移行の季節

秋の植物観察会2016~東山植物園で

 来る日も来る日も雨か曇り空~これではイギリス人じゃなくても、お天気でゴース(希望を失くした時に使うバッチのレメディ)になっちゃう、と笑い話ではなく本気で思うほどでしたが、ピンポイントで雨が上がったのはスゴイ!

 今日で9月も終わり、夏でもなく、秋でもない。そんな移行の季節の植物たちはどんな表情をしているのでしょうか?

 新旧取り混ぜて集まった10人で、いつものコースを植物に挨拶しながら回ります。先発隊のチェックの通り、春までは、雑草扱いだったクレマチスが、観察者(私たちのこと)が押し寄せたからか、「センニンソウ」と小さな白い名札をつけてもらっていました。よかったね、エッヘン!名前が付くとちょっと格上げした感じです。オークはドングリをいくつかつけていますが、剪定のきつかったハニーサックルはちょっと淋しい。

それにしても、なんだかさえないのはお天気のせい?

いまいちジミ~な雰囲気が植物園内に漂っています。これって移行期だから?

 

季節ごと、当たり前のように姿を変える植物。花から種に、種から花にメタモルフォーゼ!(すべてクレマチス)

子どもでも、乳歯と永久歯とが生え変わる頃とか、ツクツク背が伸びていくときとか、縦横のからだのバランスがちょっと変に整わない時期、可愛いんだけど、妙に不細工になったりします。私たち現代人は、できるだけピーク(若さ)の丘を長続きさせたい、って思っていますが、それってホントにいいのかな、と時々自問自答します。特に植物の変化を見ていると、人間だけが同じところに止まっていられるわけがない、と思うわけです。つまり宇宙と呼応するように、植物は季節のめぐりを知っていて、ちゃんと次の段階に移行していくけれど、人間は特別で、外見は若さを保ったまま、内的に成熟できる? のかな。いやあ、そうじゃないでしょ。内的にも成熟したくない人もいるかもしれないけれど、昨日より今日がよくなろうとするのが自然の摂理。そのために次の扉を開けるには、何かを手ばなすというのは、浦島太郎に限らず昔からのお約束。


 

 一番きれいな時っていつなんだろう。花が咲くころ?

そう、花が咲くとみんな目が惹かれる。きれいな色がパッと辺りを染めて、香りもして、虫を呼び寄せる。植物は様々な方法で次の世代につながっていくけれど、受粉した途端に、色も香りも目的を果たしたかのように収縮へ向かう。

 誰もが知っている、花の美しさは永遠じゃない。

 永遠じゃないからこそ、美しい。

 それも誰もが気づいていること。

 

 

 

 じゃあ、移行期って本当にさえないのかな。ただ、見る目がないってことなんじゃないかな。私の中にある、きれいの基準が、花とか若さとか可愛さとか、スマートさとか、そういったものしか認めていなかったら、当然見落としている「美」があるってことだもの。

 そう思っていたら、今回、素敵な発見が、スィートチェストナット(栗)をスケッチしていた仲間から、もたらされました。ほら、栗のイガの頭のところ、雌花の名残が見えるでしょ。雌花の下が栗の実!!そしてイガイガの形の美しいこと。まるで1本1本が木のようで、みんな、目をキラキラさせて見入りました。見る目があれば、世界はどんどん美しくなるのかも。

 

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