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4月、新生活が始まった方も多いことでしょう。引っ越しを重ねていると、自然に身の回りの取捨選択がされていきますが、私のように同じ場所に30年以上も住んでいると、いつしかどっさり、暮らしの澱のようなものが溜まっていきます。家族が増えては、またやがて減っていくプロセスで、その都度、整理整頓をしていかねば、決して片付かないわけです。とはいえ、独立していった子どもたちの、物置部屋みたいなところもあって、一家を抱合している実家のような存在は、私個人だけでは決めきれないものも多く、なかなかすっきりとはいきません。
私自身、整理が嫌いなわけじゃないですが、正直に言うと、断捨離を掲げることにはちょっと抵抗があります。無駄も捨てがたい。無駄があってこそ、味があろうというもの。箪笥の肥しには安心感があるし、捨てられないメモ書きも、時には重要な意味があるかもしれない。働かないアリ理論なんてものもあるじゃないですか、というようなことを考えていたある日、ここ何年か、折にふれ、思い出そうとして出てこない言葉がありました。それは「回心」、確かメタなんとかって言うんだったよなあ、とおぼろげな記憶を辿っても、どうしても出てこなかったものが、ふと会話の中に入ってきて、それが糸口になってググってみたところ、「メタノイア」という言葉だと分かりました。ああ、すっきり。
その翌日のことです。毎日使っているファイルの引出しに、古い手帳が入っているのに気づき、何気なくしおり紐の挟んであるところを開けてみたら、な、な、なんということでしょう。そこには 私の字で、「メタノイア 回心 ギリシャ語」と書いてあるではありませんか!
それは2000年の手帳でした。私ったら、17年前の手帳をいつも使うところに入れていた、かつ、しつこく思いだそうとしていたことになります。今でこそすぐに答えは得られそうですが、17年前のことですから、その過程ではググるという言葉も発想もなかったのです。それにしても興味深いのは、答えが分かった途端に、それまで隠してあった答案用紙が、ひらりと出てきたみたいな感じです。いったい誰が隠して、誰が出したの?と思わず聞きたくなります。もちろん、この手帳を処分していたら、この面白さは味わえませんでしたけれど。
4月、何か新しいことを始めたくなる季節でもあります。自分の身辺を見回して、捨てるもよし、まだまだとそばに置いておくのもよし、すべてそれらにはベストなタイミングがあって、その「時」を捉えることの方が重要な気がします。