よく知られていますが、イカルもいろんな歌を聞かせてくれます。。
窓の外に広がる木立に交じって
大きなミズキの木がある。
今朝、ふと見ると
階段状に並んでいる白い花の周りを
何かが飛んでいる。
アサギマダラだ。
ああ、もうそんな季節がやってきたのだ。
*
山麓に住むまでは、
10月下旬、
都会の植物園に渡ってきたとき、
幸運に恵まれた時にしか、
見ることができなかった
アサギマダラ。
でも、この辺りでは
初夏から秋までふわりふわりと
優雅に舞う姿を見かける。
*
冬の間は見えていた南アルプスが
生い茂る木々にすっかり隠れてしまった。
滴るような緑のしずくを浴びながら
巡る季節を楽しんでいる。
春を待つうちに風邪を引いた
家に籠っている間に
巷は春になった。
サクラどころか、もう新緑の季節が来ている。
それでもまだ目覚めない山の春。
*
4月半ば、セリバオウレンに代わって
やっとカタクリが咲き出した。
ミズバショウがあちこちから顔を出し
ハルニレの花も今が盛り。
我が家の窓辺の山桜もちらほら、
ほどけるように華やいできた。
カラマツの枝々は青らみ
霞みだつような芽吹きにうっとりする
*
長い春を楽しむ。
山裾を巡る道は、どこまでも早春
山を背に、里へ下りると初夏
ほんの少し動くだけで
季節を行ったり来たり
なんという贅沢!
春めいたと思っていたら
雪が降り続き
いつになく
木々が華やいでいると
見えたのは雨氷だった。
*
そのまま3月が来て
フキノトウが顔を出しようにも
大地は今も雪に覆われている。
*
待つ
春を待つ
ゆったりと待つ。
木の芽と
鳥たちと
いっしょに
待つことを楽しんで
春を待つ。
こんな3月もある。
この辺りでは
真っ先に
春を告げるダンコウバイの
蕾が膨らみ始めた。
長く雪で覆われていた
大地も少しずつ広がって
あとひと月もすれば
そこここに
可憐な山野草の
花が咲き始める、
はず。
*
キーンと冬の青空に
響いていた音が遠ざかり
いつしか峰々が霞みだす。
*
姿は見えないけれど
どこかの梢で鳥がさえずっている。
ああ、冬が逝ってしまう。
うれしいような
淋しいような
年の初めは、
たとえ、いろいろあったとしても
ひとまず気分があらたまり
夢とか抱負とか、希望といった言葉を
口にしてみたくなるものだけれど。
*
あまりに過酷な幕開けを
どう捉えていいのか、
言葉を失います。
けれど
朝が来て、
日が昇り、日が沈む
太陽や月、星々は変わらず空を巡っている。
それを見ると
やっぱり、試されているのだ
どんな時にも明日を信頼することを。
*
この黄色い花は
希望を失いかけたときの助け手
ゴース(ハリエニシダ)
八ヶ岳自然文化園で
月に1度、定点観察会をしている。
ひとりでは、続かない意志の弱さを
仲間がいると、補ってもらえて
長続きするのは本当にありがたい。
ハードルをあまりあげず、
ゆるやかに、でも決して切らさず
細く長く続けていこう。
*
冬、多くの木々が葉を落とすと
目立ってくるのが、ガンの治療薬として
知られているヤドリギだ。
*
白っぽい実をつけるセイヨウヤドリギには
お目にかかったことはないけれど、
その亜種の緑黄色の実をつけるヤドリギに加え
橙赤色の実のアカミヤドリギなど
種類の違うヤドリギが、1本の木に
寄生していたりする。
また、落葉するヤドリギ(ホザキヤドリギ)は
実だけが残るので、遠くから見ると
黄色い花が固まって咲いているようにみえる。
*
この辺りはヤドリギの宝庫、
あまりにヤドリギだらけなので
私たちはまるやち湖から続くこの道を
愛情をこめてヤドリギロードと呼んでいる
八ヶ岳の落葉は
カラマツに始まり、カラマツに終わる。
9月にもなれば、はやばやと
カラマツは金の針のような雨を降らし始める。
そのうちに、ヤマザクラやダンコウバイ
ナナカマドやシラカバも
一瞬華やかに、そしてやがて落葉する。
ヤマモミジの紅葉はゆっくりだ。
11月に入った頃
あたりは燃えんばかり。
ナラはしぶとい
枯葉はなかなか落葉しない。
*
雪便りが届き始めても
カラマツの落葉はまだ続く。
車に屋根に、そして人の肩にも降り積もる。
*
道路が落葉で埋まっても
誰も文句を言わない。
これがなかなかうれしい。