真夏のクロイツニュースから

あれよあれよという間に8月になりました。
はやくも立秋、暑中お見舞いから残暑お見舞いへ

先日、思いついて阿智村に行き
何となく夜のゴンドラに乗って、
標高1400メートルの星空を見てきました。
宿が貸してくれたマットの上に寝転がり、
ブランケットに包まってもまだ寒い。
夜風は冷たく、夜露がしっとりと降りてきます。
待つこと30分、一斉にあたりのライトが消されると
突然、浮かび上がる天の川、夏の大三角。
思わず知らず涙がこぼれます。
それにしても、折角の星の饗宴
ライトのみならず、マイクも消してほしかったなぁ

 


クロイツのおすすめ

「BIEPレベル1 名古屋2日間コース」
日程 2017/9/17-18日・月祝)10:00~17:30
会場 ウィルあいち
受講料 
38,000円(教材、消費税含)
バッチ国際教育プログラム(BIEP) は、バッチフラワーの創始者エドワード・バッチ博士から直接継承された教えを体系的に学ぶ世界共通のプログラムです。あなたも正規のコースで学んでみませんか?2日間でBIEPレベル1が取得できます。

名古屋レベル1*2日間コースへGO!



クロイツのカレンダーから
夏の名古屋オイリュトミー集中講座
名古屋オイリュトミーの会主催で、毎年夏と冬に開催しています。
初めての方もどうぞご参加ください。
日時:8/19-20(土日)10:00~12:00、13:30~15:30
会場:イーブル名古屋(地下鉄東別院徒歩2分)
講師:横山守文(オイリュトミスト)/ピアノ(鈴木里美)
参加費:1コマ3,000円、1日5,000円
持物:底の薄いシューズ、動きやすい服装(女性はフレヤースカート等)
お申込・お問合せ 090-1097-0230(鈴木)/kreuz706@gmail.com(中村)
.......★.......
BFRP東海
は、東海地方で活動する
バッチ財団登録プラクティショナーたちのネットワークです
詳細は BFRP東海のHPブログ等ご参照のうえ
問合せ・申込みは各企画の担当者名を書いて、
BFRP東海メール bach38tokai@yahoo.co.jp へお送りください


レメディ研究部(対象:BIEPレベル3以上)
日時 8/22(火)10:00~12:00
場所:日進市岩崎公民館 2F和室
参加費:300円
担当:田中美帆子(要予約)

バッチのおしゃべりランチ会
日時:9/4(月)12:30~14:00ごろまで
場所: 自然の薬箱 2階カフェ&キッチン
参加費:各自の飲食代のみ
担当:井神七子(要予約どなたでも参加できます

第85回 バッチの読書会
「なんじ自身を癒せ 第7章」
日時:9/15(金)10:00~12:00
会場:岩崎公民館2階 和室
参加費:500円 (当日集めます)
持物:バッチの遺産、マイドリンク、お弁当、お菓子など
担当:岩田千亜紀(要予約どなたでも参加できます

★読書会終了後、引き続き7月のバッチセンターツアーの
報告会があります。お楽しみに!
「バッチ三昧の旅」は ブログでぼちぼち更新中です。

アストロロジーライターのSayaさんによれば、占星術を意味するアストロロジーという言葉には「星の会話、星の言葉」という語源があるそうです。この夏、冒頭で書いた通り天上の星々に感激し、 前回のメールで取り上げた、タウマゼイン(存在驚愕)、存在することへの賛美、畏れを改めて実感した私は、以前から星読みに関心があり、いつか星の言葉が読めるようになりたいと思っています。最近では単なる星占い、またマニアックな西洋占星術の域を越えて、一億PVを誇る、大人気の星読みライター、石井ゆかりさんのような存在もあって、アストロロジーの世界もずいぶん裾野が広がりました。

 バイオグラフィーワークでは、人間に働きかける諸力として、惑星や12星座も学びに含まれますが、惑星に比べると12星座は~宇宙の真夜中~まだまだ未知の分野で、情報が決して多くありません。せめてオイリュトミーの、12星座は子音として動くことを足掛かりに探ってはみても、総合的に捉えるのは難しい。占星術は実際に宇宙を運行する星々、天文学がベースにあるわけですから、ここはひとつ占星術の基本を学ぼうと、ジュピター東海(バイオグラフィーワーカーの東海グループ)で話し合った結果、秋も深まる11月23日(木・祝)『12星座と人間』というテーマで、『星々と木々』『百合と薔薇』でおなじみの丹羽敏雄さんを招き、1日講座の計画を立てました。一人ひとり自分のホロスコープを手にしながら12星座に親しもうというわけです。
 星々を巡る旅をご一緒しませんか?ご案内は後日サイトにてお知らせします。

 今日は立秋、明日8日は水瓶座で満月が起こります。そしてお天気次第ですが、午前2時22分ごろから1時間ほど掛けて、月が欠ける部分月食が見られるそうです。また13日は、夏の夜空のハイライト、ペルセウス座流星群が見頃を迎えます。条件がよければ1時間に30個も!? 睡眠不足が続きそうです。とはいえ、今はその前に気になる台風5号、こうして書いている間も、時折、激しく雨が窓を叩きます。あちこちで雨風の被害が出ていますが、どうぞ大過なく通りすぎますように。

それでは皆様、名残の夏を健やかにお過ごしくださいませ。
* * *

最後まで読んでくださり有難うございました。愛と感謝をこめて。

 

このメールはクロイツにご縁のある方、BIEPを学ばれている方にお送りしています

 

配信不要、アドレス変更の場合はご遠慮なくご一報ください

 

 

クロイツ 中村かをる
* * *

 

愛知県日進市岩崎町石兼56-72

 

Tel/Fax:0561-72-9612  info@kreuz7.com

 

KREUZ+ https://kreuz7.com

 

梅雨のクロイツニュースから

6月も終わりに近づきました。
2017年が明けたのはついこの間だったような気がするのに、
時の流れの早いこと。
「時」の使い手になりたいと願いつつ、
すっかり使われているのが日常です。

甲斐信枝さんの『雑草のくらし』に描かれている
空き地のスケールには、はるか遠く及びませんが、
クロイツの庭はさしずめ雑草の王国、
6月に入る頃には草の勢いは日に日に増して
今やもうお手上げ、草抜きではなく草刈りが必要です。
それでも木漏れ日の中で、
胸元まで伸びたヒメジョンの白い花が
ゆらゆらと揺れている様は、えも言えず美しく、
まぁいいか、という気になっています。
窓辺の向こうはコナラの木、
雨間に鳥のさえずりが聞こえてきます。

あまりにも有名で、今更の感がなくもないのですが、
谷川俊太郎さんの処女詩集『二十億光年の孤独』の集英社文庫(2008)に
収められている「自伝風の断片」のなかに、
父親である谷川徹三(哲学者)の
「妙に記憶に残っていること(昭和34年)」という一文があります。

「…その時私は、そういう気質に俊太郎が生まれついたことを、
なかば嬉しく、なかば気がかりに思って、それを母親に話したものだった。…」 
当時5,6歳だった俊太郎さんが、庭で急にジダンダを踏んで泣きだしたので、
どうしたかと見たら、犬にちょっかいを出されたカマキリがかわいそうで、
何とかしてと訴えており、それで犬を追っ払ったらすぐに泣き止んだ。…
大人になったあとも、家の中に入ってきた蟻やハエ、クモさえも殺さず、
家の外にそっと出していた、と続きます。
 
このくだりを読んで、私はふと、まど・みちおさんを思い出しました。
そして二人の非凡なる詩人に共通していたのが
「いきているもの」に対する眼差し、
その根底にある「驚異(タウマゼイン)」だったことに、
激しく胸を打たれました。

タウマゼイン(驚異、驚愕)というギリシャ語は、ウィキペディアに出ている例を出すと
「 ふと空を見上げた時、そこに無数の星々を見る。何とはなしに、こんなことを考える。
「この星々はいったいどこから来たのか、この世界はどこまで広がっているんだろうか、
この広い宇宙の中で、なぜ私はここにいるのだろうか、そもそもなぜこういう世界があるのだろうか」
こうしたことを問うた時、そしてそこに自分の知的理解の及ばない問題があると気づいた時、
人はある種の「驚異」を覚える。こうした驚異のことを、哲学者たちはタウマゼインと呼んできた。

哲学も化学も文学も、すべて驚き「A」「ああ!?」から始まったのかも?

ここでいう驚きは、単に珍奇なこと、未知への好奇心や興味を指すのではありません。
もっと本質的で根源的な「存在することに対する驚き」です。
まど・みちおさんの詩には、その「存在驚愕」が、分かりやすい言葉で、たくさん出てきます。
かつて、朝日新聞の天声人語で取り上げられて一躍有名になった、
「ぼくが ここに」は、その代表かも知れませんが、
それ以外にも「カ」とか「木」とか、動物、植物を問わず、
それらの詩を貫いているのは、存在することへの畏敬の念です。

《りんごが ひとつ/ここに ある/ほかには/なんにも ない//
ああ ここで/あることと/ないことが/まぶしいように/ぴったりだ/》「りんご」

今、世界中で起きている天災、人災、争い、複雑に絡み合った問題や困難等々、
それらは見方を変えれば、多くの犠牲を払いつつも、
私たちを成長へと導くものかもしれません。
そしてそのほとんどは遠くの出来事であり、我が身に降りかからない限り、
真剣に向き合うことも少ないのです。
来週半ば、EU離脱、続発するテロ、火災等々、熱波に揺れるイギリスに出かけます。
日常のロンドンは下の画像に見られるように、6月には稀な暑さの中、
子どもたちがボートの練習に励む風景もありのどかですが、
当然周囲からは、大丈夫?という声がかかります。
けれどそこは恐怖や不安ではなく、
畏敬の念、タウマゼインという言葉を思い出しながら、
異国を旅してこようと思います。そのご報告はまたブログで。
皆さま、どうぞよい時をお過ごしください。
蟹座新月の日に

初夏のクロイツニュースから

5月、まばゆいばかりの新緑、木々の梢は、高みへと伸び、私たちの眼差しを空に誘います。普段、空を見上げることの少ない人も、この季節ばかりは、ついつい遠くを眺めてしまうのではないかしら。
 GWに娘たちがイギリスの自然遺産、ジュラシック・コーストを訪れたと、青い海の画像が届きました。冬並みの寒さと曇天が続いていたにも関わらず、奇跡的に晴れたのだそう。
こんな深い青を見ると、谷川俊太郎さんではないですが、あゝ、ふるさとは海のかなた、なんて言葉が浮かんできます。周辺ではアンモナイトの化石がいっぱい見つかるのだとか。三畳紀やジュラ紀に生きた首長竜や爬虫類を想像しつつ、春から夏へ、桜、藤、栃、栴檀(せんだん)など、梢を彩る花を透かして見る空に、「我がふるさとは空のかなた」などとつぶやいてみたりしています。

目が覚めた時、ふいに、言葉とかイメージが浮かんでくることってありませんか?

私は、毎日じゃないけれど、割とあります。
決して夢の続きなどではなく、突然、ふっと、です。
眠っている間に、見えない世界で、お叱りを受けたり、励まされたりしているのか、
コトンと何かが落ちてきたように答えが出たり、
思ってもみなかったアイディアが浮かんだり、覚悟が決まったりします。
日程を決めかねているような時に「月を使え~」なんて聞こえてくるわけです。
かなり、あやしい話しですけれど、これホントです。

それで、私の「今朝のお告げ」(笑) は、
なぜか「セントーリー」という植物の名前でした。
その言葉に目覚め、微睡みながら、
それは「余裕がある」ってことだ、とぼんやり考えました。

バッチフラワーで、セントーリーと言えば、
「親切で優しく他者に尽くす気持ちが強すぎて、
自分のニーズを無視しているうちに、人の言いなりになってしまう」
ネガティブな状態を指します。

私は横になったまま、朦朧とした頭で、
相手を優先させることは、自分は切羽詰まっていない、
いいよ、と受容できるのなら、それは余裕ってものだなあ、と
とりとめもなく、思いを巡らしていました。
だからといって、いつもというわけにはいかない。
常に他者を優先していたら、相手の成長の機会を奪うことになるし
なによりも、自分で自分を虐めていることになる。
そう、献身の気持ちは持ちつつ、適切な自己主張がポイント!

そこまで来たとき、急にハッと覚醒しました。
え!?なんで、セントーリーなの?と、自分に問いました。
はて、今の私って、何か、言いたいことが言えないでいたかしら?

さしあたって、思い当たることはありません。

でも、まだ形を取ってはいないけれど
私の無意識の海の中から浮かび上がる泡のように、
何かが声を上げようとしているのかもしれません。

誰にでもあることだと思うけれど
たとえば、先送りしていること、
たとえば、諦めていること、
たとえば、状況を見過ぎていること、
たとえば、本来の目的から外れている責任や義務など、

ゆっくりと考えてみなければなりません。
振り返り、自分への問いを立て、ゆっくりと考えてみましょう。

何せ、これはお告げなのですから ね。
それでは、また!

下の画像はセントーリー(Centaury)
リンドウ科 シマセンブリ属 和名ベニバナセンブリ

ブラームスはお好き?

私が初めてブラームスという名前を知ったのは、多分、母が歌う子守歌からだったと思う。当時にしては珍しく西洋音楽好きだった母は、毎夜、子守歌を歌ってくれたが、それが日本の子守歌ではなく、シューベルト、ブラームス、モーツァルトなどなどだった。私はモーツァルトの子守歌の、♪~月は窓から~銀のひかりを~そそぐこの夜~♪、というところが特に好きで、しつこくリクエストをしたものだ。

 

1954年、フランス実存主義の影響を色濃く持つフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」が、弱冠18歳の若さで世界的なベストセラーとなった。その5年後に書かれたのが、「ブラームスはお好き?」だった。中学生になっていた私は、なぜ、モーツァルトではなく、ブラームスなのだろう、と思いながら、むさぼるように読んだ。

 

それから何年経っただろう。1977年の春、サンフランシスコのオペラハウスで、アシュケナージ指揮のブラームスを聴く機会があった。ワクワクしていたのも束の間、演奏が始まると間もなく気分が悪くなり、もう聴くどころではなかった。ブラームスを聴く時は事前の食事をしてはいけない。気をつけようと思った。それにしても、もったいないことをしたものだ。

 

木曜日、豊田あげつまクリニックのホール、ノバリウムで、県芸の教授陣による「ブラームス室内楽の夕べ」のコンサートがあった。デュメイのCDを聴いて好きになった、ヴァイオリンソナタ第1番と、あまり知らないピアノ四重奏曲第2番だ。渋い...なんてカッコいいプログラムだろう。そうそうたる演奏者たちの奏でる響き、円熟、重厚、軽妙洒脱~教授、准教授ともなれば、後進の指導が大きな仕事であろう彼らが、表現者だけで生きていただろう若かった頃とは、おそらく違う世界を見せてくれている、なんて贅沢な至福の時間だろう。。。

参りました。

 

ブラームスはお好き?

もし、特別にお好きじゃなくても、

ぜひどうぞ。

 

ブラームス室内楽全曲演奏プロジェクト

2017/5/23(火)18:45

ザ・コンサートホール 名古屋伏見

フランソワーズ・サガン(1935-2004)

富裕な家庭の第3子(末子)としてフランスに生まれる。18歳のデビュー作で世界的名声とともに巨額の富を得る。莫大な収入を得たものの浪費も激しく、 酒、たばこの他、自動車事故で重症を負った時の痛み止めのモルヒネから麻薬中毒となり逮捕されたこともある。

 

ユーミンの「セシルの休日」に出てくるセシルは、サガンの「悲しみよこんにちは」に出てくる主人公の女の子、ということを知ったのは、ずいぶん後の話しです。


4月のクロイツニュースから

4月、いつものメール配信からメルマガへの切り替え作業が手間取り、クロイツニュースのお届けが遅くなりました。皆さま、ごきげんいかがでいらっしゃいますか? この辺りでは桜も咲き終わり、芽吹きの季節となりました。痛々しいほどの新芽が、日に日に普通の若葉になっていくのを見ると、その鮮度を留められないことに、なんだか切ない思いがしてなりません。生きているものは、みな移ろっていくのは当たり前のことですが、生命が溢れる春ほど、それを感じさせられるときはないのかもしれません。ホリーの花に蜂が集まり、スターオブベツレヘムの花も開き始めました。植物たちとともに、春をしばらくとどめ、楽しみたいものです。 

4月、新生活が始まった方も多いことでしょう。引っ越しを重ねていると、自然に身の回りの取捨選択がされていきますが、私のように同じ場所に30年以上も住んでいると、いつしかどっさり、暮らしの澱のようなものが溜まっていきます。家族が増えては、またやがて減っていくプロセスで、その都度、整理整頓をしていかねば、決して片付かないわけです。とはいえ、独立していった子どもたちの、物置部屋みたいなところもあって、一家を抱合している実家のような存在は、私個人だけでは決めきれないものも多く、なかなかすっきりとはいきません。

私自身、整理が嫌いなわけじゃないですが、正直に言うと、断捨離を掲げることにはちょっと抵抗があります。無駄も捨てがたい。無駄があってこそ、味があろうというもの。箪笥の肥しには安心感があるし、捨てられないメモ書きも、時には重要な意味があるかもしれない。働かないアリ理論なんてものもあるじゃないですか、というようなことを考えていたある日、ここ何年か、折にふれ、思い出そうとして出てこない言葉がありました。それは「回心」、確かメタなんとかって言うんだったよなあ、とおぼろげな記憶を辿っても、どうしても出てこなかったものが、ふと会話の中に入ってきて、それが糸口になってググってみたところ、「メタノイア」という言葉だと分かりました。ああ、すっきり。

その翌日のことです。毎日使っているファイルの引出しに、古い手帳が入っているのに気づき、何気なくしおり紐の挟んであるところを開けてみたら、な、な、なんということでしょう。そこには 私の字で、「メタノイア 回心 ギリシャ語」と書いてあるではありませんか!

それは2000年の手帳でした。私ったら、17年前の手帳をいつも使うところに入れていた、かつ、しつこく思いだそうとしていたことになります。今でこそすぐに答えは得られそうですが、17年前のことですから、その過程ではググるという言葉も発想もなかったのです。それにしても興味深いのは、答えが分かった途端に、それまで隠してあった答案用紙が、ひらりと出てきたみたいな感じです。いったい誰が隠して、誰が出したの?と思わず聞きたくなります。もちろん、この手帳を処分していたら、この面白さは味わえませんでしたけれど。

4月、何か新しいことを始めたくなる季節でもあります。自分の身辺を見回して、捨てるもよし、まだまだとそばに置いておくのもよし、すべてそれらにはベストなタイミングがあって、その「時」を捉えることの方が重要な気がします。

年の初めに思うこと

 

2017年は酉年

あちこちに「飛翔」、「羽ばたく」などという

鳥にまつわる言葉が書かれている。

 

BFRP東海御用達、名古屋市東山植物園の

動物園エリアが鳥インフルによって

12月から閉鎖になってしまった。

動物たちにとっては、

きっと静かなお正月に違いない。

 

思えば私は鳥が大好きだ。

外国航路に乗っていた叔父からお土産に

体長30センチ位のキボウシインコをもらい

「ワイワイ」と名付けて、肩に乗せたり話をしたり、

よく遊んでもらった!?

(物まねがとても上手で、私の名前はもちろんのこと、母そっくりの声音で、電話の応対などお手のもの)

今ではワシントン条約で規制されているので

あの頃のように簡単に手に入らないかもしれない。

 

私のワイワイは風切り羽を切られていて

室内程度しか飛べなかったけど、

翼を広げて飛翔する姿に、

強烈な憧れを持ってしまうのは

いったい、どこから来るのだろう。

 

フィギュアスケートのジャンプ、

バレエや、パラグライダー然り、

トンボや蝶々などなど、

私たちは重力を克服することに

とてつもなく魅力を感じているらしい。

 

それは、人間の身体を超える、ってことだから?

 

いつか、どこかで

飛んでいた、いや、浮遊していた

意識の名残か...

 

身体を持った人間の私たちは

しっかりと蹴ることのできる大地があってこそ

飛ぶことが可能になる。

 

さあ、私よ、しっかりと大地を蹴って歩こう。

今、在ることを味わいながら。

 

 

クロイツでのバッチ国際教育プログラム

水星のマーキュリーは翼の生えたブーツと帽子が目印

 


移行の季節

秋の植物観察会2016~東山植物園で

 来る日も来る日も雨か曇り空~これではイギリス人じゃなくても、お天気でゴース(希望を失くした時に使うバッチのレメディ)になっちゃう、と笑い話ではなく本気で思うほどでしたが、ピンポイントで雨が上がったのはスゴイ!

 今日で9月も終わり、夏でもなく、秋でもない。そんな移行の季節の植物たちはどんな表情をしているのでしょうか?

 新旧取り混ぜて集まった10人で、いつものコースを植物に挨拶しながら回ります。先発隊のチェックの通り、春までは、雑草扱いだったクレマチスが、観察者(私たちのこと)が押し寄せたからか、「センニンソウ」と小さな白い名札をつけてもらっていました。よかったね、エッヘン!名前が付くとちょっと格上げした感じです。オークはドングリをいくつかつけていますが、剪定のきつかったハニーサックルはちょっと淋しい。

それにしても、なんだかさえないのはお天気のせい?

いまいちジミ~な雰囲気が植物園内に漂っています。これって移行期だから?

 

季節ごと、当たり前のように姿を変える植物。花から種に、種から花にメタモルフォーゼ!(すべてクレマチス)

子どもでも、乳歯と永久歯とが生え変わる頃とか、ツクツク背が伸びていくときとか、縦横のからだのバランスがちょっと変に整わない時期、可愛いんだけど、妙に不細工になったりします。私たち現代人は、できるだけピーク(若さ)の丘を長続きさせたい、って思っていますが、それってホントにいいのかな、と時々自問自答します。特に植物の変化を見ていると、人間だけが同じところに止まっていられるわけがない、と思うわけです。つまり宇宙と呼応するように、植物は季節のめぐりを知っていて、ちゃんと次の段階に移行していくけれど、人間は特別で、外見は若さを保ったまま、内的に成熟できる? のかな。いやあ、そうじゃないでしょ。内的にも成熟したくない人もいるかもしれないけれど、昨日より今日がよくなろうとするのが自然の摂理。そのために次の扉を開けるには、何かを手ばなすというのは、浦島太郎に限らず昔からのお約束。


 

 一番きれいな時っていつなんだろう。花が咲くころ?

そう、花が咲くとみんな目が惹かれる。きれいな色がパッと辺りを染めて、香りもして、虫を呼び寄せる。植物は様々な方法で次の世代につながっていくけれど、受粉した途端に、色も香りも目的を果たしたかのように収縮へ向かう。

 誰もが知っている、花の美しさは永遠じゃない。

 永遠じゃないからこそ、美しい。

 それも誰もが気づいていること。

 

 

 

 じゃあ、移行期って本当にさえないのかな。ただ、見る目がないってことなんじゃないかな。私の中にある、きれいの基準が、花とか若さとか可愛さとか、スマートさとか、そういったものしか認めていなかったら、当然見落としている「美」があるってことだもの。

 そう思っていたら、今回、素敵な発見が、スィートチェストナット(栗)をスケッチしていた仲間から、もたらされました。ほら、栗のイガの頭のところ、雌花の名残が見えるでしょ。雌花の下が栗の実!!そしてイガイガの形の美しいこと。まるで1本1本が木のようで、みんな、目をキラキラさせて見入りました。見る目があれば、世界はどんどん美しくなるのかも。

 

BFRP東海のブログで、植物観察の詳細をご報告しています


予期せぬ出来事

子育てフェスタが終わって一段落

次に控えていることを考えていたからか、

昨夜からとてもハイパーになってしまった私、

睡眠時間が一気に減ります。

朝からテンションが上がり、仕事がはかどる!はかどる!

 

窓を開けることも、何か食べることも忘れて

夢中でPCに向かっていましたが

Hさんが出かけることもあって、作業を中止、

朝食をつくりはじめました。

 

朝のお決まりメニューは

まずはケールと林檎とバナナのスムージー、

キッチンの扉裏にある包丁入れから

ぺティナイフを取り出すと

パン切ナイフがひっかかって

アッと言う間もなく、垂直に私の足の上に!

 

イテテ・・・落ちたところが切れて出血・・・

あゝ、パン切ナイフで助かった!

大したことはありません。

まずはレスキューレメディを飲み、きれいにふき取った後

周辺にレスキュークリームを塗って絆創膏を貼ったら、

それでおしまい。一件落着となりました。

が、

もし逆だったら、と思うとぞっとします。

ぺティナイフの先端は鋭利です。

あの角度で落ちたのなら、きっと刺さりました。

好事魔多し。調子に乗ってるとき

案外、事故が起こりやすいものです。

 

そうそう、天使が私を蹴飛ばして足をすくったかも。

こんな時は無理は厳禁。

今朝は久しぶりに雨が降っています。

少し落ち着いて歩調を緩めましょう。

ほんと、ほんと、ありがとう。 


帰りました!

揺れるイギリスを映すかのように

いつも以上に不安定で。ころころ変わるお天気、

EU残留か離脱を問う国民投票では

スコットランドの時のように

結局は「残留」だったね、のはずが、

期待は裏切られ、どよめくロンドン、

やり場のない気持ちも晴れると

楽しみにしていたユーロカップでは

まさかのアイスランドに敗退。

 

世界で最もお金持ちといわれるイングランドチームが

パートタイマー選手さえいる

アイスランドチームに負けたとあっては

ますますがっくり。

窓に貼られたREMAINの文字もイングランドの国旗も

ひっそり姿を消しました。

 

そんな歴史的瞬間も、今のところは対岸の火事で

今回はウェールズへ

そして前回行けなかったキューガーデンへ。

毎度のことながらの歩いて歩いての植物三昧の旅。

で、あっという間に帰国となりました。

帰国便はフランクフルト乗継ぎで、初のロンドンシティ空港から。

コンパクトでビジネス仕様。まだ工事中のところもありましたが

市内からも近く便利な空港です。

初めてって、ちょっとドキドキしますね。 


行ってきます!

 

EU離脱か残留かで、揺れるイギリスに、

ドンピシャ国民投票めがけて、行ってきます。

といっても、決して

狙ったわけではありませんが。

 

おりしも6月のバイオグラフィーワークでは

鉄の女、マーガレット・サッチャーの

人生を取り上げたばかり。

彼女が、欧州寄りではではなかったのはなぜ?

案外イギリス人にとっては、普通のことなのかもしれません。

東洋人には、理解不能なところがありますが。

歴史的瞬間に立ち会うか?

 

ともあれ、今年の旅の目玉はウェールズ

バッチ博士が初めてレメディに相応する植物を

見つけたアスク川流域を訪ねます。

 

またぼちぼちと、旅のご報告をいたします。

 


やさしい子らよ

やさしいちちと

やさしいははとのあいだにうまれた

おまえたちは

やさしい子だから

おまえたちは

不幸な生をあゆむのだろう

   池井昌樹 絵本『手から、手へ』より抜粋

 

3月末、ブログに「人生にYES!」を書きながら

なんとなくすっきりしない私に

1冊の本が届きました。

 

昭和の家族写真のようでいて

どこか、「あの世」的な「永遠」を思わせる

植田正治さんの写真とともに構成された

『手から、手へ』池井昌樹さんの詩集です。

 

どんなにやさしいちちははも

おまえたちとは一緒に行けない

どこかへ

やがてはかえるのだから

 

人によっては、やさしさだけではなく

むしろ、物心つかないうちから、

たとえ、それが愛にくるまれていたとしても

「NO」ばかり、言われて育つこともあります。

そういう場合、私たちは、

自分が傷つかないよう、無意識に

見かけ上の「YES」を言って、

辻褄を合わせたりもするのです。

 

おとなになっても、

外側からの「YES」が、ほしくてたまらない。

人の顔色が気になる。

人から評価されたい。

 

でも本当に必要なのは

内側から満ちてくる「YES」なのでしょう。

 

汲めども尽きぬ泉のように

たとえ、やさしさだけを手渡されたとしても

内なるYESをつぶやくことは

まことにむずかしい。

 

でも、この詩が語る言葉のように

 

怯んではならぬ

憎んではならぬ 

悔いてはならぬ 

 

やさしさは「ちまみれのばとん

 

どんな苛酷と思える人生にも

「YES」が言える。

それを支える一筋の光

それを人は私の中の「わたし」というのではないかしら。

 

ベルト・モリゾ「ゆりかご」1874
ベルト・モリゾ「ゆりかご」1874

準備ができた?

この家に住みはじめてはや33年

庭の真ん中にある欅は2階の屋根をとっくに越えた。

見上げても届かない空の上で、今、芽吹きが始まっている。

毎日、毎日、

来る日も来る日も、私はその木を見てきたけれど、

その木も、ずっとそこに居て、

私を、家を、私の家族を見ていたのだ。

家族は、その木が大好きで

晴れた日にはその下で食事をし、子どもたちは遊んだ。

その周りで歌い、走り、落葉をかき集めて焚火もした。

 

欅は何を思っているのだろう。

 

今、ツリープロジェクトでその欅を観察している。

観察し、スケッチを重ねていると

見てきたつもりで、全然見ていなかったことに気づく。

そう、こんな風に観てはこなかったのだ。

 

スケッチブックの真っ白な一ページに

柔らかい黒鉛筆で、ていねいに欅の冬芽を描く。

どの冬芽の下にも必ず葉痕(葉の落ちた痕)がある。

つまり新しい芽は前年の葉の付け根(葉腋)に出来る。

 

スィートチェストナットやオークのように

冬芽が出てきても、なかなか葉が落ちない木もあるけど

普通、広葉樹は、

冬芽ができると安心したかのように葉が落ちる。

「準備ができたね、それでは行くよ」というように。

 

ふと思う。私達にも同じことが言えるのかも。

それに気が付いていないだけで。 

立派なハルニレの木(札幌で)
立派なハルニレの木(札幌で)

人生にYES!

先日、久しぶりに会った少女が、

とても美しくなっていて、びっくりしました。

聞けば、希望の高校に合格したとのこと。

おめでとう! 身体中から自信があふれています。

 

あぁ、そうか。

人生がわたしに、「YES」を言ってくれた時

こんなふうに輝いたものだった。

  

  少女よ、

  今のあなたには、届かないだろうけど

  人生はいつも、あなたに「YES」と

  言ってくれるとは限らない。

 

どんなことがあっても、どんなに傷ついても、

何もかも失ったとしても、無数の涙のあとで、

それでも、人生に「YES」と言える自分になる。

 

痛みや悲しみの向こうにしかない

自分だけの「YES」を

あなたが人生に対して言う

その変容の瞬間を経て

人生は真に輝き出すのだから。

 

 

Knaus 野原の少女
Knaus 野原の少女

霧の中で思うこと

今朝、目が覚めると、外は真っ白だった。

雪ではなく霧......

何も見えません。こんな霧は久しぶり。

  

  いつも見えるものが見えない

  って、ちょっとこわい。

  境界がわからない。

  って、こんなに不安になることだったのか。

  

すごく前だけど

季節は今頃

鳥羽のパールロードを走っている時

深い霧にあってしまった。

あの道は、海にせり出すようにカーブが続く。

いつ海に落ちてもおかしくない、と

冷や汗をかきながら、

必死でハンドルにしがみつく。

 

なんとか抜け出た時はヘロヘロでした。

脱力・・・

 

道路を踏み外すことは、とても怖いのに

見えない世界の境界を越えることに

わたしたちは、無頓着。

 

自分の分をわきまえなかったり、

人の領域に勝手に踏み込んだり、

自分の感情のありかを見失うことも日常茶飯事。

 

見える世界から学ぶ事は、

なんてたくさんあるのでしょうか。

 


お正月

あけましておめでとうございます。

新しい年を迎えました。

昨日と今日の間には、何の変りもないはずなのに

ダイニングの窓辺に差し込む光までも、

なにかしら

あらたまってみえるから不思議です。

 

私は年末からの風邪が年が明けても治らず

おかげでぐうたらしたお正月になりました。

睡眠を十分にとり、ゆっくりのんびり。

窓からはおひさま燦々。ゴキゲンなお正月です。


親子の対話

上の画像はすべて

東山植物園のハニーサックル

蕾から開花、結実、そして・・・

先日、娘とスカイプで長話をしたやり取りを

友人たちに話したところ、一瞬、沈黙。

「親子じゃないみたい」と言われて、

びっくりしてしまいました。

「え~どこが?」という私に

「だって、親子なら、もっと、モロな感情が出るもんでしょ。」とのこと。

なるほど! そういえば、見かけによらずクールだよね、とも言われる。

 

で、つらつら考えてみると、

これは、やはり子育ての途中から遠距離になったせいかも。

 

第1子の長女がイギリスに行ったのは1993年の秋、

13歳になったばかりのことでした。

思春期前期、不安定さの真っただ中。

今のようにラインもスカイプもなく、それどころか、

まだ携帯もインターネットもありません。

国際電話のコレクトコールにヒヤヒヤしながら、

ちょっとした愚痴や苛立ちに、じっと耳を傾ける。

口を出したくなる時もあるけれど、

ガマンガマン、ただ寄り添うだけ。

母親の不用意な言葉は、他人以上に傷つけることもあります。

近くにいれば、修正可能かもしれない。

でも、離れているから、自然に、

迂闊な言葉が出なくなりました。

 

不安から、怒りから、親は子どもに、本当の気持ちではなく

感情的な言葉を投げつけてしまうこともありますが

それが本来の家族らしい会話だとしたら、私たち親子は?


どの家族にも対話には特有のスタイルがあります。

好き勝手に思ったことを言い放てる親子、

ある意味、その正直さ、無遠慮さが、ちょっと羨ましい。


距離と時間がつくった親子の対話のかたち。

とにかく、私の「聴く力」は子どもたちによって

育てられた、ってことらしい。



美術館を梯子する

10月、11月と、ちょっと頑張った自分へのご褒美に、

今回は、春頃から固く心に決めていた

没後20年―調和の器‣永久の憧れ

「ルーシー・リー展」に、姫路市立美術館まで行ってきました。

 

そればかりか、ここまで来たなら、スルーは無理でしょ、と

兵庫県立美術館の「パウル・クレー だれにもないしょ」まで

一日で回る計画。 ちょっとやりすぎ。

 

初姫路です。雨に煙る白鷺城をめざして、11時過ぎには美術館到着。

赤レンガの落ち着いた美術館、中は強靭な糸をピーンと張ったような静謐な空間、

初期の1921年~の作品から1990年88歳までの作品 200点が展示されています。

宇宙を閉じ込めたような青いボールがまっさきに目に飛び込んできました。

ひとつ、ひとつ、対話するように見ていくと

あっという間に3時間が経っていました。なにも食べていないのに、お腹がいっぱい。

食事をする間もなく姫路を後に、大急ぎで神戸三ノ宮へ向かいます。

すでに3時を回っています。がらりと雰囲気が変わって、現代的な兵庫県立美術館。

ここは、4月にホドラー展を観にやってきたところ。

そういえば、あの時もチューリッヒ展と、美術展の梯子をしましたっけ。


こちらもまた、とても力ある美術展でした。

 謎かけ、謎解きをしているような作品群。

強いまなざしのクレーも印象的でした。

異なる世界の間を行き来するパウル・クレー

この世で僕を捉まえることはできない/僕は死者たちのもとに/

そして未だ生まれていない者たちのもとに住んでいるのだから/

クレーの絵を観ていると、もう絵画の世界には、

新しいものは生まれないんじゃないか、と思わずにおれません。


それにしても、少々くたびれました。

子育ての行方

2015/9/29 ミカエル祭の満月
2015/9/29 ミカエル祭の満月

9月、末娘の誕生日が来て、

私の3人の子ども達全員、30代になりました。

もうみんな、すっかり大人です。

 

18年前、金木犀の香る美しい秋の日に

夫は、私と3人の子どもを遺して

旅立っていきました。

振返れば、大変な時もありましたが、

それぞれみんなよく頑張りました。

子どもたちは、まだ幼かったのに、

誰一人、それについて、

文句を言わなかったのは、えらい。

 

何があっても、それはそれとして、自分の人生を引き受けること。


子どもたちは、見える父親は失ったけど

見えない父親が、とてもいい教育をしてくれました。

 

死者と生者の協力で、この世は成り立っている、と思えば

自力だけで、ことが成されるわけでないのは当たり前。

 

なにもかも、すべてのことに、ありがとう

 

この澄んだ秋の空気の中で、冴え冴えとする心を抱いて

私を追い越していった子どもたちの後ろ姿を

楽しく思う此の頃です。


勢いに負ける

ただいま格闘中、なんとって?


樟の古葉、葉苞、花粉の掃除に始まり

コナラやヤマモモの雄花、欅の花粉

木の花は、目立たないけれど、大量です。


花が咲き始めたころのコナラは

繊細なレースが揺れているように綺麗だけれど

あっという間にこんなふうに、屋根も樋も通路も埋まります。

屋根の上に積もった花殻を掃きよせていたら

生まれたて?細い白い蛇までも一緒に落ちてきました。

向こうも驚いただろうけど、こっちもびっくり。

ヤモリもトカゲも驚かないけど

さすがに突然落ちてこられるとギョッとします。

 

少し庭に出ているだけで、蚊は寄ってくるし

いろいろな種類の蜂がぶんぶん羽音をたてています。

この間までは、ほとんど草も生えていなかったのに

もう足の踏み場もありません。


今年こそ、頑張る!!

早春の決心は、もろくも崩れ去ろうとしています。

あゝ、今年も、この植物たちの勢いに負けてしまうのか。。。


庭をきれいにできる人って、心から尊敬します。

 

ひとやすみ

世の中はゴールデンウィークです。

どこを見てもまばゆいばかりの新緑!

不安定だったお天気もこのところすっかり落ち着いて

気持ちのいい、洗濯日和が続いています。

 

4月から始まった毎週のPTTコースも

前半の3回を終えて、連休明けまでひとやすみ。

とはいえ、5月に入るとバイオグラフィーワークが待ったなし。

今のうちに、準備のための本を数冊読んでおきたい。

チャート作りに観察ノートのまとめ。

考え始めると、うかうかしていられません。

 

こんな素敵な季節に、PCにかじりついてるなんてと、

思いつつ、家の中でじっとしてるのも、案外好きなんだなあ。 


さあさ、ひとやすみ、ひとやすみ。

 

忘れな草も咲きました。

 

わすれなぐさ

絵からリズムが

忙中閑あり!(ホントかな)


神戸までホドラー展に行ってきました。


東京ではタイミングを逃し、この忙しさではもう無理と

ほとんど諦めかけていたところ

長距離バスで行こうよ、私も、もう1回行ってもいいよ、と

東京ですでに鑑賞済みのHirokoさんの言葉に誘われ、

ひょこっと空いた一日、バスで行ってきました。


あゝ 行けてよかった!!

ありがとう~


ドクン、ドクン、ドクン

絵の前に立っていると、空間が波打つように、

こっちまで共振し始めます。


な、なんなんだ。この感覚は。

「感情Ⅲ」1905 ベルン州美術コレクション

このタイトル、意味が分からない。

ホドラーによれば「どんな感情も身振りを持つ」とのことですが


「オイリュトミー」 1895 油彩カンヴァス ベルン美術館

 

これをオイリュトミーというの?

オイリュトミーとは、ギリシャ語で美しいリズム、調和あるリズムという意味。


シュタイナーの運動表現芸術誕生以前に

ホドラーは何をもってオイリュトミーと呼んだでしょう。

 

「自然の形態リズムが感情のリズムと協同すること、交響すること

わたしはそれをオイリュトミーと呼ぶのだ」ホドラー

 

「悦ばしき女」 1910年頃 ベルン美術館


これはまさしくオイリュトミーのイメージそのもの

 

「感情」によって動かされる「身体」、

あるいは「身体」によって動かされる「感情」にかたちを与え

そこに生起するリズムを描き出す。

「木を伐る人」 1910年 ベルン、モビリアール美術館

1911-1958流通 50スイスフラン紙幣の原画

びゅ~んと、すごい力で、身体ごとうねりを挙げていそうです。

兵庫県立美術館の水辺に面したカフェで、

たった今見終わったばかりのホドラーを語り合う。


生きているもの、死んでいるもの

リズムによって吹き込まれるいのち


ホドラー 1853-1918

シュタイナー 1861-1925

バッチ 1886-1936

他にも、多分いっぱい。

19世紀末から20世紀初頭、この時代に

大きな精神性のムーブメントがあったことを、

今更ながら思います。



真夏のクロイツニュースから

あれよあれよという間に8月になりました。
はやくも立秋、暑中お見舞いから残暑お見舞いへ

先日、思いついて阿智村に行き
何となく夜のゴンドラに乗って、
標高1400メートルの星空を見てきました。
宿が貸してくれたマットの上に寝転がり、
ブランケットに包まってもまだ寒い。
夜風は冷たく、夜露がしっとりと降りてきます。
待つこと30分、一斉にあたりのライトが消されると
突然、浮かび上がる天の川、夏の大三角。
思わず知らず涙がこぼれます。
それにしても、折角の星の饗宴
ライトのみならず、マイクも消してほしかったなぁ

 


クロイツのおすすめ

「BIEPレベル1 名古屋2日間コース」
日程 2017/9/17-18日・月祝)10:00~17:30
会場 ウィルあいち
受講料 
38,000円(教材、消費税含)
バッチ国際教育プログラム(BIEP) は、バッチフラワーの創始者エドワード・バッチ博士から直接継承された教えを体系的に学ぶ世界共通のプログラムです。あなたも正規のコースで学んでみませんか?2日間でBIEPレベル1が取得できます。

名古屋レベル1*2日間コースへGO!



クロイツのカレンダーから
夏の名古屋オイリュトミー集中講座
名古屋オイリュトミーの会主催で、毎年夏と冬に開催しています。
初めての方もどうぞご参加ください。
日時:8/19-20(土日)10:00~12:00、13:30~15:30
会場:イーブル名古屋(地下鉄東別院徒歩2分)
講師:横山守文(オイリュトミスト)/ピアノ(鈴木里美)
参加費:1コマ3,000円、1日5,000円
持物:底の薄いシューズ、動きやすい服装(女性はフレヤースカート等)
お申込・お問合せ 090-1097-0230(鈴木)/kreuz706@gmail.com(中村)
.......★.......
BFRP東海
は、東海地方で活動する
バッチ財団登録プラクティショナーたちのネットワークです
詳細は BFRP東海のHPブログ等ご参照のうえ
問合せ・申込みは各企画の担当者名を書いて、
BFRP東海メール bach38tokai@yahoo.co.jp へお送りください


レメディ研究部(対象:BIEPレベル3以上)
日時 8/22(火)10:00~12:00
場所:日進市岩崎公民館 2F和室
参加費:300円
担当:田中美帆子(要予約)

バッチのおしゃべりランチ会
日時:9/4(月)12:30~14:00ごろまで
場所: 自然の薬箱 2階カフェ&キッチン
参加費:各自の飲食代のみ
担当:井神七子(要予約どなたでも参加できます

第85回 バッチの読書会
「なんじ自身を癒せ 第7章」
日時:9/15(金)10:00~12:00
会場:岩崎公民館2階 和室
参加費:500円 (当日集めます)
持物:バッチの遺産、マイドリンク、お弁当、お菓子など
担当:岩田千亜紀(要予約どなたでも参加できます

★読書会終了後、引き続き7月のバッチセンターツアーの
報告会があります。お楽しみに!
「バッチ三昧の旅」は ブログでぼちぼち更新中です。

アストロロジーライターのSayaさんによれば、占星術を意味するアストロロジーという言葉には「星の会話、星の言葉」という語源があるそうです。この夏、冒頭で書いた通り天上の星々に感激し、 前回のメールで取り上げた、タウマゼイン(存在驚愕)、存在することへの賛美、畏れを改めて実感した私は、以前から星読みに関心があり、いつか星の言葉が読めるようになりたいと思っています。最近では単なる星占い、またマニアックな西洋占星術の域を越えて、一億PVを誇る、大人気の星読みライター、石井ゆかりさんのような存在もあって、アストロロジーの世界もずいぶん裾野が広がりました。

 バイオグラフィーワークでは、人間に働きかける諸力として、惑星や12星座も学びに含まれますが、惑星に比べると12星座は~宇宙の真夜中~まだまだ未知の分野で、情報が決して多くありません。せめてオイリュトミーの、12星座は子音として動くことを足掛かりに探ってはみても、総合的に捉えるのは難しい。占星術は実際に宇宙を運行する星々、天文学がベースにあるわけですから、ここはひとつ占星術の基本を学ぼうと、ジュピター東海(バイオグラフィーワーカーの東海グループ)で話し合った結果、秋も深まる11月23日(木・祝)『12星座と人間』というテーマで、『星々と木々』『百合と薔薇』でおなじみの丹羽敏雄さんを招き、1日講座の計画を立てました。一人ひとり自分のホロスコープを手にしながら12星座に親しもうというわけです。
 星々を巡る旅をご一緒しませんか?ご案内は後日サイトにてお知らせします。

 今日は立秋、明日8日は水瓶座で満月が起こります。そしてお天気次第ですが、午前2時22分ごろから1時間ほど掛けて、月が欠ける部分月食が見られるそうです。また13日は、夏の夜空のハイライト、ペルセウス座流星群が見頃を迎えます。条件がよければ1時間に30個も!? 睡眠不足が続きそうです。とはいえ、今はその前に気になる台風5号、こうして書いている間も、時折、激しく雨が窓を叩きます。あちこちで雨風の被害が出ていますが、どうぞ大過なく通りすぎますように。

それでは皆様、名残の夏を健やかにお過ごしくださいませ。
* * *

最後まで読んでくださり有難うございました。愛と感謝をこめて。

 

このメールはクロイツにご縁のある方、BIEPを学ばれている方にお送りしています

 

配信不要、アドレス変更の場合はご遠慮なくご一報ください

 

 

クロイツ 中村かをる
* * *

 

愛知県日進市岩崎町石兼56-72

 

Tel/Fax:0561-72-9612  info@kreuz7.com

 

KREUZ+ https://kreuz7.com

 

梅雨のクロイツニュースから

6月も終わりに近づきました。
2017年が明けたのはついこの間だったような気がするのに、
時の流れの早いこと。
「時」の使い手になりたいと願いつつ、
すっかり使われているのが日常です。

甲斐信枝さんの『雑草のくらし』に描かれている
空き地のスケールには、はるか遠く及びませんが、
クロイツの庭はさしずめ雑草の王国、
6月に入る頃には草の勢いは日に日に増して
今やもうお手上げ、草抜きではなく草刈りが必要です。
それでも木漏れ日の中で、
胸元まで伸びたヒメジョンの白い花が
ゆらゆらと揺れている様は、えも言えず美しく、
まぁいいか、という気になっています。
窓辺の向こうはコナラの木、
雨間に鳥のさえずりが聞こえてきます。

あまりにも有名で、今更の感がなくもないのですが、
谷川俊太郎さんの処女詩集『二十億光年の孤独』の集英社文庫(2008)に
収められている「自伝風の断片」のなかに、
父親である谷川徹三(哲学者)の
「妙に記憶に残っていること(昭和34年)」という一文があります。

「…その時私は、そういう気質に俊太郎が生まれついたことを、
なかば嬉しく、なかば気がかりに思って、それを母親に話したものだった。…」 
当時5,6歳だった俊太郎さんが、庭で急にジダンダを踏んで泣きだしたので、
どうしたかと見たら、犬にちょっかいを出されたカマキリがかわいそうで、
何とかしてと訴えており、それで犬を追っ払ったらすぐに泣き止んだ。…
大人になったあとも、家の中に入ってきた蟻やハエ、クモさえも殺さず、
家の外にそっと出していた、と続きます。
 
このくだりを読んで、私はふと、まど・みちおさんを思い出しました。
そして二人の非凡なる詩人に共通していたのが
「いきているもの」に対する眼差し、
その根底にある「驚異(タウマゼイン)」だったことに、
激しく胸を打たれました。

タウマゼイン(驚異、驚愕)というギリシャ語は、ウィキペディアに出ている例を出すと
「 ふと空を見上げた時、そこに無数の星々を見る。何とはなしに、こんなことを考える。
「この星々はいったいどこから来たのか、この世界はどこまで広がっているんだろうか、
この広い宇宙の中で、なぜ私はここにいるのだろうか、そもそもなぜこういう世界があるのだろうか」
こうしたことを問うた時、そしてそこに自分の知的理解の及ばない問題があると気づいた時、
人はある種の「驚異」を覚える。こうした驚異のことを、哲学者たちはタウマゼインと呼んできた。

哲学も化学も文学も、すべて驚き「A」「ああ!?」から始まったのかも?

ここでいう驚きは、単に珍奇なこと、未知への好奇心や興味を指すのではありません。
もっと本質的で根源的な「存在することに対する驚き」です。
まど・みちおさんの詩には、その「存在驚愕」が、分かりやすい言葉で、たくさん出てきます。
かつて、朝日新聞の天声人語で取り上げられて一躍有名になった、
「ぼくが ここに」は、その代表かも知れませんが、
それ以外にも「カ」とか「木」とか、動物、植物を問わず、
それらの詩を貫いているのは、存在することへの畏敬の念です。

《りんごが ひとつ/ここに ある/ほかには/なんにも ない//
ああ ここで/あることと/ないことが/まぶしいように/ぴったりだ/》「りんご」

今、世界中で起きている天災、人災、争い、複雑に絡み合った問題や困難等々、
それらは見方を変えれば、多くの犠牲を払いつつも、
私たちを成長へと導くものかもしれません。
そしてそのほとんどは遠くの出来事であり、我が身に降りかからない限り、
真剣に向き合うことも少ないのです。
来週半ば、EU離脱、続発するテロ、火災等々、熱波に揺れるイギリスに出かけます。
日常のロンドンは下の画像に見られるように、6月には稀な暑さの中、
子どもたちがボートの練習に励む風景もありのどかですが、
当然周囲からは、大丈夫?という声がかかります。
けれどそこは恐怖や不安ではなく、
畏敬の念、タウマゼインという言葉を思い出しながら、
異国を旅してこようと思います。そのご報告はまたブログで。
皆さま、どうぞよい時をお過ごしください。
蟹座新月の日に

初夏のクロイツニュースから

5月、まばゆいばかりの新緑、木々の梢は、高みへと伸び、私たちの眼差しを空に誘います。普段、空を見上げることの少ない人も、この季節ばかりは、ついつい遠くを眺めてしまうのではないかしら。
 GWに娘たちがイギリスの自然遺産、ジュラシック・コーストを訪れたと、青い海の画像が届きました。冬並みの寒さと曇天が続いていたにも関わらず、奇跡的に晴れたのだそう。
こんな深い青を見ると、谷川俊太郎さんではないですが、あゝ、ふるさとは海のかなた、なんて言葉が浮かんできます。周辺ではアンモナイトの化石がいっぱい見つかるのだとか。三畳紀やジュラ紀に生きた首長竜や爬虫類を想像しつつ、春から夏へ、桜、藤、栃、栴檀(せんだん)など、梢を彩る花を透かして見る空に、「我がふるさとは空のかなた」などとつぶやいてみたりしています。

目が覚めた時、ふいに、言葉とかイメージが浮かんでくることってありませんか?

私は、毎日じゃないけれど、割とあります。
決して夢の続きなどではなく、突然、ふっと、です。
眠っている間に、見えない世界で、お叱りを受けたり、励まされたりしているのか、
コトンと何かが落ちてきたように答えが出たり、
思ってもみなかったアイディアが浮かんだり、覚悟が決まったりします。
日程を決めかねているような時に「月を使え~」なんて聞こえてくるわけです。
かなり、あやしい話しですけれど、これホントです。

それで、私の「今朝のお告げ」(笑) は、
なぜか「セントーリー」という植物の名前でした。
その言葉に目覚め、微睡みながら、
それは「余裕がある」ってことだ、とぼんやり考えました。

バッチフラワーで、セントーリーと言えば、
「親切で優しく他者に尽くす気持ちが強すぎて、
自分のニーズを無視しているうちに、人の言いなりになってしまう」
ネガティブな状態を指します。

私は横になったまま、朦朧とした頭で、
相手を優先させることは、自分は切羽詰まっていない、
いいよ、と受容できるのなら、それは余裕ってものだなあ、と
とりとめもなく、思いを巡らしていました。
だからといって、いつもというわけにはいかない。
常に他者を優先していたら、相手の成長の機会を奪うことになるし
なによりも、自分で自分を虐めていることになる。
そう、献身の気持ちは持ちつつ、適切な自己主張がポイント!

そこまで来たとき、急にハッと覚醒しました。
え!?なんで、セントーリーなの?と、自分に問いました。
はて、今の私って、何か、言いたいことが言えないでいたかしら?

さしあたって、思い当たることはありません。

でも、まだ形を取ってはいないけれど
私の無意識の海の中から浮かび上がる泡のように、
何かが声を上げようとしているのかもしれません。

誰にでもあることだと思うけれど
たとえば、先送りしていること、
たとえば、諦めていること、
たとえば、状況を見過ぎていること、
たとえば、本来の目的から外れている責任や義務など、

ゆっくりと考えてみなければなりません。
振り返り、自分への問いを立て、ゆっくりと考えてみましょう。

何せ、これはお告げなのですから ね。
それでは、また!

下の画像はセントーリー(Centaury)
リンドウ科 シマセンブリ属 和名ベニバナセンブリ

ブラームスはお好き?

私が初めてブラームスという名前を知ったのは、多分、母が歌う子守歌からだったと思う。当時にしては珍しく西洋音楽好きだった母は、毎夜、子守歌を歌ってくれたが、それが日本の子守歌ではなく、シューベルト、ブラームス、モーツァルトなどなどだった。私はモーツァルトの子守歌の、♪~月は窓から~銀のひかりを~そそぐこの夜~♪、というところが特に好きで、しつこくリクエストをしたものだ。

 

1954年、フランス実存主義の影響を色濃く持つフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」が、弱冠18歳の若さで世界的なベストセラーとなった。その5年後に書かれたのが、「ブラームスはお好き?」だった。中学生になっていた私は、なぜ、モーツァルトではなく、ブラームスなのだろう、と思いながら、むさぼるように読んだ。

 

それから何年経っただろう。1977年の春、サンフランシスコのオペラハウスで、アシュケナージ指揮のブラームスを聴く機会があった。ワクワクしていたのも束の間、演奏が始まると間もなく気分が悪くなり、もう聴くどころではなかった。ブラームスを聴く時は事前の食事をしてはいけない。気をつけようと思った。それにしても、もったいないことをしたものだ。

 

木曜日、豊田あげつまクリニックのホール、ノバリウムで、県芸の教授陣による「ブラームス室内楽の夕べ」のコンサートがあった。デュメイのCDを聴いて好きになった、ヴァイオリンソナタ第1番と、あまり知らないピアノ四重奏曲第2番だ。渋い...なんてカッコいいプログラムだろう。そうそうたる演奏者たちの奏でる響き、円熟、重厚、軽妙洒脱~教授、准教授ともなれば、後進の指導が大きな仕事であろう彼らが、表現者だけで生きていただろう若かった頃とは、おそらく違う世界を見せてくれている、なんて贅沢な至福の時間だろう。。。

参りました。

 

ブラームスはお好き?

もし、特別にお好きじゃなくても、

ぜひどうぞ。

 

ブラームス室内楽全曲演奏プロジェクト

2017/5/23(火)18:45

ザ・コンサートホール 名古屋伏見

フランソワーズ・サガン(1935-2004)

富裕な家庭の第3子(末子)としてフランスに生まれる。18歳のデビュー作で世界的名声とともに巨額の富を得る。莫大な収入を得たものの浪費も激しく、 酒、たばこの他、自動車事故で重症を負った時の痛み止めのモルヒネから麻薬中毒となり逮捕されたこともある。

 

ユーミンの「セシルの休日」に出てくるセシルは、サガンの「悲しみよこんにちは」に出てくる主人公の女の子、ということを知ったのは、ずいぶん後の話しです。


4月のクロイツニュースから

4月、いつものメール配信からメルマガへの切り替え作業が手間取り、クロイツニュースのお届けが遅くなりました。皆さま、ごきげんいかがでいらっしゃいますか? この辺りでは桜も咲き終わり、芽吹きの季節となりました。痛々しいほどの新芽が、日に日に普通の若葉になっていくのを見ると、その鮮度を留められないことに、なんだか切ない思いがしてなりません。生きているものは、みな移ろっていくのは当たり前のことですが、生命が溢れる春ほど、それを感じさせられるときはないのかもしれません。ホリーの花に蜂が集まり、スターオブベツレヘムの花も開き始めました。植物たちとともに、春をしばらくとどめ、楽しみたいものです。 

4月、新生活が始まった方も多いことでしょう。引っ越しを重ねていると、自然に身の回りの取捨選択がされていきますが、私のように同じ場所に30年以上も住んでいると、いつしかどっさり、暮らしの澱のようなものが溜まっていきます。家族が増えては、またやがて減っていくプロセスで、その都度、整理整頓をしていかねば、決して片付かないわけです。とはいえ、独立していった子どもたちの、物置部屋みたいなところもあって、一家を抱合している実家のような存在は、私個人だけでは決めきれないものも多く、なかなかすっきりとはいきません。

私自身、整理が嫌いなわけじゃないですが、正直に言うと、断捨離を掲げることにはちょっと抵抗があります。無駄も捨てがたい。無駄があってこそ、味があろうというもの。箪笥の肥しには安心感があるし、捨てられないメモ書きも、時には重要な意味があるかもしれない。働かないアリ理論なんてものもあるじゃないですか、というようなことを考えていたある日、ここ何年か、折にふれ、思い出そうとして出てこない言葉がありました。それは「回心」、確かメタなんとかって言うんだったよなあ、とおぼろげな記憶を辿っても、どうしても出てこなかったものが、ふと会話の中に入ってきて、それが糸口になってググってみたところ、「メタノイア」という言葉だと分かりました。ああ、すっきり。

その翌日のことです。毎日使っているファイルの引出しに、古い手帳が入っているのに気づき、何気なくしおり紐の挟んであるところを開けてみたら、な、な、なんということでしょう。そこには 私の字で、「メタノイア 回心 ギリシャ語」と書いてあるではありませんか!

それは2000年の手帳でした。私ったら、17年前の手帳をいつも使うところに入れていた、かつ、しつこく思いだそうとしていたことになります。今でこそすぐに答えは得られそうですが、17年前のことですから、その過程ではググるという言葉も発想もなかったのです。それにしても興味深いのは、答えが分かった途端に、それまで隠してあった答案用紙が、ひらりと出てきたみたいな感じです。いったい誰が隠して、誰が出したの?と思わず聞きたくなります。もちろん、この手帳を処分していたら、この面白さは味わえませんでしたけれど。

4月、何か新しいことを始めたくなる季節でもあります。自分の身辺を見回して、捨てるもよし、まだまだとそばに置いておくのもよし、すべてそれらにはベストなタイミングがあって、その「時」を捉えることの方が重要な気がします。

年の初めに思うこと

 

2017年は酉年

あちこちに「飛翔」、「羽ばたく」などという

鳥にまつわる言葉が書かれている。

 

BFRP東海御用達、名古屋市東山植物園の

動物園エリアが鳥インフルによって

12月から閉鎖になってしまった。

動物たちにとっては、

きっと静かなお正月に違いない。

 

思えば私は鳥が大好きだ。

外国航路に乗っていた叔父からお土産に

体長30センチ位のキボウシインコをもらい

「ワイワイ」と名付けて、肩に乗せたり話をしたり、

よく遊んでもらった!?

(物まねがとても上手で、私の名前はもちろんのこと、母そっくりの声音で、電話の応対などお手のもの)

今ではワシントン条約で規制されているので

あの頃のように簡単に手に入らないかもしれない。

 

私のワイワイは風切り羽を切られていて

室内程度しか飛べなかったけど、

翼を広げて飛翔する姿に、

強烈な憧れを持ってしまうのは

いったい、どこから来るのだろう。

 

フィギュアスケートのジャンプ、

バレエや、パラグライダー然り、

トンボや蝶々などなど、

私たちは重力を克服することに

とてつもなく魅力を感じているらしい。

 

それは、人間の身体を超える、ってことだから?

 

いつか、どこかで

飛んでいた、いや、浮遊していた

意識の名残か...

 

身体を持った人間の私たちは

しっかりと蹴ることのできる大地があってこそ

飛ぶことが可能になる。

 

さあ、私よ、しっかりと大地を蹴って歩こう。

今、在ることを味わいながら。

 

 

クロイツでのバッチ国際教育プログラム

水星のマーキュリーは翼の生えたブーツと帽子が目印

 


移行の季節

秋の植物観察会2016~東山植物園で

 来る日も来る日も雨か曇り空~これではイギリス人じゃなくても、お天気でゴース(希望を失くした時に使うバッチのレメディ)になっちゃう、と笑い話ではなく本気で思うほどでしたが、ピンポイントで雨が上がったのはスゴイ!

 今日で9月も終わり、夏でもなく、秋でもない。そんな移行の季節の植物たちはどんな表情をしているのでしょうか?

 新旧取り混ぜて集まった10人で、いつものコースを植物に挨拶しながら回ります。先発隊のチェックの通り、春までは、雑草扱いだったクレマチスが、観察者(私たちのこと)が押し寄せたからか、「センニンソウ」と小さな白い名札をつけてもらっていました。よかったね、エッヘン!名前が付くとちょっと格上げした感じです。オークはドングリをいくつかつけていますが、剪定のきつかったハニーサックルはちょっと淋しい。

それにしても、なんだかさえないのはお天気のせい?

いまいちジミ~な雰囲気が植物園内に漂っています。これって移行期だから?

 

季節ごと、当たり前のように姿を変える植物。花から種に、種から花にメタモルフォーゼ!(すべてクレマチス)

子どもでも、乳歯と永久歯とが生え変わる頃とか、ツクツク背が伸びていくときとか、縦横のからだのバランスがちょっと変に整わない時期、可愛いんだけど、妙に不細工になったりします。私たち現代人は、できるだけピーク(若さ)の丘を長続きさせたい、って思っていますが、それってホントにいいのかな、と時々自問自答します。特に植物の変化を見ていると、人間だけが同じところに止まっていられるわけがない、と思うわけです。つまり宇宙と呼応するように、植物は季節のめぐりを知っていて、ちゃんと次の段階に移行していくけれど、人間は特別で、外見は若さを保ったまま、内的に成熟できる? のかな。いやあ、そうじゃないでしょ。内的にも成熟したくない人もいるかもしれないけれど、昨日より今日がよくなろうとするのが自然の摂理。そのために次の扉を開けるには、何かを手ばなすというのは、浦島太郎に限らず昔からのお約束。


 

 一番きれいな時っていつなんだろう。花が咲くころ?

そう、花が咲くとみんな目が惹かれる。きれいな色がパッと辺りを染めて、香りもして、虫を呼び寄せる。植物は様々な方法で次の世代につながっていくけれど、受粉した途端に、色も香りも目的を果たしたかのように収縮へ向かう。

 誰もが知っている、花の美しさは永遠じゃない。

 永遠じゃないからこそ、美しい。

 それも誰もが気づいていること。

 

 

 

 じゃあ、移行期って本当にさえないのかな。ただ、見る目がないってことなんじゃないかな。私の中にある、きれいの基準が、花とか若さとか可愛さとか、スマートさとか、そういったものしか認めていなかったら、当然見落としている「美」があるってことだもの。

 そう思っていたら、今回、素敵な発見が、スィートチェストナット(栗)をスケッチしていた仲間から、もたらされました。ほら、栗のイガの頭のところ、雌花の名残が見えるでしょ。雌花の下が栗の実!!そしてイガイガの形の美しいこと。まるで1本1本が木のようで、みんな、目をキラキラさせて見入りました。見る目があれば、世界はどんどん美しくなるのかも。

 

BFRP東海のブログで、植物観察の詳細をご報告しています


予期せぬ出来事

子育てフェスタが終わって一段落

次に控えていることを考えていたからか、

昨夜からとてもハイパーになってしまった私、

睡眠時間が一気に減ります。

朝からテンションが上がり、仕事がはかどる!はかどる!

 

窓を開けることも、何か食べることも忘れて

夢中でPCに向かっていましたが

Hさんが出かけることもあって、作業を中止、

朝食をつくりはじめました。

 

朝のお決まりメニューは

まずはケールと林檎とバナナのスムージー、

キッチンの扉裏にある包丁入れから

ぺティナイフを取り出すと

パン切ナイフがひっかかって

アッと言う間もなく、垂直に私の足の上に!

 

イテテ・・・落ちたところが切れて出血・・・

あゝ、パン切ナイフで助かった!

大したことはありません。

まずはレスキューレメディを飲み、きれいにふき取った後

周辺にレスキュークリームを塗って絆創膏を貼ったら、

それでおしまい。一件落着となりました。

が、

もし逆だったら、と思うとぞっとします。

ぺティナイフの先端は鋭利です。

あの角度で落ちたのなら、きっと刺さりました。

好事魔多し。調子に乗ってるとき

案外、事故が起こりやすいものです。

 

そうそう、天使が私を蹴飛ばして足をすくったかも。

こんな時は無理は厳禁。

今朝は久しぶりに雨が降っています。

少し落ち着いて歩調を緩めましょう。

ほんと、ほんと、ありがとう。 


帰りました!

揺れるイギリスを映すかのように

いつも以上に不安定で。ころころ変わるお天気、

EU残留か離脱を問う国民投票では

スコットランドの時のように

結局は「残留」だったね、のはずが、

期待は裏切られ、どよめくロンドン、

やり場のない気持ちも晴れると

楽しみにしていたユーロカップでは

まさかのアイスランドに敗退。

 

世界で最もお金持ちといわれるイングランドチームが

パートタイマー選手さえいる

アイスランドチームに負けたとあっては

ますますがっくり。

窓に貼られたREMAINの文字もイングランドの国旗も

ひっそり姿を消しました。

 

そんな歴史的瞬間も、今のところは対岸の火事で

今回はウェールズへ

そして前回行けなかったキューガーデンへ。

毎度のことながらの歩いて歩いての植物三昧の旅。

で、あっという間に帰国となりました。

帰国便はフランクフルト乗継ぎで、初のロンドンシティ空港から。

コンパクトでビジネス仕様。まだ工事中のところもありましたが

市内からも近く便利な空港です。

初めてって、ちょっとドキドキしますね。 


行ってきます!

 

EU離脱か残留かで、揺れるイギリスに、

ドンピシャ国民投票めがけて、行ってきます。

といっても、決して

狙ったわけではありませんが。

 

おりしも6月のバイオグラフィーワークでは

鉄の女、マーガレット・サッチャーの

人生を取り上げたばかり。

彼女が、欧州寄りではではなかったのはなぜ?

案外イギリス人にとっては、普通のことなのかもしれません。

東洋人には、理解不能なところがありますが。

歴史的瞬間に立ち会うか?

 

ともあれ、今年の旅の目玉はウェールズ

バッチ博士が初めてレメディに相応する植物を

見つけたアスク川流域を訪ねます。

 

またぼちぼちと、旅のご報告をいたします。

 


やさしい子らよ

やさしいちちと

やさしいははとのあいだにうまれた

おまえたちは

やさしい子だから

おまえたちは

不幸な生をあゆむのだろう

   池井昌樹 絵本『手から、手へ』より抜粋

 

3月末、ブログに「人生にYES!」を書きながら

なんとなくすっきりしない私に

1冊の本が届きました。

 

昭和の家族写真のようでいて

どこか、「あの世」的な「永遠」を思わせる

植田正治さんの写真とともに構成された

『手から、手へ』池井昌樹さんの詩集です。

 

どんなにやさしいちちははも

おまえたちとは一緒に行けない

どこかへ

やがてはかえるのだから

 

人によっては、やさしさだけではなく

むしろ、物心つかないうちから、

たとえ、それが愛にくるまれていたとしても

「NO」ばかり、言われて育つこともあります。

そういう場合、私たちは、

自分が傷つかないよう、無意識に

見かけ上の「YES」を言って、

辻褄を合わせたりもするのです。

 

おとなになっても、

外側からの「YES」が、ほしくてたまらない。

人の顔色が気になる。

人から評価されたい。

 

でも本当に必要なのは

内側から満ちてくる「YES」なのでしょう。

 

汲めども尽きぬ泉のように

たとえ、やさしさだけを手渡されたとしても

内なるYESをつぶやくことは

まことにむずかしい。

 

でも、この詩が語る言葉のように

 

怯んではならぬ

憎んではならぬ 

悔いてはならぬ 

 

やさしさは「ちまみれのばとん

 

どんな苛酷と思える人生にも

「YES」が言える。

それを支える一筋の光

それを人は私の中の「わたし」というのではないかしら。

 

ベルト・モリゾ「ゆりかご」1874
ベルト・モリゾ「ゆりかご」1874

準備ができた?

この家に住みはじめてはや33年

庭の真ん中にある欅は2階の屋根をとっくに越えた。

見上げても届かない空の上で、今、芽吹きが始まっている。

毎日、毎日、

来る日も来る日も、私はその木を見てきたけれど、

その木も、ずっとそこに居て、

私を、家を、私の家族を見ていたのだ。

家族は、その木が大好きで

晴れた日にはその下で食事をし、子どもたちは遊んだ。

その周りで歌い、走り、落葉をかき集めて焚火もした。

 

欅は何を思っているのだろう。

 

今、ツリープロジェクトでその欅を観察している。

観察し、スケッチを重ねていると

見てきたつもりで、全然見ていなかったことに気づく。

そう、こんな風に観てはこなかったのだ。

 

スケッチブックの真っ白な一ページに

柔らかい黒鉛筆で、ていねいに欅の冬芽を描く。

どの冬芽の下にも必ず葉痕(葉の落ちた痕)がある。

つまり新しい芽は前年の葉の付け根(葉腋)に出来る。

 

スィートチェストナットやオークのように

冬芽が出てきても、なかなか葉が落ちない木もあるけど

普通、広葉樹は、

冬芽ができると安心したかのように葉が落ちる。

「準備ができたね、それでは行くよ」というように。

 

ふと思う。私達にも同じことが言えるのかも。

それに気が付いていないだけで。 

立派なハルニレの木(札幌で)
立派なハルニレの木(札幌で)

人生にYES!

先日、久しぶりに会った少女が、

とても美しくなっていて、びっくりしました。

聞けば、希望の高校に合格したとのこと。

おめでとう! 身体中から自信があふれています。

 

あぁ、そうか。

人生がわたしに、「YES」を言ってくれた時

こんなふうに輝いたものだった。

  

  少女よ、

  今のあなたには、届かないだろうけど

  人生はいつも、あなたに「YES」と

  言ってくれるとは限らない。

 

どんなことがあっても、どんなに傷ついても、

何もかも失ったとしても、無数の涙のあとで、

それでも、人生に「YES」と言える自分になる。

 

痛みや悲しみの向こうにしかない

自分だけの「YES」を

あなたが人生に対して言う

その変容の瞬間を経て

人生は真に輝き出すのだから。

 

 

Knaus 野原の少女
Knaus 野原の少女

霧の中で思うこと

今朝、目が覚めると、外は真っ白だった。

雪ではなく霧......

何も見えません。こんな霧は久しぶり。

  

  いつも見えるものが見えない

  って、ちょっとこわい。

  境界がわからない。

  って、こんなに不安になることだったのか。

  

すごく前だけど

季節は今頃

鳥羽のパールロードを走っている時

深い霧にあってしまった。

あの道は、海にせり出すようにカーブが続く。

いつ海に落ちてもおかしくない、と

冷や汗をかきながら、

必死でハンドルにしがみつく。

 

なんとか抜け出た時はヘロヘロでした。

脱力・・・

 

道路を踏み外すことは、とても怖いのに

見えない世界の境界を越えることに

わたしたちは、無頓着。

 

自分の分をわきまえなかったり、

人の領域に勝手に踏み込んだり、

自分の感情のありかを見失うことも日常茶飯事。

 

見える世界から学ぶ事は、

なんてたくさんあるのでしょうか。

 


お正月

あけましておめでとうございます。

新しい年を迎えました。

昨日と今日の間には、何の変りもないはずなのに

ダイニングの窓辺に差し込む光までも、

なにかしら

あらたまってみえるから不思議です。

 

私は年末からの風邪が年が明けても治らず

おかげでぐうたらしたお正月になりました。

睡眠を十分にとり、ゆっくりのんびり。

窓からはおひさま燦々。ゴキゲンなお正月です。


親子の対話

上の画像はすべて

東山植物園のハニーサックル

蕾から開花、結実、そして・・・

先日、娘とスカイプで長話をしたやり取りを

友人たちに話したところ、一瞬、沈黙。

「親子じゃないみたい」と言われて、

びっくりしてしまいました。

「え~どこが?」という私に

「だって、親子なら、もっと、モロな感情が出るもんでしょ。」とのこと。

なるほど! そういえば、見かけによらずクールだよね、とも言われる。

 

で、つらつら考えてみると、

これは、やはり子育ての途中から遠距離になったせいかも。

 

第1子の長女がイギリスに行ったのは1993年の秋、

13歳になったばかりのことでした。

思春期前期、不安定さの真っただ中。

今のようにラインもスカイプもなく、それどころか、

まだ携帯もインターネットもありません。

国際電話のコレクトコールにヒヤヒヤしながら、

ちょっとした愚痴や苛立ちに、じっと耳を傾ける。

口を出したくなる時もあるけれど、

ガマンガマン、ただ寄り添うだけ。

母親の不用意な言葉は、他人以上に傷つけることもあります。

近くにいれば、修正可能かもしれない。

でも、離れているから、自然に、

迂闊な言葉が出なくなりました。

 

不安から、怒りから、親は子どもに、本当の気持ちではなく

感情的な言葉を投げつけてしまうこともありますが

それが本来の家族らしい会話だとしたら、私たち親子は?


どの家族にも対話には特有のスタイルがあります。

好き勝手に思ったことを言い放てる親子、

ある意味、その正直さ、無遠慮さが、ちょっと羨ましい。


距離と時間がつくった親子の対話のかたち。

とにかく、私の「聴く力」は子どもたちによって

育てられた、ってことらしい。



美術館を梯子する

10月、11月と、ちょっと頑張った自分へのご褒美に、

今回は、春頃から固く心に決めていた

没後20年―調和の器‣永久の憧れ

「ルーシー・リー展」に、姫路市立美術館まで行ってきました。

 

そればかりか、ここまで来たなら、スルーは無理でしょ、と

兵庫県立美術館の「パウル・クレー だれにもないしょ」まで

一日で回る計画。 ちょっとやりすぎ。

 

初姫路です。雨に煙る白鷺城をめざして、11時過ぎには美術館到着。

赤レンガの落ち着いた美術館、中は強靭な糸をピーンと張ったような静謐な空間、

初期の1921年~の作品から1990年88歳までの作品 200点が展示されています。

宇宙を閉じ込めたような青いボールがまっさきに目に飛び込んできました。

ひとつ、ひとつ、対話するように見ていくと

あっという間に3時間が経っていました。なにも食べていないのに、お腹がいっぱい。

食事をする間もなく姫路を後に、大急ぎで神戸三ノ宮へ向かいます。

すでに3時を回っています。がらりと雰囲気が変わって、現代的な兵庫県立美術館。

ここは、4月にホドラー展を観にやってきたところ。

そういえば、あの時もチューリッヒ展と、美術展の梯子をしましたっけ。


こちらもまた、とても力ある美術展でした。

 謎かけ、謎解きをしているような作品群。

強いまなざしのクレーも印象的でした。

異なる世界の間を行き来するパウル・クレー

この世で僕を捉まえることはできない/僕は死者たちのもとに/

そして未だ生まれていない者たちのもとに住んでいるのだから/

クレーの絵を観ていると、もう絵画の世界には、

新しいものは生まれないんじゃないか、と思わずにおれません。


それにしても、少々くたびれました。

子育ての行方

2015/9/29 ミカエル祭の満月
2015/9/29 ミカエル祭の満月

9月、末娘の誕生日が来て、

私の3人の子ども達全員、30代になりました。

もうみんな、すっかり大人です。

 

18年前、金木犀の香る美しい秋の日に

夫は、私と3人の子どもを遺して

旅立っていきました。

振返れば、大変な時もありましたが、

それぞれみんなよく頑張りました。

子どもたちは、まだ幼かったのに、

誰一人、それについて、

文句を言わなかったのは、えらい。

 

何があっても、それはそれとして、自分の人生を引き受けること。


子どもたちは、見える父親は失ったけど

見えない父親が、とてもいい教育をしてくれました。

 

死者と生者の協力で、この世は成り立っている、と思えば

自力だけで、ことが成されるわけでないのは当たり前。

 

なにもかも、すべてのことに、ありがとう

 

この澄んだ秋の空気の中で、冴え冴えとする心を抱いて

私を追い越していった子どもたちの後ろ姿を

楽しく思う此の頃です。


勢いに負ける

ただいま格闘中、なんとって?


樟の古葉、葉苞、花粉の掃除に始まり

コナラやヤマモモの雄花、欅の花粉

木の花は、目立たないけれど、大量です。


花が咲き始めたころのコナラは

繊細なレースが揺れているように綺麗だけれど

あっという間にこんなふうに、屋根も樋も通路も埋まります。

屋根の上に積もった花殻を掃きよせていたら

生まれたて?細い白い蛇までも一緒に落ちてきました。

向こうも驚いただろうけど、こっちもびっくり。

ヤモリもトカゲも驚かないけど

さすがに突然落ちてこられるとギョッとします。

 

少し庭に出ているだけで、蚊は寄ってくるし

いろいろな種類の蜂がぶんぶん羽音をたてています。

この間までは、ほとんど草も生えていなかったのに

もう足の踏み場もありません。


今年こそ、頑張る!!

早春の決心は、もろくも崩れ去ろうとしています。

あゝ、今年も、この植物たちの勢いに負けてしまうのか。。。


庭をきれいにできる人って、心から尊敬します。

 

ひとやすみ

世の中はゴールデンウィークです。

どこを見てもまばゆいばかりの新緑!

不安定だったお天気もこのところすっかり落ち着いて

気持ちのいい、洗濯日和が続いています。

 

4月から始まった毎週のPTTコースも

前半の3回を終えて、連休明けまでひとやすみ。

とはいえ、5月に入るとバイオグラフィーワークが待ったなし。

今のうちに、準備のための本を数冊読んでおきたい。

チャート作りに観察ノートのまとめ。

考え始めると、うかうかしていられません。

 

こんな素敵な季節に、PCにかじりついてるなんてと、

思いつつ、家の中でじっとしてるのも、案外好きなんだなあ。 


さあさ、ひとやすみ、ひとやすみ。

 

忘れな草も咲きました。

 

わすれなぐさ

絵からリズムが

忙中閑あり!(ホントかな)


神戸までホドラー展に行ってきました。


東京ではタイミングを逃し、この忙しさではもう無理と

ほとんど諦めかけていたところ

長距離バスで行こうよ、私も、もう1回行ってもいいよ、と

東京ですでに鑑賞済みのHirokoさんの言葉に誘われ、

ひょこっと空いた一日、バスで行ってきました。


あゝ 行けてよかった!!

ありがとう~


ドクン、ドクン、ドクン

絵の前に立っていると、空間が波打つように、

こっちまで共振し始めます。


な、なんなんだ。この感覚は。

「感情Ⅲ」1905 ベルン州美術コレクション

このタイトル、意味が分からない。

ホドラーによれば「どんな感情も身振りを持つ」とのことですが


「オイリュトミー」 1895 油彩カンヴァス ベルン美術館

 

これをオイリュトミーというの?

オイリュトミーとは、ギリシャ語で美しいリズム、調和あるリズムという意味。


シュタイナーの運動表現芸術誕生以前に

ホドラーは何をもってオイリュトミーと呼んだでしょう。

 

「自然の形態リズムが感情のリズムと協同すること、交響すること

わたしはそれをオイリュトミーと呼ぶのだ」ホドラー

 

「悦ばしき女」 1910年頃 ベルン美術館


これはまさしくオイリュトミーのイメージそのもの

 

「感情」によって動かされる「身体」、

あるいは「身体」によって動かされる「感情」にかたちを与え

そこに生起するリズムを描き出す。

「木を伐る人」 1910年 ベルン、モビリアール美術館

1911-1958流通 50スイスフラン紙幣の原画

びゅ~んと、すごい力で、身体ごとうねりを挙げていそうです。

兵庫県立美術館の水辺に面したカフェで、

たった今見終わったばかりのホドラーを語り合う。


生きているもの、死んでいるもの

リズムによって吹き込まれるいのち


ホドラー 1853-1918

シュタイナー 1861-1925

バッチ 1886-1936

他にも、多分いっぱい。

19世紀末から20世紀初頭、この時代に

大きな精神性のムーブメントがあったことを、

今更ながら思います。