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初夏のクロイツニュースから

5月、まばゆいばかりの新緑、木々の梢は、高みへと伸び、私たちの眼差しを空に誘います。普段、空を見上げることの少ない人も、この季節ばかりは、ついつい遠くを眺めてしまうのではないかしら。
 GWに娘たちがイギリスの自然遺産、ジュラシック・コーストを訪れたと、青い海の画像が届きました。冬並みの寒さと曇天が続いていたにも関わらず、奇跡的に晴れたのだそう。
こんな深い青を見ると、谷川俊太郎さんではないですが、あゝ、ふるさとは海のかなた、なんて言葉が浮かんできます。周辺ではアンモナイトの化石がいっぱい見つかるのだとか。三畳紀やジュラ紀に生きた首長竜や爬虫類を想像しつつ、春から夏へ、桜、藤、栃、栴檀(せんだん)など、梢を彩る花を透かして見る空に、「我がふるさとは空のかなた」などとつぶやいてみたりしています。

目が覚めた時、ふいに、言葉とかイメージが浮かんでくることってありませんか?

私は、毎日じゃないけれど、割とあります。
決して夢の続きなどではなく、突然、ふっと、です。
眠っている間に、見えない世界で、お叱りを受けたり、励まされたりしているのか、
コトンと何かが落ちてきたように答えが出たり、
思ってもみなかったアイディアが浮かんだり、覚悟が決まったりします。
日程を決めかねているような時に「月を使え~」なんて聞こえてくるわけです。
かなり、あやしい話しですけれど、これホントです。

それで、私の「今朝のお告げ」(笑) は、
なぜか「セントーリー」という植物の名前でした。
その言葉に目覚め、微睡みながら、
それは「余裕がある」ってことだ、とぼんやり考えました。

バッチフラワーで、セントーリーと言えば、
「親切で優しく他者に尽くす気持ちが強すぎて、
自分のニーズを無視しているうちに、人の言いなりになってしまう」
ネガティブな状態を指します。

私は横になったまま、朦朧とした頭で、
相手を優先させることは、自分は切羽詰まっていない、
いいよ、と受容できるのなら、それは余裕ってものだなあ、と
とりとめもなく、思いを巡らしていました。
だからといって、いつもというわけにはいかない。
常に他者を優先していたら、相手の成長の機会を奪うことになるし
なによりも、自分で自分を虐めていることになる。
そう、献身の気持ちは持ちつつ、適切な自己主張がポイント!

そこまで来たとき、急にハッと覚醒しました。
え!?なんで、セントーリーなの?と、自分に問いました。
はて、今の私って、何か、言いたいことが言えないでいたかしら?

さしあたって、思い当たることはありません。

でも、まだ形を取ってはいないけれど
私の無意識の海の中から浮かび上がる泡のように、
何かが声を上げようとしているのかもしれません。

誰にでもあることだと思うけれど
たとえば、先送りしていること、
たとえば、諦めていること、
たとえば、状況を見過ぎていること、
たとえば、本来の目的から外れている責任や義務など、

ゆっくりと考えてみなければなりません。
振り返り、自分への問いを立て、ゆっくりと考えてみましょう。

何せ、これはお告げなのですから ね。
それでは、また!

下の画像はセントーリー(Centaury)
リンドウ科 シマセンブリ属 和名ベニバナセンブリ

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