バッチフラワーセラピーは、補完療法の一種で、アロマセラピーやハーブと同じ、植物療法の仲間ですが、身体的癒しが目的ではなく、ダイレクトに感情を扱うところに特徴があります。感情というのは、私たち一人ひとり、固有の内面世界ですから、外から見ることはできません。つまり、その効果のほどは一人ひとり違っていて当たり前、主観的だから証明もできません。 そういうのって、気のせいだから信用できない、という人もいます。 でも私は、気のせい? 大いに結構! と思います。 感情って、まずはハートで感じることですから。 感情に対応する38種類のレメディを鏡にして 自分の心を見つめ、レメディを選び、飲む。 言葉にすれば、それだけのシンプルなことですが、 実際、どれだけの人が、自分の本当の感情を知っているでしょう。 自分の本心が分からない人なんて、ざらにいます。 かくいう私もそのひとりでした(あえて過去形)。 もちろん、今も決して、常に分かっているわけではありません。 でも、分からないということを、知っている、ということはできます。 自分は、思っていること、言いたいこと、したいことを 明晰に理解できていて、届けたい時に、届けたい人に伝えているかしら? 屈折した思い、素直じゃない表現 どうしてそうなってしまうのか、それがどこから来ているのか。 これは純粋に、自分自身への問いでもあります。 ギュッとなっていた気持ちが、少しずつほどけていくとき、 それはちょっと不思議な感覚です。 なんだろう。 固まっていたものが、動きだすような感じです。 あるとき、ふいに視座が高くなります。 すると、それまで隠れていた別の感情が見え隠れしてきます。 バッチフラワーセラピーは、それを地道に続けていくことで 心身の癒し、魂の成長、自己教育によって、 自ずと自分と自分の周りが幸福になっていく、と言ったら言い過ぎでしょうか。 だから、結局のところ、屈折していようと、本心が分からなくてもいいのです。 今、そこにある感情が大切なのです。 必要なことは どんなときも、自分自身に、問う姿勢を持つこと。 たとえば、今あなたの心に中が、恨みつらみでいっぱいだとしても 自己嫌悪や、不安であっても、恐れることはありません。 人生を愛し、等身大の自分を認めていくと、なぜか逆転が起こります。 外付けしようとしていたことが、ひっくり返って内側が充足する、みたいな。 きっと、それが、自己肯定感とか、自己信頼とか、希望とか、勇気というものなんだと思います。 私が全幅の信頼をおいているバッチフラワーは、類まれな優れたツール。 そして、プラクティショナーとは、ツールを使いこなし、そのスキルを伝える人、 レメディのような人、なのかもしれません。 いつか、そんな人になっていきたいな、と思っています。