に歓声を上げながらやってきました

アスク川。

ここまで来ると、昨年、途中まで登って恐怖を味わった

テーブルマウンテンがすぐ近くに見えますが

騙されちゃいけない、目の錯覚です。

 

ウェールズで最古の石橋の上を車がどんどん通ります。

計算外だったのは、河岸の広場がイベント会場に!?

物珍しそうな視線を浴びつつ、7人の小人たち

(いや大人ですが)は、並んで川岸に沿って進みます。


 

ドキドキ ない? ない? 

あっ、あった~!!

光る水面に照り映えてインパチエンスが、

あちこちいっぱい、咲いているではありませんか。

あ~うれしい。

濃いピンクのインパチエンスに混じって

バッチフラワーレメディに使われているという

優しい藤色のインパチエンスも咲いています。

向こう岸にも、沼地の小道にも、

あ~~神様、ありがとう。


 

野生のインパチエンスは、これまでイギリスでは何度か見かけました。

デボンやコッツウォルズの小川のそばで、いずれも水辺に群生していて狂喜乱舞したものです。

けれど、このアスク川の岸辺に咲くインパチエンスは、私たちBFRPにとっては特別です。

何といっても、この場所で、このインパチエンスたちの先祖(?)が

インスピレーションとなったかもしれないのですから。


あわせて読もう1年前のウェールズの旅 

バッチ三昧の旅1

ウェールズ再び

ロンドンからアバガベニーへ

1年前、アバガベニー(Abergavenny)へ向かった日は

EU離脱の可否を問う投票日で、イギリスは異様な興奮に包まれていました。あれから1年後、今もテロや火災などの渦中から抜け切れていないイギリスですが、今年も同じ季節に訪れることになりました。

 

南ウェールズ、アバガベニーからクリックハウエルを

流れるアスク川の畔は、かつてバッチ博士が何度も訪ね、バッチフラワーの源泉になった場所です。

 

エドワード・バッチの『オリジナルライティング』の中に挿入されているノラ・ウィークスのスケッチには、アスク川の岸辺、クリックハウエル橋のあたりにインパチエンスやミムラスの咲いている場所が描かれており、昨年その場所をしっかりと歩いているにも関わらず、その気配を感じられなかった私としては、今度はもうちょっと違う季節に来よう、と思っていたのでした。

 

けれど、今年は2年毎に催されているバッチセンターツアーの年、東海からも関西からも知った顔がイギリス・バッチセンターに集います。この機を逃してはみんなとウェールズに行くことは叶いません。昨年より10日ほど遅く、しかも今年のイギリスは暑い、きっと開花期を迎えているに違いない!

 

そう念じて、BFRP東海勢と関西勢、ツアコン役の長女に私の7人で野生のインパチエンスを見ようと、渡英2日目の早朝、ロンドン・パディントン駅に7人が集合、顔合わせもそこそこに、電車は西へ西へとひた走る。

 

ニューポートで乗り換えて約30分、アバガベニー到着。

とりあえず今夜の宿へ向かいましょう。

バス停で待つこと20分遅れ、

コトコトコト、バスがやってきました。

まもなくバスの窓外は、Brecon Beacons 国立公園らしい

壮大な風景が広がっています。

 

バスの運転手さんが、急にこちらに声をかけました。

どこのホテル? 長女が名前を告げて、しばらくすると、

ここで降りるといいよ、とバス停でもないところで

停まってくれました。

笑顔のお礼で、ぞろぞろ降りる私たち。

 

わ~~い!眼下にアスク川! 山並みの広がり!

リバービューの可愛いお部屋。興奮度数マックス!!!

 

何といっても素晴らしい眺め。レストランも美味しい。

昨年泊まったBears より、私はずっと気に入りました。

おまけに安い。

Llanwenarth Hotel & Riverside Restaurant

 

但しこの時のバス以外、移動はすべてタクシー

しかも7人乗りが確保できて、交通費も割安。

この辺りの交渉は、やはり優秀なツアコン(?)娘の

存在があって可能だったかも。つづく

アバゲベニー駅
窓の外に広がる壮大なウェールズの風景
ホテルの窓からの風景
Llanwenarth Hotel & Riverside Restaurant
Llanwenarth Hotel & Riverside Restaurant

あわせて読もう1年前のウェールズの旅 

アガサ・クリスティーを訪ねる旅(3)

トーキィー アガサの生まれ故郷

先月、ミス・マープルのセントメアリーミード村はどこに?ということで、その候補の一つとしてあげられている「妖精の住む村、コッキントン」について書きましたが、そこへ向かうバスが出ているのが「イギリスのリヴィエラ」と称される海辺の町、トーキィーです。

 

トー(tor)は とがった岩山、キィー(quay)は波止場、河岸のことで、アガサは、アメリカ人の資産家の父と、その義理の従妹にあたるイギリス人の母の間の第三子として誕生します。引っ越し好きで家を買うのが大好きだったアガサですが、トーキィーにある「アッシュフィールド」と名付けられたその家を、生涯を通して「我が家」と呼んだそうです。

 

「スリーピング・マーダー」、「エンドハウスの怪事件」、「書斎の死体」などで登場する、インペリアル・ホテルは、海を見下ろす小高い丘の上にあり、だらだら続く長い坂道を登っていくと、眼下に広がる海がキラキラと光り、行き交う船も美しく、いかにもリゾートという感じがします。インペリアルホテル(作中ではマジェスティックホテル)のバルコニーのテーブルで、ミス・マープル、またはポアロとヘイスティングの気分で、海を見ながら、優雅なランチタイムです。

アガサ・クリスティゆかりの場所につけられているアガサ・マイル

 

アガサ・クリスティーを訪ねる旅(2)

ミス・マープルの住む村?

バッチホリスティック研究会では、2年毎にプラクティショナーを対象にバッチセンターツアーが行われています。私は今年も参加予定です。これまで何度か個人的にも訪れていますけれど、なんといってもこのツアーのいいところは、バッチセンターのレクチャールームでジュディ・ハワードさんやステファン・ボールさんと親しくお話ができ、実際にガーデンを歩きながら、植物やレメディのお話が聞けること。バッチも通ったパブ、レッドライオンで食事をしたり、お墓参りをしたり、最後に講演をした隣町にあるメゾニックホールを訪ねたり、とお馴染みのコースでも、やはり毎回違う印象を受けて楽しめます。

 

ソットウェルの隣町は、ご存知アガサ・クリスティが最晩年を過ごしたウォリングフォードです。2年前にバッチセンターを訪ねた際もここのB&Bに泊ったので、ぜひ、クリスティの家を訪ねようと計画を練っていたのですが、実行に及ばず。今度こそ、彼女の終の棲家ウィンターブルック・ハウスを覗いてみたいなあと密かに思案中。

 

以前、デボンを訪ねた際、どうしても行ってみたいと思っていたところに「コッキントン村」があります。アガサ・クリスティのミステリーに登場する主人公にはエルキュール・ポアロとミス・マープルがいますが、この村は、ミス・マープルが住むセント・メアリー・ミード村のモデル候補の一つになっているところだとか。トーキーの海沿いのバス停で、直通のバスに乗ると、あっという間に両側から生い茂る緑のトンネルの中に迷い込み、パッと開けたら別世界。そこはおとぎの国です。イギリスの村々は、だいたいどこもかしこも美しいのですが、なかでもここ、コッキントン村は「超」を10個くらいつけたくなるほど素敵です。

 

下の画像を見てください。可愛いでしょう。ずっと時が止まっていたかのような、妖精の国に迷い込んだみたいな錯覚にめまいが起きそうです。 大きなお屋敷は、コッキントンコート、アガサの幼少時代には村の領主のお屋敷だったとか。中に入るとクラフトセンターやギャラリーになっています。日陰でアイスクリームを食べ、素敵なカードを買いました。かやぶき屋根の家々、大きな樹木、11世紀に建てられたという古いコッキントン教会。スィートチェストナットやオークの巨木もあり、歩いているだけで胸の奥まできれいな空気に満たされそう。平井杏子著「アガサ・クリスティを訪ねる旅」がなかったらこの場所には来れませんでした。お目にかかったことはないですが、平井さんにはよくぞ書いてくださったと感謝、感謝。

 

このコッキントン村を偲ばせる作品として

平井さんは「牧師館の殺人」、「鏡は横にひび割れて」「動く指」などを挙げています。

読みたくなっちゃいますね。またトーキーや、ダートムア―に関しても書いてみたいです。

関連ブログ アガサ・クリスティーを訪ねる旅 

 

伊雑宮から横山展望台へ

 

朝早く出てきたおかげで、たっぷり時間を過ごしたはずなのにまだ1時過ぎ。このまま帰るのも惜しいので、伊勢道路から志摩方面に抜けて、別宮、伊雑宮まで足を延ばすことに。伊勢道路は志摩に抜ける近道ですが、結構くねくねと曲っており、事故を起こさないように注意深く走る必要があります。道の途中、恵利原には、天岩戸という風穴があり(以前は、湧き水を汲みに行ったことも)海に向かって走るといつも思うのですが、なんだか明るいのです。167号線から鳥羽方面に向かってあっという間に到着です。

 

森の中にひっそりと建つ伊雑宮(いざわのみや)。こじんまりしていますが、毎年6月に執り行われる「御田植式」は、日本三大田植祭のひとつに数えられています。TVでしか見たことはないものの、古式豊かで華やかなお田植えの祭式を実際に見てみたいものです。その折には、この別宮も人で溢れることでしょう。

伊雑宮
皇大神宮 別宮 伊雑宮
伊勢志摩 横山展望台

ここまで来たら、旅の終わりにふさわしい、横山展望台は目と鼻の先です。昨年開かれたG7伊勢志摩サミットの会場となった賢島も、この展望台から臨めます。リアス式海岸と真珠筏の織り成す美しさ、初めてこの場所を訪れた時は、言葉を失いました。

 

午後から雲が出てきました。海の色と空の色は呼応し合って鈍い灰色に。それでも時が止まったような静けさに胸を打たれます。この風景を目の奥に焼き付けて、名古屋へ戻りましょう。

伊勢志摩 横山展望台

いざ内宮へ

 

地域的に内宮は、実家から、少し距離がありましたから、外宮ほど頻繁に行くわけではありませんでした。けれど、他所から人が来ると、やはりスケールを誇る内宮を案内しないわけにはいきません。というわけで、私にとって内宮は、ちょっとよそ行きです。

 

今日は平日のまだ早朝、お正月や週末のような混雑もなく、楽々と目の前の駐車場に停めることができました。よかった!

 

さあ、宇治橋を渡りましょう。柔らかな感触の木の橋は、歩く音さえ吸い込まれていくようです。

神苑に入れば、遠くのびやかに森が広がる様子に、思わず深く息を吸い込みます。

 

五十鈴川御手洗の清流を眺めた後、玉砂利を踏みしめ厳かな気分で正殿へ。

皇大神宮 内宮 正殿
内宮 宇治橋

冬至には宇治橋の大鳥居の真正面から日の出が…

猿田彦神社 方位石=古殿地

この橋を渡れば非日常の世界


おはらい町とヤドリギ

 

私が小学校の頃、学校へ通う道の「ほとす川」の縁にはヤドリギをつけた木が何本も生えていました。

子ども心にヤドリギって、なんだか不思議、と思いつつ、当たり前のように見てきたのですが、アントロポゾフィー医学では、がんの治療にヤドリギ製剤を使うことを知ってからは、ヤドリギに出会う機会があまりないことを残念に思っていました。

 

ところが数年前、内宮にお参りした後、おはらい町にある赤福の店の川の向い側に、たくさんのヤドリギをつけた木が生えているのを見て、びっくり。

 

伊勢ってヤドリギが多いのかしら。だから今回も楽しみにしてきたのです。ほら、こんなに。

皇大神宮 内宮 正殿
内宮周辺
おはらい町 赤福

そろそろお昼時。それなら「すし九」で、てこねずしでしょ。これまで、家族と何回も来ていますが、お向かいで相席になった老年のご夫婦はやっぱり、地元の方。そう、地元の人が来るお店は美味しいと決まっています。「いつもは並ばなきゃいけないのに、今日は空いていて、あなた方、ラッキーですよ」とのこと。

 

お腹が一杯なのに「赤福」の前は素通りできません。香り高いほうじ茶と一緒にいただく、出来立ての赤福餅は格別です。おかげ横丁に入り、お土産に私の好きな「糸印煎餅」や海産物を購入し、ひろこさんは「豚捨」で伊勢肉を奮発!

店内で赤福の実演も見られます。美味しさ倍増

猿田彦さん

 

同行のひろこさんが、

猿田彦神社は絶対外せないということから、

やってきました。猿田彦さん。

 

この大神さまは

ものごとの最初に現れ、万事よい方向へ

「おみちびき」になるのだそうで

建築、方除け、災難除け、開運、事業発展、五穀豊穣、大漁満足など、みちひらきの御神徳で知られていると、案内書に書かれています。

 

なるほど、そういえばオレンジ色の猿田彦の交通安全のお札をつけた車を時折見かけます。

 

拝殿の正面に昔の神殿跡を印し、方角を刻んだ八角の石柱がありました。みちひらきの力がいただけると、みんな触っています。猿田彦さんには、至るところに八角形があるとのこと。へえ~そうなんだ。初めて知ったことばかり。

 

実は、ここを訪れたのは、もう40年以上前のこと。

それっきり、来なかったには、わけがあります。

 

まだ20代前半の頃、

1つ上の仲良しの従姉の結婚式がここでありました。

角隠しに正装の従姉の綺麗だったこと。

花嫁の控室で、従姉と盛り上がっていた私でしたが

いざお式が始まる段になって

「私の席はない」ということでした。

 

今なら、勿論、諸事情が分かりますが、

当時の私は、あまりのおバカさんだったので、

がっかりを飛び越え、泣きだしてしまいました。

「おめでたい席で涙なんて」と母の叱責を受け

思わず飛び出した私…その愚かしさ、

自分でも信じられません。

 

今も思い出すたび、胸が痛みます。

 

ごめんなさい、ごめんなさい

というしかありません。

猿田彦神社

みちひらきの大神 猿田彦神社

猿田彦神社 方位石=古殿地

八角形の石柱の回りには人だかり

佐瑠女神社はあめのうずめのみことが御祭神

あめのうずめのみことが御祭神の佐瑠女神社は、芸能の神様とのこと。なるほど華やか!!

 

次は内宮へ

 

 


伊勢は私の故郷

 

私は伊勢で生まれ育ったから、多分、富士山の麓や、京都などの観光地生まれの人も同じだと思うのですが、当たり前のところにいると、外から見るほど、ありがたみを感じることもなく、大人になって、いいね、と言われて初めて故郷を誇らしく思うようになりました。

 

でも、高校の頃、学校帰りに友人たちとよく歩いた

外宮の梅林は駐車場になり、勾玉池周辺は整備され、

綺麗になったものの、あの頃の佇まいは薄れ、

私の記憶の中の「外宮さん」とは少し違います。

(鳥居から一歩入れば、今も昔と同じ別世界ですが)

 

実家から外宮は徒歩圏内だったし

当時、高校も外宮のすぐそばだったから、

(今では高台に移転してしまったけれど)

外宮は私にとって、普段着の馴染み深い場所でした。

 

とはいえ、親が老いてからの伊勢は介護一色。

7年の間、数えきれないほど、伊勢と名古屋を

往復しましたが、伊勢だからといって

その地を楽しむ気持ちに到底なれませんでした。

そのあいだも、そのあとも。

 

外宮、内宮をはじめ、市内に点在する別宮の月夜見宮、月讀宮、倭姫、また遙宮の瀧原宮、伊雑宮等々、家族で、また友人たちと訪れたこと、そして、折々に遊んだ従姉妹たちのことが偲ばれます。

 

久しぶりだし、今年は

新しいまなざしでわが故郷を眺めてみようかな。

 

近年の遷宮やパワースポットブームなどで

伊勢神宮の人気は急上昇、 

下の画像は「三つ石」

外宮のパワースポットで有名です。

誰もいなかったので、大急ぎでパチリ。

人が来ては皆、手をかざしていきます。

う~む、あったかい!?

外宮 三つ石
パワースポット 外宮
クロイツでのバッチ国際教育プログラム

朝日が差し込む手水舎、せんぐう館の向こうには勾玉池

同行のひろこさん、御正宮ど真ん中に収まってます

伊勢神宮外宮 別宮多賀宮

別宮 多賀宮

1のつく日の朝には、神馬見参に出会えるかも

 

 


ウェールズ~5

狭いと怖い、広くても怖い

行きも帰りも

草の生い茂る道なき道を、かき分けかき分け登ったところは、まだまだ中腹。ちょっと一息つきましょうと、周りを見渡せば、ヒルトップから流れてきたらしい清冽な湧き水。ここでもワイルドローズがいっぱい咲いています。

気持ちいい~~~~!!思わず万歳をしたくなるのはなぜ?

 

花はまだ咲いていませんがアグリモニーも、そしてホリーもたくさんありました。もうちょっと歩いてみようか、と言っても、道はもうありません。ただただ草むらを風の通り道に従って上るのみ。オークの林の手前に、まるで拒絶するかのように高い柵が・・・めげずによじ登り、しばらく歩いていると、雨がぽつぽつ落ちてきます。さっき大喜びで写真を撮り合った時に姿を現していた大きな黒雲が、みるみる広がり、雷も聞こえてきました。狭い道も怖かったけど、広いところはもっと怖い。二人とも急に恐怖にかられ、帰ろうと意見が一致。さっきの道を通るのは憂鬱だけど、でもそれが一番安全。ということで、致し方なくまたしても柵をよじ登り、草原を突っ切り、ワイルドローズに別れを告げて、再び叢に閉ざされた道なき道、しかも今度は下り坂。顔も身体も、ビシバシと草や枝に叩かれながら、それでも何とか麓に到達できました。あゝ、ほんと恐かった。ネトルにやられたらしく、肘のあたりがピリピリしびれています。 

道なき道を上ぼりきると、広々と開けた草原、風に吹かれて私は凧~~思わず歓喜のポーズ!

クリックハウエル ドラゴンインで

雨に濡れながらクリックハウエルへ、身体も冷えてしまってまずは熱い紅茶を一杯。パラソル越しにテーブルマウンテンが見えます。あんな遠いところまで、私たち行ったんだね。但し途中までだけど(^^ゞ

昨日も食事をしたドラゴンインは私たちが泊まったベアースからもすぐ近く。見晴らしのいいガーデンがあって宿泊もできるみたい。日本にいる時よりずっと紅茶が美味しいのはやはり水が違うからかしら


ウェールズの旅

ウェールズ~4

テーブルマウンテンへ

バッチ博士の軌跡

エドワード・バッチは1928年9月、のちにバッチフラワーと呼ばれることになる植物のまずは3種類、インパチエンス、ミムラス、クレマチスを、アバガベニ―とクリックハウエルの間を流れるアスク川のほとりで見つけました。当時、バッチ博士は、すでにバッチの七大ノソードと呼ばれる経口ワクチンを発見、その効果は絶大で、彼の名はイギリス国内だけでなく、アメリカをはじめ海外にまで轟き、彼の研究所には世界中の医師から標本が送られていたようです。けれどバッチ博士は、七大バクテリアに代る野草を見つけたいと考えていました。ウェールズヘの旅は、人々の健康を願うバッチにとって、やむにやまれる思いに駆り立てられたものだったのです。

 

今回のウェールズの旅は、バッチゆかりのアスク川周辺を歩くこと、もちろんレメディの植物と出会いたい期待はあるものの、事前の準備も中途半端でちょっと衝動的でした。どこへ行こうかと、クリックハウエルのインフォメーションに入ると、案内の女性は興味津々で何人か?と聞いてきます。日本人だというと、急に目を輝かせてここに始めてきた日本人だと言われ(そんなはずはない、と思いながらも)記念にノートに日本語で名前を書いてきました。

 

その彼女のおすすめはテーブルマウンテン。ここなら軽装備でも大丈夫、道には植物がたくさんあってラブリーとのこと。バッチはこの周辺でヘザーとロックウォーターも見つけています。それはひょっとすると、テーブルマウンテン辺りだったかも!? と、その気になって、1ポンドで地図を買うと、勇ましく歩きはじめました。フットパスの道しるべ、清らかな流れ、牧場、あちこちの花を眺めながら最初は調子よかったのですが、草が覆い繁って道はなくなる、前が見えないほどの植物で、これ、本当に道?これで大丈夫?と不安になりながら、坂道を登ること1時間。やっと広々とした草原に出た時には、心底ほっとしました。汗びっしょり。ふ~こわかった・・・ 

振りむけば、眼下にはクリックハウエルの町。思わず歓声をあげました。吹き抜ける風が気持ちいい!!

アスク川へ降りていく道で見つけたクレマチス。「おじいさんのあごひげ」と呼ばれるとおり、花が終わった後に出てくる種子の綿毛部分

FOOTPATH TO TABLE MOUNTAIN と書かれた標識。この矢印に従って歩いたのですが・・・

右端の大きな木はワイルドローズ。沢山花をつけていました。こんな大きなワイルドローズの木は初めてです

ワイルドローズの木の脇に小さな石段があり、それを乗り越えると草原に出ます。さやさやと風に揺れる草、バターカップの黄色い花、秋の終わりには、アグリモニーやヘザーも咲くことでしょう。ところどころにある大きな木はオーク。

それにしても、もうヒルトップだと思っていたのに、テーブルマウンテンの頂上は、まだまだ先(涙)


ウェールズの旅 ・*・

ウェールズ~3

アスク川周辺

クリックハウエル橋

ホテルに荷物を置いて、お店が立ち並ぶハイストリートを

抜けると道はなだらかに下りはじめ、

ブリッジストリートに入ると急坂になって橋に出ます。

クリックハウエル橋は、ウェールズで最も長い石橋なんだそうです。今はその上を車がびゅんびゅんは知っています。一方から見ると橋梁のアーチは13なのに、もう一方から見ると12しかない、というのが特徴らしい。

 

アスク川の水は茶色に濁っていますが、悠々と白鳥が一羽

川沿いの道はオークやウィロー、アスペンがのびやかに枝を伸ばしています。けれど、バッチが見つけたという、ミムラスやインパチエンスの姿は見当たりません。やはり、あの頃の清明な流れは失われたのでしょう。それでも川べりの草むらには、ワイルドローズやバターカップ、アンジェリカなどが咲き乱れていました。


ウェールズの旅 ・*・

ウェールズ~2

クリックハウエルへ

アバガベニーからクリックハウエルへ

 

アバガベニー(Abergavenny)のタウンセンターのバスターミナルから、クリックハウエルにはバスを利用。

近くに教会の塔が見えます。ゆっくり過ぎてゆく時間。バスを待つ人の中には子ども連れもいますが断然、高齢者が多い。

この人たち、もう投票行ったかなあ。

どっち入れたと思う?(長女との会話)

絶対、離脱派だよね。ここはウェールズ

まわりはほぼ白人です。

 

数十分遅れでも、当たり前のように何の断りもなく、やっと来たバスに乗り込むと、アバガベニーのメインロードを抜けて美しい緑の中を走り抜けます。道はぐんぐん上ってクリックハウエルに到着。

 

なぜここに?

1928年、アバガベニーからクリックハウエルを流れるアスク川沿いで、エドワード・バッチは初めて後にレメディとなる植物を見つけたとか。

 

ホテルに荷物を預け、身軽になったら

さっそく川に向かいましょう。

 

今夜の宿はホテルベアー1432年創立というからかなり古い。実は次女が数年前、このホテルに宿泊。美味しかったよ、という言葉につられたというわけです。

ロンドンを出る時は大雨だったのに、よく晴れました。今夜の宿です

ロンドンを出る時は大雨だったのに、よく晴れました。今夜の宿はホテルベアーです。

家並の間に、壁だけになった古城のタワーの一部が今も静かに建っています


ウェールズの旅 ・*・

ウェールズ~1

アバガベニーで出会った木々

ロンドンからアバガベニーへ

アバガベニー(Abergavenny)へ向かう朝は

夜中から稲妻に大雨、おりしもBrexitの投票日。

すでに大荒れの予感。

カナル沿いの道で、雨に濡れながら

「Remain」の貼紙をしている人がいました。

この地域は残留派が多いところです。

 

この雨では投票の足が鈍るかもね、

地下鉄エンジェルからキングスクロスで乗換え

パディントン駅へ。

 

ロンドンから西へ向かう鉄道はパディントンから。

昨年バッチセンターへ行った時も

その前年にデボンへ行った時も

パディントン駅を利用したことを思い出しました。

 

パディントンからニューポートまで約2時間

そこで乗り換えて約30分でアバガベニーへ。

 

いつからか、雨は止み、駅を降りると山が見えます。

イギリスでは山を見たことがなかったので、

やはりここはウェールズ!!

アバガベニーはBrecon Beacons 国立公園の

南東に位置し、ウェールズの山々への拠点の町

駅を背に、右の道からタウンへ歩きはじめると、

目の前に大きなセイヨウトチノキとオークが

並んで立っておりました。

思わず、オオッ!と叫んで近寄る私。

立派~でもこれはほんの序奏。

トチノキの木肌は日本トチノキと全然違う、というか

樹齢によるものなのかしら。

かつて、ロックウォーターの泉があったかもしれない

ホーリーウェル通りも歩いてみましたが、その気配なし。

残念... なかなか美しい家並みが続きます。

Sugar Loaf(596m)ブレコン・ビーコンズ国立公園
Sugar Loaf(596m)ブレコン・ビーコンズ国立公園
駅のすぐそばにこんな立派なオークの木
駅のすぐそばにこんな立派なオークの木

ウェールズの旅 ・*

カナルの住人

カナルいちの人気者は何といっても白鳥、今年は6羽も雛がかえり、道行く人は足を止めてカメラを構えます。白鳥用にパンを持ってくる人もいて、そうなると、水の上では嘴だけ白いクーツやカモ、小道には鳩にカラスに犬も集まってきて大騒動だ。

 

上空には時々カモメや大きなカナダがんも飛んできて

どうやら、白鳥のヒナを狙っているらしい。

愛らしいヒナたち
愛らしいヒナたち

 

ヒナはいつの間にか、3羽になりました。

首が大分伸びて、ちょっと白鳥らしくなっています。

 

お母さんの背中に乗っていた弱っちい子が

育ったなかったのか、それともカナダがんに奪われてしまったのか。こんなのどかなカナルの中でも

常に弱肉強食が繰り返されているのでしょう。

白鳥が怒ると、結構こわいです。

 


エンジェル・カナル周辺

 ヒースローから、電車を乗り継ぎ、地下鉄エンジェルに着いたのは夜の8時過ぎ。外へ出ると、午後3時くらいの明るさ。ロンドンの日没は9時半ごろ。空気はひんやり、風も心地よく気持ちがいい。1年ぶりのロンドン...。 長いフライトの後だから、身体を動かしたほうがいいね、とそのままゴロゴロとスーツケースを引いて、カナル沿いの道を、娘のフラットまで歩いていく。思ったほど歩きにくくない。

 家の窓には、REMAINの文字、イングランドの旗がなびいている。もうすぐ国民投票だもんね。そういえば夏至も近い。明るくて体内時計が狂いそう。明日からの予定は大まかに決めてあるけどまだ細かいことは全然調べていないし、とにかく眠い。今夜は早く眠ろう。

 

カナルボートが常駐する波止場。ロンドンプレイン(プラタナスの仲間)
カナルボートが常駐する波止場。ロンドンプレイン(プラタナスの仲間)
ノーザンライン・エンジェル駅のホームは広くて綺麗
ノーザンライン・エンジェル駅のホームは広くて綺麗
エンジェル駅から5分も歩けば、もうリージェンツカナル
エンジェル駅から5分も歩けば、もうリージェンツカナル

クローマーの家

クローマー英国教会

イギリス10日目 クローマーその2

 

鉄道のクローマー駅を降りて東へ10分ほど歩いていくいうちに、この教会の塔が見えてきます。


今回のイギリス滞在は、日本の真夏並みの暑さの中を、来る日も来る日も歩け歩けで、なかなかサバイバルでしたが、この日、私にとって、最もチャレンジングだったのは、この教会の塔の上までの階段を上ったことです。


古い石組みの異様に高い石段が300段以上続きます。もし踏み外しでもしたら事故になるのは必至ですから、文字通り必死の形相でしがみつくようにして上り切りました。人ひとりがやっと通れるくらいの、鍵のかかった小さな扉をあけ、やっとの思いで塔の上に出た時の安堵感ったら!

遥々と広がる北海、クローマーの町、背景の豊かな緑、それはそれは息をのむ光景です。

こわいけど一見の価値あり!! 


教会の隣は、クローマーミュージアムです。小さなミュージアムですが、

マンモスの骨などと一緒にバッチ博士のことも、ちゃんとパネルで紹介されており、

先ほど見たバッチの「冬の家」と共に、山側にある「夏の家」の住所も

ちゃんと記されていました。それを頼りに、再び歩け!歩け!!

 

セントメアリーロードのその家の前には、

大きな大きなホワイトチェストナットの木がありましたが

バッチ博士が、ここに住んでいた時には、ホワイトチェストナットは

まだレメディとしては見つけられていなかったのです。そう思うとちょっと不思議ですね。


ドアが見えているのが、バッチ博士の夏の家、寿命の短い日本の家と違って、イギリスは200年、300年なんて家はざら。この家も新しく見えますが、バッチ博士が住んでいたのは80年以上も前です。みんなでドアの傍まで行き、代わる代わる覗きこみました。ごめんなさい。


それにしても、こんな暑いイギリスは初めて。


ところで、クローマーは蟹が有名です。海辺のピアでも、何人も釣り糸を垂らして蟹を釣っていました。以前この町を訪れた「マウントバーノンの風」の鈴木さんから、蟹を食べた話を聞いていたので、みんなその気でいたのですが、いざレストランに入ってみると、イギリスの名物、フィッシュ&チップスを食べていないということで、結局、このように大きなフィッシュ&チップスを食べることになりました。ビールを使ってカラリと揚げてあり、なかなか美味。

お腹いっぱいになりました。

レスキューレメディが生まれた海

ロンドン シティ街

イギリス10日目 クローマーへ

 

翌日には帰国、というタイトなスケジュールをものともせず

イギリス中東部の海辺の町、クローマーまで日帰り決行。

シティを抜けてリバプールストリート駅に着くと、

すでに名古屋チームは、構内のWASABIで

お弁当を買って待っててくれました。

総勢7名で、かのレスキューレメディが生まれた海、

クローマーを目指します。

 

7:30発 Nowich~乗換~Cromerで10:31到着。

片道3時間、£24.50 、約5,000円の列車の旅。

2時間あとの9:30発なら£13.00と、ほぼ半額??

 

これまでヨークへ行くために、北へ向かう列車に乗ったことは何度かありましたが、この路線は初めてです。

動きはじめてしばらくは、郊外の大学へ通う学生が乗り降りしますが、あっという間に車窓は緑豊かな風景に変っていきます。

緩やかに果てしなく続く丘、草を食む羊の群れ、ハッとさせられる水辺やボート、水鳥たち...。

絵のように可愛らしい村々。

ノーウィッチまで北上すること2時間、そこで電車を乗り換えて東へ。

遠く海が見え始めると気分は小躍り。どうです、この見事な青!!!!!!

バッチ博士は、最晩年に住んだマウントバーノンに移るまえ、この海辺の町が気に入り、年に数か月は住んでいたようです。ピンクの家から数えて4件目がバッチ博士の冬の家。今日のような穏やかな海ばかりではなかったでしょう。ある時、難破した船の漁夫を助けるために、ロックローズ、クレマチス、インパチエンスの3種類が使われました。現在、世界中で最もよく知られているレスキューレメディの元型です。この地では、アグリモニー、チコリー、バーベイン、セントーリー、セラトー、スクレランサスなど、初期のレメディも誕生しています。(続く

バッチフラワーが世界へ…

ネルソン社

イギリス9日目 ネルソン社にて

 

2日間のウォリングフォード滞在の後は、ロンドンに戻り、バッチフラワーレメディを世界中へ送り出している、ウィンブルドンのネルソン社訪問です。


バッチ博士が、このヒーリングシステムを完成させ、1936年に没して以降、残されたノラ・ウィークスらスタッフは、博士の遺志を継ぎ、レメディを作り続けていきました。やがて1960年代頃から、バッチフラワーが広がり始め、1980年代には、毎週8,000本を世界中に送り出すまでに...。

 

高まる需要に応えることができなくなっていったバッチセンターは、

1991年、バッチ博士が生前から縁があったネルソン社にボトリングを委託、

その後、販売権も委託して、レメディを販売するプレッシャーから解放されました。

今もバッチセンターの庭で、バッチ博士がそうしたようにレメディは作られていますが、

バッチセンターの役目は、レメディを販売することから、

バッチ博士の教えを守り、伝えることに定まっていきました。

 

ネルソン社

とはいえ、バッチ博士のセルフヘルプには、レメディは必須です。どんな工程で作られているのか、興味津々。私たちは工場の中に入り、写真もいっぱい撮らせていただきましたが、カメラはここまでにしておきましょう。

ネルソン社の入り口にはラベンダーの花が美しく咲いていました。中に入ると、プリンス・オブ・ウェールズ、すなわちチャールズ皇太子訪問時の写真や、大きな世界地図が飾られていました。地図にピンが打ってある国々にバッチフラワーレメディが届けられているわけです。

 

バッチセンター2015の2

バッチセンターへのお土産は、名古屋のレメディ植物の観察ノートです

イギリス8日目

 

バッチセンターのセミナー棟に集まった日本からのBFRP総勢20余名の憧れのまなざしを集めて、私たちの前に立っているのは、バッチセンター代表のジュディ・ハワードさんと運営を担っているステファン・ボールさん。バッチを学ぶ者には、よく知られた名前ですが、さまざまな質問に、さらりと、かつ心を込めて応えてくれます。その有り様は、カリスマティックではなく、まさしく自然体でバッチフラワーのごとく。

こうでなくっちゃね!!

 

ステファンさんが手に持っているのは、名古屋からのお土産(?)の、植物観察の資料です。

BFRP東海では、近隣の植物園などで、レメディーに使われている植物観察会を催していますが、

メンバーの一人が、定点観察などを繰り返して丁寧に作っています。

 

ところで、この日はイギリス観測史上、最も気温が高かったのだとか。

外を歩いていると、突き刺さる日差し、くらっと来る暑さは、

信じられないことに37.8度!!!

バッチセンターのあるソットウェル村から、ウォリングフォードへ向かうバス停を探し、

歩いた道のりの暑かったこと、遠かったこと。(本当に遠かったわけではないのですが)

サバイバルな一日を楽しんだのは言うまでもありません。

 


バッチセンター2015

バッチセンターのあるソットウェルはとても上品で閑静な村です。

イギリス7日目

 

時間の余裕を持って出たにもかかわらず、パディントン駅に着いたのは、約束の時間を過ぎており、合流するはずだった日本からのメンバーを乗せた電車は出た後でした。今回、お手伝い役の娘とふたり、20分あとの電車に乗ったのに、なんと数分遅れでディドコットパークウェイに到着。なんたる早業!これは奇跡か!?

 

駅について、タクシー乗り場へまっしぐら。あたふたとタクシーに乗り込んだ後、ふと駅舎のほうを見ると、何やら日本人の団体が! あれっ、ひょっとすると私たち、先に着いちゃうかも。

えへへ、やっぱり先に着いちゃった。一番乗りでしたぁ~

今回で4回目のバッチセンター訪問です。あれれ???

なんだかこれまでに比べると、花が少ないぞ~というか、なんか元気がない。

お天気が良すぎて水が足りない?いや、そんな...これはいったい、どういうこと...?

左側の画像は2011年のほぼ同じ季節の庭の池。右側は今年の池。今年はミムラスがいっぱい咲いていますね。なにも咲いていない池の前で、「ここにはミムラスとウォーターバイオレットがあります」と、説明してくれているのが、この庭を13年間守ってきたガーデナーのエマさん、今年も会えると密かに楽しみにしてきたのですが、な、なんと、私たちが来る1週間ほど前に退職し、ちょうど庭師が入れ替わったところだったのです。どおりで、今年の庭は、ハニーサックルとミムラスばかりが目立つのか...と、もちろんこれはこじつけですが、ちょっと同情してしまいました。そうか、そうか、お花さんたち、エマさんがいなくなってしまって淋しいね...不安だよね...

ガーデンツアーの案内人は、我らがステファンさんでした。

チェリープラムにまつわる、とっておきのエピソード、あゝ、みんなに早く言いたい。

V&Aミュージアム

ロンドン6日目

 

ビクトリア&アルバートミュージアム、(V&A)かつて、ここを訪れた時はアールヌーボー&デコの特別展が開かれていて、その頃、私はアンティークに嵌っていましたから、見るものすべてが感激の嵐! で、ミュージアムを出てボ~ッとしたまま乗った地下鉄の中で、バッグから財布を抜き取られた苦い思い出があります。にもかかわらず、知らぬが仏で、サボイに入り、アフタヌーンティーをしたあと、いざ、支払いをと気付いたときには後の祭り。警察に届け出をしたり、カードを無効にしたりと散々な目に遭いました。そして1年後、ほとぼりが冷めたころ、盗まれたカードがアメリカで使われたようで、その請求書が私の手元に届いたときには、一瞬、なんのこと!?もちろん、無効の届け出が出ているカードですから、私には実害はなかったのですけれど。旅先では思いがけないことが起こるものです。


今回、観ると決めてきたのは、ルーシー・リーの作品。初めて彼女の作品を知ったのは、友人から送られてきた美しいポストカードでした。その時は機会に恵まれず観に行けませんでしたが、今年また、没後20年のルーシー・リー展が日本で開かれていますから、秋には姫路あたりまで出かけようと目論んでいます。

わき目もふらず陶磁器が展示されている6階を目指します。そこにはルーシー・リーの工房が再現されたコーナーがあって、ガラス越しではありますが、土や釉薬やら、使いかけの布などが無造作に置かれていて、なかなか興味深いです。作品は想像していたよりはたくさんの数があり。かなり満足しました。とはいえ、それはないよ、というくらい、雑多に並べられているのを見ると、テートの時の絵のように、せっかくの作品のありがたみが減ってしまうのは何とも残念です。ひっそりと静かな展示室はそれだけでうれしくて、あちらのガラスケース、こちらのガラスケースと、行ったり来たりしながら、角度を変えてのぞき込んだりして、端正な美しいフォルムを楽しみましたが、やはり作品には、それにふさわしいだけの十分な余白がほしいものです。

あゝ、手に取って、触れてみたい・・・

V&Aのカフェ、ウィリアム・モリスの内装は見ごたえがあります。

うっとりと天井を見上げ、壁を眺め、

スコーンにクロテッドクリームをたっぷり塗って、お茶を飲む、、、

目もお腹も大満足。もう最高。


さあて、明日からはバッチの仲間と合流します。いよいよ旅も次のステージへ。

夢か現実か…大英博物館

あの大英博物館に、バッチのレスキューレメディが展示されているらしいと小耳にはさみ、今日はバスに乗って、ブリティッシュミュージアムへ。最近のテロ事件の影響か、入場の際にバッグの中身を改めるとのこと。ずらっと道路まで行列が溢れていましたが、まあ難なく入場。

 

さて途方にくれそうなほど広いミュージアムの入館料が無料とは、大英帝国の懐の深さか、はたまた過去の略奪の罪滅ぼしか。とにかくありがたいことこの上なし。


バッチのレスキューレメディはどこにあるのかな。ありましたぁ~

展示室24 「Living and Dying」

 

長い長いガラスの展示台の上に、ずら~っと並べられているのは、薄い紗のような布に織り込まれたおびただしい数の薬14,000個、さまざまな色、形のカプセルや錠剤は、風邪薬や抗がん剤などなど。イギリス人が生涯を通して飲む平均的な薬の量だとか。そしてピンセットや包帯と並んで、我がバッチフラワーのレスキューレメディが!!  

ほとんど病院に行かない私にとっては、信じられない薬の数ですが、そういえば私の両親など、食前食後、病院の大きな紙袋から、まるでアラレでも食べるように薬を飲んでいましたっけ。どんなに元気な人であっても、生と死の狭間で、病気に全く縁のない人はいないわけですし、医学の発展によって、病の克服もあったことでしょう。けれど、それにしても、健やかな生と死はいったいどんなこと?しばし立ち止まって考え込んでしまいました。

実は、もう一度見たいと、心密かに思ってきた展示物がありました。

大英博物館には、十数年前に1度きり来たことがないのですが、

その後、それを見た時のざわめきというか、

恐怖に似た怖れを思い出しては、

次の機会には、もっとしっかり見ようと思っていたのです。


あれはどこの展示室だったのかしら、

記憶では、展示室というより、階段を下りたひとけのない場所で、

天井まで届くような白い大きな動物か人らしき彫刻が2つ向き合ってありました。


で、今回、それを探してあちこち歩き回りましたが

どうしても見つかりませんでした。

それらしい展示室そのものがありません。


で、本当にあったの?ここだったの?と問われると

急に自信がなくなり、ひょっとすると、あれは夢だったかも、

という気がしてくるのです。


長い時の流れを超えて、存在するモノたちを見ていると

不思議な感覚に襲われる人は、決して私だけではないでしょう。

それにしても、どうしても、

夢とは思えない、リアルな記憶なのですけれど。


イギリスは美味しい

ロンドン4日目

 

イギリスは食事がイマイチでしょ?とよく聞かれるのですが 

ロンドンでは、娘のところに泊まるため、

滞在中の食事は、日本から持参した材料を使って

日頃は作ってやれない家庭料理を、娘と楽しむのがメインなので

日本にいる時とあまり変わらない食生活です。


それに、娘の住むエンジェルはとても便利なところで、

地下鉄駅の周辺には、ウェイトローズ(Waitrose)、

マークス&スペンサー(M&S)、セインズベリー(Sainsbury`s)と

高級路線から庶民派まで、スーパーマーケットが並んでいますから

オーガニックの野菜でも果物でも、ふんだんに揃って手に入ります。

NYには負けるけど、ロンドンも便利。

 

ちょっと気分を変えて、外で食事をしたい時には

かの有名な、ジェイミー・オリバーのFifteenにも歩いて行けます。

でも、このお店、ひところの勢いはもうないような気がする。

それに比べて、今や、大人気のデリ&カフェの

オットレンギ(Ottolenghi)のフュージョン料理はさすがイギリス。

地中海風、中近東風のミックスがとても新鮮。

ただのブロッコリーサラダが、なぜこんなにおいしいんだろう。

カナル沿いのパブ「ナローボート」も人気店で、週末は人であふれています。 


ちょっと飛ばし過ぎで、疲れの出てきた4日目は

イズリントンのオットレンギで遅めのランチをした後、

娘はハイドパークのコンサートへ、

私はフラットでのんびり過ごすことになりました。


 


テート・ブリテン

東山動植物園

ロンドン3日目

 

イギリスに来てから、ずっと晴天が続いています。

ありがたい。ありがたい。地下鉄に乗ると暑いけれど

光も風もとっても心地よくて最高!日本ならさしずめ高原の夏って感じかな。

 

さて、今日は地下鉄Pimlico駅から徒歩10分のところにある

テート・ブリテンへ。昨年、NYに行った際、

貪欲に美術館巡りをしていて、ハッと気づきました。

そういえばイギリスに来ると、基本的に何もしないという、

贅沢な時間の使い方をしていたことを。

それで今回は、もうちょっと積極的に観光しようと思ったわけです。

クラブアップル

 

吹き抜けの高い天井がとてもきれい。

青空が透けて見えています。

初めてここを訪れたのが2005年。

もう10年も前のことです。


その時は、ちょうどミレーのオフィーリアが

画架に掛けられて、目線に置かれていました。

長いことその前に座り、川の流れや小さな花々、

衣服の華麗さ、オフィーリアの表情に

見入ったものです。


こんな素敵な動画を見つけました。

日本にも来てたんですね。 


「ask me」 と書かれた赤いバッグを持った案内の方がいて

ブレイクが見たいといえばそこへ、ラファエル前派が見たいといえば

その部屋に連れて行ってくれます。

それにしても、あるわ、あるわ、ロセッティはいうまでもなく、

E.バーン=ジョーンズの「黄金の階段」に、ウォターハウスの「シャロットの女」も、

こんなにわんさか飾ってあったら、ありがたみが失せてしまう。

それにしても、今回、絶対見逃さないと決めてきた

ロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」、割と小さい。

あんな上の方じゃ、よく見えませぬ(涙)

ワッツの「Hope」も、見たかった作品のひとつ。

何とも不思議な絵です。目隠しをした女性が

竪琴の響きに耳を傾けているのでしょうか。

水に浮かんでいるような地球の上に腰かけて。

 

バイオグラフィーワークでは、ワークの始まりなどで

アイスブレイキングにカードを使ったワークをします。

なので、いつも私のショッピングの中心は

こういったカードなのです。

今日もたくさんのカードを買いました。

もちろん、このカードも。



美術館は案外疲れます。絵に導かれるようにして、結構な距離を歩いていることや、作品のエネルギーが強いからでしょうか。どの美術館にも、いくつかカフェやレストランがあって、疲れたらお茶を飲んだり、ケーキを食べたりするのも楽しみです。というわけで、娘と私はアーチの向こうに緑が見える席で、キャロットケーキを食べていると、突然、そのアーチから鳩が飛び込んできました。驚いたことに、鳩は近くに座っていた女性の頭の上に止まったのです。そして、さらにさらに驚いたのは、その女性は、鳩が頭に止まっているのに、頭を振るわけでも、手で追い払うでもなく、頭に鳩を載せたまま、何事もないかのようにお茶を飲んでいたのです。やがて鳩は天井近くのライトの上に移動して、しばらく店内を見回していたあと、外へまた飛んでいきました。


観てきた絵を一気に忘れてしまうほど、びっくりしました。

 

チェルシー薬草園

東山動植物園

ロンドン2日目

到着翌日なので、遠出は避けましょうと

地下鉄スローンスクエアから、歩いて20分くらいのところにある

チェルシー薬草園(Chelsea Physic Garden)に出かけました。

さらにテムズ川のほうへ歩けば、チェイニーウォークと呼ばれる通りがあり

ロセッティやターナーが住んでいた家も立ち並ぶ美しい住宅街。 

クラブアップル
クラブアップル

この薬草園はロンドン最古で、設立は1600年代ですから長い歴史を持っています。 

植物園があるとは思えない静かな道沿いに、ひっそりと入り口があります。

大勢で押しかけないで、といわんばかりの狭い門、

まるで、都会の「秘密の花園」のような佇まいです。入場料は9.9ポンド(2000円位)ですから

多くの美術館や博物館が無料ということから見ると、ちょっと高めなのかも。

でもそうやって制限もされ、維持されているのでしょう。

白鳥の親子

 

6月24日 2年ぶりにロンドン到着。


この時期のイギリスの日没は21時半頃。

気温は低く風も冷たい。窓の下を流れるカナルには白鳥の親子、今年の赤ちゃんは1羽だけ。ちょっと淋しいね。

通る人はみんな立ち止まって見てる。


これは何年前の夏だったかしら。

この年の赤ちゃんは3羽いる。

心なしか、元気に見える。


「みにくいあひるのこ」のお話は知ってても

本当に灰色の赤ちゃんを見るまでは

実感がなかった。あゝ、本当に灰色なんだ。

でも醜いとは思わない。ちゃんと白鳥のかたちしてるし。今夜は早く眠ろう。明日からは動きます。

雲の上

 

雲の上で仕事をする人は

こんな風景を、日常的に見てるのかと、

飛行機に乗るたびに感心します。

 

そりゃあ、世界観が変わる。

変わらなきゃ、嘘だよね。

 

 

雲の海に怖気づき

泣きたくなるような空の青。

 

光、夕焼、虹、天使の梯子

様々な表情を見せる雲の上の世界。

 

日常に埋没する日々から

 

頭を少し雲の上に出してみる。

ロンドンから羽田へ、

時空を超える空の旅。

器は移動できても、

「私」はなかなか追いつけない。

 

朝方、暗いうちに、目が覚めると

そこは、2週間近く滞在した

娘のフラットじゃなかった。

 

私、いったいどこにいる!?(真剣に慌てる)

 

おそるおそる身体を起こし

部屋を見回す。同じ形のドアが二つ。

どのドアを開けるべきか、しばし悩む。

思い切って一つの扉を開けると、

廊下の向こうに、見覚えのある絵が…

 

あの絵、うちに飾ってあったのに

なぜここにあるの?

 

あら、私、寝ぼけてた(笑)

それにしても、

こんなに自分がバラバラになった感じは初めて。

今日は私の誕生日。なんて愉快な誕生日。 




アガサ・クリスティーを訪ねる旅

そして誰もいなくなった

ロンドンにいる娘に、1年に1回だけ、会いに行きます。

去年は仕事の都合で、彼女がNYにいたため、イギリスではなく

アメリカに行きましたが、今年はロンドンに戻ったこともあり、

加えて、かねてからの計画通り、バッチのプラクティショナー仲間と

バッチセンターを訪ねるツアーに参加することもあって

イギリスの旅のあれこれを考えています。

 

この画像は2年前の7月、アガサ・クリスティーのミステリーをテーマに

デボン州を訪ねた時のもの。「そして誰もいなくなった」の舞台となったバー島です。

ダートムアを出た時には見事な快晴だったのに、バー島に近づくにつれ、

濃い霧に包まれてしまい、まさしくミステリアス!!!

一気に気温も下がり、もうそれだけで十分怖かった。

バーアイランド・ホテルの門のところにある木は

強い風に傾いて不気味な形をし、海鳥が飛び交う断崖絶壁も予想以上の高さでした。

私は決して怖いもの好きじゃないけれど、なぜかクリスティーは好き。

というわけで、

また機会があったらクリスティーゆかりの場所を訪ねたいと思っていました。

 

今回、バッチセンター周辺を調べていたら...

な、なんと、

バッチセンターのあるソットウェルは

クリスティーが40代から亡くなるまで住んでいた

ウォリングフォードではないですか。

 

セントメアリー教会の墓地には、2番目の夫とともに

今もクリスティーが眠るお墓もあるのです。

 

何という偶然!!

 

エドワード・バッチは1886年生まれ

アガサ・クリスティーは1890年生まれで、4歳違いということは

同じ時代を生きていた人というわけです。

 

アガサ・クリスティーがウォリングフォードにウィンターブルック・ハウスを

購入したのは、奇しくも1934年の暮れ。

バッチ博士がソットウェルに居を定めたのも、同じ年!!

ということは、よもや、お二人さん、すれ違ったりはしていませんか?

 

ウォリングフォードは、バッチ博士が愛した

テムズ川流域の古く美しい町です。

http://www.wallingford.co.uk/

 

アガサ・クリスティを訪ねる旅(2) 

アガサ・クリスティーを訪ねる旅(3)