なんじ自身を癒せ エドワード・バッチ著(バッチホリスティック研究会刊)
第2章 まず病気の性質を理解するための真理、「5つの大原則」を確認するところから始まりますが、参加メンバーによって、毎回フォーカスされる箇所が微妙にちがうのはとても興味深いことです。以前は通り過ぎてしまっていた箇所に線が引かれ、回を重ねるごとに線が増え、いつの間にか線だらけになっているページもあります。グループで読むことは、なんとまあ、一人で読むのとは別のよさがあることでしょう。
第1の原則
身体は「魂」の地上における神殿ですが、そのもっとも小さな反映でしかありません
バッチは出発点として、まず人間の構成要素を明らかにしています。人間は物質的な身体だけの存在ではなく、その本質は「魂」であり、それは永遠の不死なる高次の自己、その神性の反映として見ることができるのが私たち各々の身体だというわけです。私たちはその身体を持ち、人間として地上に生きているとして、魂と身体はどのような関係をもっているのでしょう。
第2の原則
「魂」は私たちにそうさせるためには、どんな環境と状況が最善であるかを知っていて、その目的に最もふさわしい生命の枝に私たちを配置するのです。
このくだりは「人生を引受ける」という視点がとっても好き。渡辺和子シスターの著書『置かれた場所で咲きなさい』に通じます。まず人間の根本は魂で、その反映である身体を持って生きる私たちの、自分が「自分」だと思っているのは、低次の自己、人格(パーソナリティ)と呼ばれるものだとしています。
人間はその魂の願いから、あらゆる知識や経験を通して、自分に欠けている美徳を発達させ、より完成に近づくために必要な条件を満たす、最もふさわしい場所に自分を生まれさせるというわけです。それには、先に生まれている人たちとの関係も出てくるのですが、とにかく、時代や地域、環境、そして親を選んで生まれてくるということになります。どんな人のどんな人生にも困難はつきものですから、私たち一人ひとり、進化を担って自分の意志で困難な環境さえ選んで生まれてきたとしたら、私たちの魂はとても崇高で勇敢だということです。
第3の原則
私たちが人生だと思っている地上での短い旅は、私たちの進化の過程の中の一瞬...学校での一日のようなもの...
不死であり無限の魂が、その願いを叶えるために必要な、生命の枝に自分を配置し、それを現実化するのに見合った身体に宿って人間となったにもかかわらず、その人生は魂のレベルから見ればほんの一瞬だというわけです。その一瞬かもしれない人生のために、私たちはこれほど苦悩し、懸命になり、時に物理的成功や評価に一喜一憂します。それは決して悪いことではないし、そこを通らないと育たない、その先に行けないものがあるのだとも理解できます。バッチ博士の人間観として、魂や人格を「行為」へとつなぐ身体は、人生の旅に必要な一時的な乗り物、仕事をするための道具ですから、不滅の魂は、課題を果たすために、何度も何度も生まれ変わり、その都度、別の器、別の乗り物である身体を使って生きるということになるわけです。
第4の原則
「魂」と人格が調和している限り、すべてが喜びと平安であり、幸福と健康である。
逆を言えば、魂の声に耳を閉ざし、人格の求めるまま世俗的な欲望に浸ったり、他者の干渉に屈する生き方をしたりすれば、やがて不調和が起こって、幸福や健康から遠ざかるということです。第1章P5・L6で、病気は「魂」と「心」との葛藤の結果 と述べていますから、「人格」とは、心と身体によって合成されたものと理解していいかもしれません。では魂の命じる仕事とは何でしょう。バッチはどんな仕事、どんな職業であってもそこには貴賤がなく、ただそれが、魂の命じる仕事であるかどうかがポイントだと述べています。つまり仕事によって、求められる資質や徳目は異なりますから、自分の人生の学びに必要な仕事をしているなら、それは正しいことになります。でも結局のところ、どんな仕事からでも、自分が人生の意味や目的を持って生きている限り、どこからでも学ぶことはできるようにも思えます。。
第5の原則
万物のユニティ…一体性 不可分に結びついていること、すなわち愛
現代風に言えば、ワンネスとか絆、この世のあらゆるものに愛が宿っており、すべては一つのものから出て一つに戻っていくという考え方です。そこには、変容、メタモルフォーゼが前提とされていると思われます。つながろう、つながっていたいということ自体がすでに愛であって、自分自身に、また他者に対するどんな行為も全体に影響を及ぼす。一部が不完全である限り、完全にはなりえないとうことです。他者の痛みは、自分の痛みではないというのは歴然とした事実ですが、それでも分かりたい、寄り添いたいと思うのは、哀しいほどの愛ではないでしょうか。
以上、5つの原則を前提として、病気に繋がっていく葛藤をもたらす誤りを2つ挙げています。
1.魂と人格の断絶、自分自身が、魂の目的と意味を理解せず、従わないこと。
2.関係性において残酷さや裁きなど、全体「ユニティ」に反する行為。
バッチは「ユニティ」を、太陽とその光線を比喩に美しく描いています。一人ひとりがその輝きを見失わず、全体の完全性に向かって努力を惜しまないことは、現代を生きる私たちにとって、重要な課題に思えます。なぜなら、物質的な成果が尊ばれる社会では、個々が自立し自然に分断につながっていくからです。だからこそ、意識的に、自分にとっての正しいことは、別の人にとって正しいとは限らない、というパースペクティブな視点を理解し、持ち続けることが、新たな一体性に繋がっていくように思えるのです。
病気はそれ自体では恵みです。病気の目的は「魂」の「神的な」意志に人格を連れ戻すことです。またそうだからこそ、病気は防ぐことも、避けることもできることが分かります。
バッチは、人間を魂、心(人格)、身体と3つの観方で捉え、身体に現れてくる病の根源に至ろうとしています。そのために、近代医学を修め、ホリスティック医療の道に進み、免疫学、ホメオパシー、そして最終的にバッチフラワーによって、心のバランスを整えるためのツールを探し求め、完成させたわけです。病に対する考え方は、諸説あると思いますし、それは人それぞれでいいと思いますが、私はこの考え方が好きです。
上記はバッチの人間観を図にしてみました。高次の自我の火花としての魂、一度きりの人生を生きるための一度きりの身体、それをつなぐ心~その能力は思考、感情、意志、まるでバッチフラワーの太陽法でレメディを作っているみたいです。